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2023年 回帰の1年に

今年もよろしくお願い致します。
新年1発目なので、ごく個人的なnoteを書きます。ただの会社員が綴るnoteなんてどれも個人的なものか。それはさておき。

2021年、2022年は鬱屈してました。

社会人生活の始まりとまんま重なるのですが、こんなにも人生から〈私〉が阻害されるものなのかと。

人生となんも関係の無い日々、関係のない予定。見積とか、スケジュールとか、工場の都合とか、正直結構どうでもいい。上司は「自覚が足りない」「責任感が足りない」と言うけれど。それは上長の発言として至極当然なのだけど。関係ないと思ってしまっている物事に対して意識や自覚って、持てるものなのですか。どうでもいいなりに、でもやっぱり賃金をもらっているし、労働による搾取は双方の契約のもと成り立つ合法の仕組みでなので、最低限はやるけども。意識も自覚も責任も要求してくる辺り、さすが資本主義組織。欲張りなことで。

春風で昔を思い出した やる気なら桜と共に散った 考えなくても景色は変わるから

偶像/カンザキイオリ

言うことを大人しく聞き、歯車に徹したほうが精神衛生上楽なことは分かっている。しかし心と身体はそれを拒否してしまっており、なかなか上手いこと振る舞えない。残業なぞ放り出して、残り少ない今日一日を、しでも自分の時間に充てたいと吠えている。

しかし何だろうな。学生の頃と違い、社会人は1年というスパンで区切って振り返るものではないのかもしれない。手応えや実感というご褒美を得られる瞬間のなんと少ないことか。停滞感と閉塞感できゅうきゅうしながら、みずからに餌をやり、体を会社に運ぶ日々。これが社会に出るということなのか。

今のところ2023年の仕事の目標は「退勤後に仕事の話をしない」となりました。

私生活。
平日のやりきれなさに飲まれてはいけないと思い、今まで以上にがむしゃらに本を読みました。神学、哲学、世界史、日本史。純文学、小説、SF。今まさにタネを蒔いているんだと、自分に言い聞かせながら。学生時代も気取って色々読んでいたけれど、危機感が相棒となり読書量はむしろ増えました。それでも自然科学とか数学などには、手が出せなかった。食わず嫌いを治したい。

意識して本を読み始めたのは、2017年9月3日。見返りを求めた読書にどれほどの意味があるのか未だに疑問だけれども、それ以降ずっと続けてきました。線を引いて、不明な語句は検索して、日記帳に都度まとめる。日記帳は学生時代からの習慣で、今日から31冊目に突入。勉強内容も本のまとめも日々の雑感も、まとめて1冊に書き入れます。我流ではなく、佐藤優さんのおすすめするノート術なのですよ。

読んだ本については、直近で良いと思ったものを文章にまとめ起こして、いつかnoteに投稿できると良いな。年末に読み終えた「哲学入門」は非常に面白かったです。

そういえばいろんな本を読む中で、興味のある新しい分野ができました。
川について。住処がいくつか変わる中で、絶えず身近にあった川について。恋愛が始まる頃、燃え上がる頃、終わる頃。眺め続けた川について。研究なんて大それたものではなく、あくまでも個人的なお勉強です。

ふらりと散歩する。素敵な川を見つけたら、写真を撮り、Google MAPで名前を確認する。帰宅後はアナログの地図を引っ張り出し、俯瞰する。どこから始まっているのか。どの川と合流するのか。どこに流れ着くのか。

「淀川って、桂川と宇治川と木津川で出来てるんだ」「宇治川の源流って、実は琵琶湖なんだ」「安治川って、氾濫を防ぐために人工的に作られたんだ」。簡単な知識を縦に横に少しずつ広げていき、豊かなものにしていきたい。暗渠も素敵ですよね。

世の中を知ろうと思って雑誌や新聞にも手を出したけど、こちらは続かず。

趣味にも時間をかけました。
が好きなので、カラオケに毎週必ず足を運び、歌う。良いストレス発散になりました。顔出し無しのコンテストに出てみたり、ボイトレ体験に行ってみたりもしたけど、うーん。歌は趣味程度でちょうど良いかな。

ギター。自粛期間に初めて触れてから、ちょっとずつ弾くように。今年は教室に通ってみようかな。こちらは歌と違い、専門的に学びたい。理論も勉強して、なぜその音が出るのか、どのコードとどのコードが相性が良いのかとか、知りたい。知識欲は読書によって強化された気がするので、ちょっとは意味があったのかなと思ったり。

資格試験にも手を出しました。これは完全に、心の弱さ。目に見える肩書きが欲しくなっていた。会社員になって、自分に対する自信も好感も長所も完全に失ったので、何か縋るもの、安心できる材料が欲しかった。その意味では本も趣味も似たようなものですが。簿記3級、簿記2級、FP3級を取得。FP2級とITパスポートを年度末に控えております。

恋愛については、個人的な日記に書くので十分か。今現在の感覚としては、性と愛が切り離されている感じがする。宮台真司さんの言うような、至上の「愛」と「性」の融合が与える「京楽」とは、そうそうならない。だから世の中、浮気や不倫が消えないんだろう。

平日の虚無を、本と趣味でカバーしようとした2年間。しかし「合わない職場は副流煙の数倍悪い」と何かの本で読んだ通りで、元気も自信も失い、心も肌も荒れて、凄惨たる有様。2021年、2022年は鬱屈の年でした。実際のところ本厄・後厄でもあったし、そんなもんか。来年は良いことあると良いな!

2023年は、回帰の年にしたい。

大学時代、空回りつつも色々真剣に考えて過ごしていました。ほどほどに遊んだとはいえ、そこにもある種真剣さがあったと思う。勉強して、恋愛して、悩んで、飲んで、食って、泣いて、寝る。1日24時間全て、主語「私」は、他ならぬ〈この私〉と、一致していた。

食らって泣いて吐いて泣いて なんか人間みたいだな
不器用な男/カンザキイオリ

社会人になって1番の変化はそこで、「私」の仕事、「私」の責任、「私」の数字などなど、およそ会社から与えられる全ての主語「私」に対して、強烈な違和感を抱くようになりました。その私って、誰のことよ。

自分が見出す主語「私」でも、会社に与えられる主語「私」でも、まあどっちでもいい。やるべきことは、やるべき。言葉の通り。

けれどもその主語が、他ならぬこの〈私〉と一致していないと、どうしてもその気になれない。もやもやする。これが最近の若いもんなのだろうか?

利己的、わがまま。そうかもしれない。でもこればっかりは、譲っちゃダメなのではなかろうか。たぶん、歯車が嫌なのではない。どう考えても一致しない主語「私」に、この〈私〉を押し込められて『お前!』と言われることが、我慢ならないのではないか。

主語「私」とこの〈私〉の一致とは、
「ああ、これって俺のことだよな」と、
可能な限り多く納得して日々を過ごすことだ

主語の一致 全て僕のこと


2023年は回帰の年にしたい。
無知ゆえ、狭さゆえではあるが、確かに主語していたあの頃への回帰。
主語と私の一致を、目指していく。
「ああ、これって俺のことだよな」を極力多く感じられるよう、動く。

とはいえ、会社が押し付けてくる「私」に〈私〉が込められていないことは自明。なぜなら会社は社員が歯車でないと回らず、その歯車は誰でもいいから。誰でもよくないと成り立たないから。

仕方がないので、できることからやる。目の前のしょうもない作業を、この〈私〉にとっては「〇〇な意味があるんでは?」と仮説を立て、どうにか自分の話にしてしまう。意味を探す。意味を見出す。意味にする。

しかしこれは時間稼ぎでしかなく、長期的には「私」と〈私〉が長期的に一致し得るような仕事を、環境を、見つけるしかない。なので探す。そんな仕事あるんかいと思うが、探す。今よりマシな職場なら、探せばどっかにあるだろう。

ないなら作るしかないけど、作るのは今は気がひけるので、可能な限り探す。最低限譲れない条件を明確にして、隣の芝が青い状況を減らし、主語との一致を目指す。準備をする。準備の方法は人と話すことだったり、本を読むことだったり、色々。そこはひつこく、動くしかない。諦めないこと。潰れないこと。やばい時は逃げる。それでも地を張って進む。


今年もカロリーメイトのCMが素晴らしかった。
大好きなMrs.GREEN APPLEの「僕のこと」が起用されていました。

オーケストラバージョン、なんて素晴らしいんだろう。

2023年は、回帰の年にしたい。

ああ息をして もがいている 全て僕のこと
僕のこと / Mrs.GREEN APPLE

P.S.
下書きがどんどん溜まってゆきます。本と同じだ…。

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