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【JAM社員インタビュー】2023年7月中途入社|マーケティング部|デジタルマーケティング業界から金融業界に転職!?~JAMで身に付けたかった力とは

Japan Asset Management(以下、JAM)は、「資産運用という良識を、日本の常識にする。」というビジョンを掲げる、証券、保険、不動産を取り扱う資産コンサルティング会社です。

IFA(Independent Financial Advisorの略)は、 「独立系金融アドバイザー」と呼ばれ、 証券会社等の金融機関から独立してお客様に資産運用のアドバイスを行っています。 証券会社や保険会社にある定期的な担当替えが無く、 長期的にお客様とお付き合いすることができるため、 一生涯のパートナーとして お客様の資産形成や管理など総合的にサポートしています。

そんなJAMに、2023年7月に中途入社された永田雅宗さんに、電通デジタルからの転職を決めたワケやJAMでの挑戦、原動力の源泉である学生時代のお話を伺いました。

【プロフィール】永田雅宗(ながた・まさむね)さん
慶應義塾大学総合政策学部卒業
新卒で電通デジタルに入社後、DX・新規事業開発案件を中心としたコンサルティング部署に配属。
配属後は大手製薬会社の営業DX支援や、大手保険会社の大学生向けアプリ構想PM・開発伴走支援、ポイントサービスのデータドリブンコンサルティング案件など、幅広い案件に従事。
JAMでは、マーケティング部の統括責任者として、マーケティング高度化のための施策立案・実行や、新事業開発、営業高度化のためのデータ活用など、経営〜マーケティング全般の事業推進を行なっている。


新卒入社から4年間で身に着けた4つの力と足りない1つの力

ー新卒で電通デジタルに入社した経緯を教えてください!

高校生の時から「衰退しつつある地方を、ビジネスの力で救いたい」
という想いを持っていました。
そして、大学で地方創生について学ぶ中で、地方創生に必要なのはデジタルマーケティングの力なんじゃないか、と考えるようになりました。僕が就職活動をしていた時、デジタルのノウハウで富山県上市町への移住を促進するプロジェクトが進んでいました。
そのプロジェクトの中心となっていたのが、電通デジタルの加形さんという方でした。
加形さんの近くで働けば、地方創生についての知見が得られるかもしれないという考えで、
デジタルトランスフォーメーション部門という同期100人中5人しか配属されない部署に配属希望をし、無事配属されました。
配属後は、大手製薬会社の営業DX支援や、大手保険会社の大学生向けアプリ構想PM・開発伴走支援、ポイントサービスのデータドリブンコンサルティング案件など、幅広い案件に携わりました。

社内外のカフェで月1でバリスタになっています。

ー電通デジタルでの4年間で身に付いた力はなんですか?

まず、論理的思考力だと思います。
ビジネスの設計をしていく中で、
目的達成までの過程を因数分解して、何から取り組めば目的を達成できるのか、
考えることができるようになりました。
実務寄りだと、プロジェクトをマネジメントする力です。
大きいプロジェクトでは、多くの関係者を巻き込み、マネジメントし、スケジュール通りに納品する力が鍛えられました。
最後に、アイデアを出し伝える力です。
ただ面白いアイデアを伝えても、人は動きません。面白いアイデアに論理的思考力を掛け合わせて、「人が動く」アイデアの伝え方を学ぶことができました。

ー大学生の時独立を考えていた、とおっしゃっていました。転職ではなく独立しようと考えなかったんですか?

独立したいという想いはありました。そこで、社会人3年目に、独立するために必要な能力チャートを作ったんです。
能力チャートには、

マーケティング、デジタル、コミュニケーション、ネットワーク、ファイナンス

という5つの能力を並べました。
自己分析の結果、ネットワークとファイナンスの能力が足りないと感じ、
社会人4年目はこの2つの能力を身に着けることを目標に過ごしました。
しかし、ファイナンスの能力だけはどうしても身につかないと気付きました。

ーファイナンスの能力が身につかないと感じたのはなぜですか?

コンサルティング会社は、
立ち上げた事業に対して、ファイナンス面での責任を負わないからです。
キャッシュフローやPLを作成したとしても、資本を出すのは事業会社です。だから、転職をして、
リスクを背負って意思決定をする、ピリつく体験をしてみたいと思いました。

JAMへ転職~足りない力「ファイナンス」と刺激を求めて

ーJAMへの転職は代表の堀江さんがきっかけだとか。

堀江さんは、大学のアイスホッケー部の先輩でした。
大学生の時、起業に興味があり、大学のOBOG会の先輩に
「年代が近くて起業している人を紹介してください」
とお願いしました。
その時紹介していただいたのが、JAMを立ち上げたばかりの堀江さんでした。
そこで堀江さんからJAMのホームページ作成を頼まれて、
設立時のホームページを作りました。
大学生の時から、堀江さんとはたまに連絡をする関係でした。

ーJAMに転職を決めたのはどうしてですか?

3つ理由があります。
1つ目は、ファイナンスの力を身に着けるための、ピリついた体験ができそうだからです。
2つ目は、経営者との繋がりが増えそうだからです。
社会人3年目で能力チャートを作った時に、
自分に足りないと感じた力は、ファイナンスとネットワークでした。
堀江さんは経営者との人脈が広く、よりネットワークを広げられるのではないかと考えました。
少しあざといですね。笑
3つ目は、JAMの社風や課題を知っていたからです。
転職前、堀江さんから頼まれ、
デジタルやマーケティング領域の事業相談にのっていました。
その際、JAMのメンバーと話し、業績などのデータから、課題を把握できていました。
今の自分ならその課題を解決し、IFAの市場規模の拡大、そしてJAMの会社規模を拡大できると確信しました。

IFAは、成熟した金融業界の中でまだまだ成長の余地がある市場です。
もともと環境を変えるのが好きなタイプであることもあり、
環境の変化の速い、成長市場にいた方が面白いと考えました。

マーケティング部の統括責任者としての今の仕事と挑戦

ーJAMで今やっていることを教えてください!

マーケティング部の統括責任者として、
社内の課題解決・マーケティング高度化のための施策立案・実行をメインに、
経営~マーケティング全般の事業推進を行なっています。

例えば、直近では自社主催のセミナーからのお客様に、担当させていただくアドバイザーを決める業務フローを改善をしました。
セミナーでの集客を開始したものの、お陰さまで日々増えていくお客様に、社内の体制の構築が追いついておらず、無駄な工数が増えすぎていたことが課題だったため、業務フロー全体を見直し、作業のスリム化を行いました。

また、足りないマーケティング施策の立案では、
リスティング広告のメニューを作ったり、noteをやろうという企画を出したりしています。
その他にも、新事業開発、営業高度化のためのデータ活用、新人教育など、
やっていることが多すぎますね。笑

新人教育では、
タスク管理といったビジネスマンとしての基本や、事業開発の時のコンセプトメイクなど、
これまでの社会人経験で学んだことを、後輩に教えています。

もともとファイナンスの力を身に着けたいという目的で入社したので、
全社売上のKPIの分解や、マーケティング部の事業計画の作成などもやっています。

ーファイナンス力をつけるという目標の達成度はどのくらいですか?

達成度は60%くらいです。

60%の理由は
業務改善で得られるリターンとコストを計算して、
全社の売上にどう影響するかを考えながら意思決定をする
ということができているからです。
マーケティング部の事業計画を立てているので、
新しいツールを導入したい時、
執行役員の武石さんから
「マーケティング部のPLの範囲内ならやっていいよ」
と言ってもらえます。
まさにやりたかったことなので、嬉しいですね!

残りの40%の理由は、
「Japan Asset Management」の「アセット」の意味を拡張した新規事業開発をやってみたいからです。
JAMで活用しているアセットは、金融商品に留まっていますが、
JAMの持つ知見や人的資本もアセットとして捉えることができます。
そこで、JAMのお客様同士を繋いでジョイントベンチャーを立ち上げ、
そこにJAMが出資するという事業を立ち上げてみたいです。
出資することで、同じだけのリスクを背負うことができるので、
そのジョイントベンチャーの事業計画を立ててみたいです。
そんな野望を持ちつつ、やっぱり優先度を考えながら取り組む必要があります。
今は、マーケティング基盤を整えて、より安定して稼げる環境を作ることが最優先です。

ー今やっていることの魅力は何ですか?

結果がでるまでのスピード感ですね!
前社でも、業務改善のコンサルティングをしていましたが、
あくまでも第三者としての提言なので、現場の反応を見る機会がありませんでした。
今は、業務改善をした時の、現場の反応が直接見れるので、
自分の近くで、前より働きやすそうにしている社員を見ると、やりがいを感じます。

8歳から今までアイスホッケー一筋!

地方創生に興味を持ち、電通デジタルに就職、現在JAMでマーケティング部の統括責任者を務める永田さん、原動力は「一貫したビジョン」だそう。
ここからは幼少期から大学生までの永田さんを紐解き、その原動力はどういった経験から生まれたのか、探っていきます。

ー20年間アイスホッケーを続けている永田さん、どうしてアイスホッケーを始めたんですか?

父親の影響です。
父親がはアイスホッケーをやっていて、
社会人チームやプロの試合を一緒に観に行っていました。
それに加え、父親にスケートリンクにもよく連れて行ってもらっていたので、
物心ついた時からスケートが滑れました。
そんな父親の姿から、
「自分にアイスホッケーをやってほしいのかもしれない」
と子供ながらに感じて、アイスホッケーを始めました。笑

社会人になってもアイスホッケーを続けています!

ー20年間の中で印象的なエピソードを教えてください!

アイスホッケーを本気でやるために、地元東京を離れ、栃木県の高校に進学したことです。
アイスホッケーは、北海道など一部の地域の高校しかインターハイで優勝できない、地域性の強いスポーツです。
そこで、関東でインターハイ優勝経験のある高校に進学しようと思い、進学を決めました。
都立のそこそこ学力の高い進学校も選べる選択肢があったのにもかかわらず、
知る人ぞ知る、アイスホッケー界のニッチな高校を選んだのは、
我ながら大博打だったと思います。笑
結果的に、インターハイでは準優勝することができ、無事大学進学もできたので、
中学生の時に栃木の高校に行く選択をしてよかったと思っています。

ー東京を離れて栃木の高校に行くことは、親御さんに反対されなかったんですか?

されなかったです。笑
いいんじゃない?という感じでした。
中学生の後半から、なんとかなるでしょ!という精神で生きていたので、
親も心配しなかったんだと思います。
一方、中学の先生とか、親以外の大人にはかなり心配されました。
でも、栃木の高校への進学を強く反対されることはありませんでした。僕が自分で決めたことしかやらないタイプであることを、
周りの大人が理解してくれていたからだと思います。
三人兄弟の真ん中っ子らしく、自由奔放な生き方を貫いていました。

偏差値36の高校から偏差値78の大学へ

ーどうして慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス(以下、SFC)の受験を決めたんですか?

一言で言うと「人がよかったから」です。
人のよさで選んだ理由は、
高校生の時、人間関係で辛い経験をしたからです。

高校生の時、栃木県外から進学したのは僕一人でした。
進学した高校のアイスホッケー部の部員は、小学校からの知り合いで、
高校入学時に既に人間関係が出来上がっていました。
そのクローズドなコミュニティに入り込むことができず、
友達を作るのが苦手な性格ではないのに、あまり友達ができませんでした。また、外から来た奴という、マイナスな第一印象で評価される環境が辛かったです。
このような経験から、大学では、価値観の合う人と一緒にいたいと考えました。

去年からBBQを企画実行してます。 アイスホッケー部員とその知り合いで40人規模に!笑

ーそんな時にSFCの存在を知ったんですね。

SFCの存在を知ったのは、兄が進学していたことがきっかけです。
兄が慶應に合格したタイミングとたまたま同時期に、
高校のアイスホッケー部の先輩と、
慶應アイスホッケー部の方がコンタクトをとっていて、
僕も慶應と接点を持つようになりました。
そこで慶應のアイスホッケー部について知るうちに、
学業に対する取り組みや、アイスホッケーとの向き合い方など、
価値観に共感し、進学を強く意識するようになりました。

自分が本質的に価値を感じたことにしか動けない性格なので、
SFCに受かっていなかったら、
半年間働いてお金を貯めて、海外に行こうと思っていました。
今思うと、目的意識を持って、そのためになること以外はやりたくなかったんだなと思います。

ーどうやって合格を勝ち取りましたか?

アイスホッケーで準優勝した経験があったことや、
高校で生徒会長をしていた、高校の成績がよかった、
という条件があったのでAO入試で受験することを決めました。

デジタルデバイスとAR技術を複合した日本型エコツーリズムの導入、というテーマを設定し、
半年間かけて、2000文字の小論文を書きあげました。
この小論文を書いたことが、日光という街の存続について真剣に考えるきっかけになりました。
そこから、
「街のあらゆる観光資源を有効活用して、日本の貴重な文化と自然環境を残すこと」
が自分の人生の目的になりました。

ー大学では何をやっていましたか?

部活、ゼミ、インターンという3つのことに取り組みました。
SFCは必修科目がほとんどなく、自由に受講内容を決めることができました。
そこで、一貫して人生の目的に対して有効にアプローチできる講義を受講していました。
授業だけでは実務経験に乏しくなるため、実践ビジネスをインターンで経験し、
それらの経験を複合的に実証実験する場としてゼミに参加していました。

他方で、部活にも全力で取り組み、大学4年次には47年ぶりとなる早慶戦勝利を収め、
先輩組織「三田会」とのリレーション構築にも励んできました。

当時、体育会系の学生の中で、ビジネスも学びつつ、部活にも取り組む、
変わった学生だったなと思います。

ー部活、ゼミ、インターン…。たくさんのことを同時に頑張れる原動力はなんですか?

一貫したビジョンが原動力になっていると思います。
ビジョンというと少し大げさかもしれませんが、
高校生の時から「衰退しつつある地方を、ビジネスの力で救いたい」
という想いを持ち続けています。

高校があった奥日光という場所は、
英国大使館別荘があり、高級リゾートホテルブランドの「ザ・リッツ・カールトン」が営業していることからもわかる通り、由緒ある観光地です。
しかし、10年間で人口が半減したり、高齢化が進んでいたりと衰退しています。高校生の時、奥日光で地方の観光地の衰退をまざまざと見て、
ビジネス基盤がないことで活用できていない観光資産を、なんとかしたいと考え、
SFCのAO入試の時の小論文のテーマにしました。
その小論文の内容で合格することができたので、
「街のあらゆる観光資源を有効活用して、日本の貴重な文化と自然環境を残したい」
という想いが固まりました。

明確な意志があるからこそ、
そのために必要なパーツを集めようと頑張っているのだと思います。
今は前職でどうしてもつけることができなかった「ファイナンス」というパーツを手に入れるため、JAMで働いています。

中途入社の方にメッセージ

ー最後に、JAMへの中途入社を考えている方にメッセージをお願いします!

やっぱり成長市場で働くのは面白いです!
決まった業務をこなすのではなく、新しい事業を作っていくので、
クリエイティブ力が鍛えられますし、
作ったアイデアを現場に落とし込む推進力も必要です。

行きつけのコーヒーショップで 常連犬をだっこしています。
一見無駄なことをしている時間にアイデアが湧くんです。

30人規模のJAMでは、否応なしに環境が激変していきます。
いつの間にかコーポレートブランディングが変わっていたり、組織改編が起こっていたり…
と色んな流れが発生します。
その激流を乗りこなし、推進力にすることが楽しいです。

JAMはこれから拡大フェーズに入ります。
挑戦する機会がたくさん与えられるので、
何かに挑戦したい!というマインドの方は、
JAMの仕事を面白いと感じると思います。

ぜひ一緒に、チャレンジしましょう!

中途採用情報

Japan Asset Managementでは、一緒に夢を追いかけてくれる仲間を探しています。

今後、日本の金融業界は大きく変動していきます。
その中で、業界の変革を先導していく組織になるべく、 2018年に当社を創業しました。
今はまだ平均年齢20代の小さな組織ではありますが、
日本最大の金融機関になることを目指して、 日々奮闘しています。
年齢、経験、学歴は問いません。
「お客様のために働きたい」 「今の金融業界を変えていきたい」 「この国をよくしていきたい」など、
少しでも気になる点がございましたら、 お気軽にお問合せください。

募集要項
【役職・ポジション】
・マネージャー、幹部候補
・営業職、総務職 (前職で金融機関経験者優遇)
【求める人物】
・お客様のために努力を続けられる方
・弊社の風土に適応し、長期的に働いて下さる方
【歓迎要件】
・証券外務員第1種所持
【給与】
前職の状況に応じて応相談
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一次:人事面接、二次:役員面接、最終:代表面接

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