たまねぎ(小説)
智也の気配を後ろに感じながら、たまねぎを切っていた。私がつくるカレーにはいつも大量にたまねぎを入れる。
「大量のたまねぎがとろとろに溶けてるカレーがいい」
彼のリクエストに答える形で不本意だが、何を隠そう私もそういうカレーが好みだった。私たちの性格は正反対だけど、味覚だけはよく似ている。
私は在宅のイラストレーターの仕事をしている。これだけじゃ食べていけないから、同棲中の智也と家賃を分け合っている。
彼にはそれなりに収入があり、収入の不安定な私と一緒に暮らしていけるだけの余裕があった。
ただ、と思う。
ただ、私を家政婦か何かと勘違いしている節があるのは、解せない。
今も彼はソファに横になって、大きな画面に映し出されたゲームを睨みながら、両手で何やらごちゃごちゃとやっている。
「カレーって切って煮るだけだから楽だよね」
智也が画面から目を離さずに言った。
切って煮るだけなら、どうぞやってみて下さい。
私は怒る気にもなれず、無言でたまねぎに集中した。背中で聞いた声には無視を決め込む。
鼻の奥がつんとして、涙が出る。鼻をすんすんしていると、智也が「泣いてるの?」と訊いてきた。
たまねぎがしみただけ。
怒りで彼と話す気になれないのと、声を出すと涙声になりそうだったので、心の中で返事をした。
智也は気が利かなくて、非常に察しの悪い男だ。よく言えばそういうおおらかな所を好きになって付き合いだしたのだけど、一緒に住むとなると厳しいものがある。
半分は養ってもらっている身とはいえ、この家政婦みたいな暮らしは望んでない。
ああ、これからどうしようか。
♤♤♤
次の週の休日、友達のクコから来ていた連絡に「OK」と返信をした。
合コンの誘いである。
私が彼氏と同棲中であることをむろん彼女は知っているが、微妙に上手くいっていないことを案じてか、嬉しいんだか嬉しくないんだか分からないお誘いをしてくれる。
保留にしていたのだが、先週のこともあって智也には少し反省してもらいたかった。
いつもは塗らないような赤いリップを少し多めに塗った。ケバいかな、と躊躇したけど、どうせならいつもと違う自分で出かけてみたくなった。
「明穂ちゃん、どこいくの」
智也が寝巻きのまま訊いてきた。ただならぬ気合いの入り方の私を見て、さすがに異変を察知したようだ。
「合コンに行ってくるね」
それだけ言うと、私は智也の顔も見ずに家を出た。
帰ったら彼は家に入れてくれないかもしれない。その時はその時だ。少し遠いけど、実家に帰ればいい。幸い、今の仕事は場所を選ばないからだ。荷物はほとぼりが冷めたら返してもらおう。
♡♡♡
結果から言うと、合コンは全く楽しめなかった。
私と同じ20代後半の集まりのはずなのに、どこかみんな若い。テンションというかノリが大学生の延長のような。
智也も確かに子供っぽいところはあるが、この雰囲気とはちょっと違う。彼らは「青い」という感じがするけど、智也の幼さには純朴さすら覚える。
この集まりは失敗だ。話もノリも全く合わない。彼らは今が楽しければいいんだ。それはそれでいいんだけど。私はなんでここに来たんだっけ…。
ああ帰りたいな、と思った。智也は今頃何をしているだろう。またゲームをやっているんだろうか。
用事を思い出したから、とクコに告げて、お金だけ置いてお店を出た。
楽しめない飲み会であっても、酔いは確実に回っていたらしい。足元がふらつく。
酔っていることを悟られまいとしながら、私の足は自動的に彼の家に向かっていた。
♣︎♣︎♣︎
「明穂ちゃん」
玄関のドアを開けると、智也が急に抱きついてきた。
「やだ、ちょっと」
驚いたけど、彼の泣き顔を見て思わず笑ってしまった。
「ごめんね、さみしかった?」
そう訊くと、彼は「うん」と言って、鼻をすすった。その時、あることに気がついた。
たまねぎの香りがする。
「もしかして、料理してたの?」
キッチンを覗くと、野菜の皮が散乱していた。可食部がかなり捨てられていることに少なからず憤りを感じたが、なにやら料理をしようとしていることは評価してやってもいい。
「たまねぎ切ってたら涙止まんなくなっちゃって」
彼はまた鼻をズッとすすった。やれやれ。そういうことにしておこう。
でもなんだか一生懸命な彼が愛おしくて、可愛かった。背中に腕を回してキスをする。
「明穂ちゃん、肉じゃがってどうやるんだっけ」
智也が甘えた声で訊いてくるが、まだ返事はしてやらない。
切って煮るだけ、でしょ?
(おわり)
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