『ジョン・レノン:失われた週末』の正しい見方とは
まず注目すべきはタイトルでしょう。
日本タイトルではジョンレノンを前面に押し出して、続けてLost Weekendの翻訳で『失われた週末』と書かれています。これに対してアメリカでのオリジナルタイトルはジョンレノンの名前は冠さず、Lost Weekendから始まり、副題として『ある愛の物語』と書かれています。
ここに映画制作者の強い意志が見て取れます。
これはジョンレノンとメイパンのラブストーリーなのだと。
日本:ジョンレノンの失われた週末
米国:失われた週末それはある愛の物語
なので日本のタイトルだけでは、世間一般に認知されている「ジョンとヨーコの関係が失われた時期」という意味に見えますが、映画を見ると実際には「ジョンとの愛を失ったのは私だ」というメイからの皮肉的なメッセージであることが判ります。
▼感想:
結論から書きますが、これは本質的には《ジョンと長く不倫した女による暴露本の映画化》です。
それを映画ではなんだか良い思い出だよね?という感じで綺麗にまとめようとしてきます。(笑)
いや、たしかに不倫して良かった部分もたくさんあったのですが!(汗)
そういう問題だらけのことを、ジョンはもう死んじゃったから、アレコレ言うのも野暮だよね、って感じで周囲のファンも一緒になって有耶無耶にしようとしている感じは、正直少しあると思います。
そういう雰囲気がしばしば、ジョンは神レベルの存在なんだから浮気の一つや二ついいだろ、みたいな乱暴なロジックと結びついたりもするので、ここは広報もファンも発言に注意したい所です。(苦笑)
●あらすじ
1968年、当時18歳の中国系アメリカ人メイ・パンはアップルレコードのNY支社の職をゲットする。すぐにビートルズは解散するが、1971年にジョン・レノンとオノ・ヨーコ夫婦がアメリカに移住してきて、二人のお気に入りだったメイは個人秘書になることに!しかし1973年に夫婦仲は険悪で、事態を打破しようとしたヨーコは、ジョンにメイとのアバンチュールを差し向ける。
しかしジョンが本気になってしまって、さあ大変!ジョンの提案で二人はヨーコの支配を受けないLAに移住する。でもメイと過ごしてた18ヶ月間で、ジョンは息子ジュリアン(前妻シンシアとの子でヨーコからは虐待されてた)と関係修復できたし、ミックジャガーやエルトンジョンなどの一流ミュージシャンと沢山コラボできたし、良かったんだよね〜。
最終的にはジョンはヨーコのところに帰っちゃったんだけど。
何よりも、メイとジョンの間には愛があったし。メイとジュリアンとは今でも堅い絆で結ばれてるし、メイはジュリアンの母シンシア(前妻)とも死ぬまで仲良しだったし。なんかメイがヨーコからジョンを(一時的に)奪った悪女みたいにワイドショーとかで叩かれたけど、それってアンフェアだよね!
…というメイから見た真実を語ったドキュメンタリーです。
●考察
このドキュメンタリー映画でオノ・ヨーコは徹底して悪者(あるいは魔女)として描かれます。まるでジョンにマインドコントロールを掛けていたかのような演出でした。
言論の自由があるとはいえ、こんなヨーコに厳しい内容でよくジョンの楽曲の使用許可が下りましたね!でもビートルズの演奏は一瞬たりとも使われませんでしたし、ジョンの曲もテレビ放送のフッテージだから権利関係の上手い抜け道を見つけて使用に漕ぎ着けたのだと思われます。(笑)
しかし、ジョンが1973年秋から18ヶ月間をメイと過ごしたことで、音楽家としても父親としても豊かになったのは事実です。おそらくあのままずっとNYに居たのでは、実現しなかったことでしょう。
特にジュリアンは今でもメイを深く愛しているように見えました。ジュリアンがあのままヨーコの管理下にいたら父と関係修復できなかったかもしれません。だからこそ、メイとジョンの事案は「不倫はOKかNGか」という問題で簡単に割り切れないし、皮肉でもあります。
映画の中でいくつかジョンの肉声が使われるのですが、ほとんどが盗聴された電話録音がそのまま使われていました。凄いですね。さすがリベラル過激派として米国政府にマークされていた男。ニクソンが失脚して以降は盗聴音声がパタリと使われなくなったのも色々勘繰ることができて面白かったです。大谷翔平も例の通訳者の賭博に関与した疑惑で過去の全通話を捜査されていたが、情報化社会の恐怖を感じます!
LAでジョンとポールが歴史的な再会を果たします。しかしそれはヨーコからの差し金でした。…と言われるのですが、ポールにとってどんな利益があったのかよく解りません。ヨーコから一方的な情報だけ渡されて、正義のためにやったのかしら。謎です。
ヨーコは別人との不倫を匂わせてジョンをゆすりました。ヨーコ名義のレコードジャケットの写真でジョンよりもデヴィッドスピノザ(ギタリスト)の写真が大きかったことから、きっと相手はスピノザだとメイは推理します。スピノザ本人はヨーコとの肉体関係をキッパリ否定していますが。謎です。
●日米におけるイメージ戦略のちがい
日本とアメリカで全然ポスターが違います。
日本だと不倫スキャンダルへの風当たりも違うし、どうしてもヨーコ贔屓になるので、ジョンレノンの《束の間の奇跡》という雰囲気重視のフレーズでお茶を濁した感じですかね。
ちょっと古い例になりますが、日本版のポスターは島田紳助の「でもそれって素敵やん🥺✨」に近いものを感じます。
破天荒に生きてナンボのお笑い芸人である松本人志でさえ聖人君子であることが求められる日本では、米国版のような攻めたポスターは怖くて出来ないでしょう。
ちなみに映画の原案になった原書は、メイが書いた暴露本です。1980年にジョンが射殺されてから、彼の意志を継ぐ者としてヨーコが代理人のような立場でずっと活躍していたので、そこにメイも一言物申すという所でしょう。米国での初版は1992年なので、ジョンの死から12年経って、ついに沈黙を破ったことになります。
メイクについては時代性もあるかもしれませんが、表紙のメイの写真からはかなり挑戦的なムードを感じます。私と一緒だったときにこそ、ジョンは本当の意味で生きて、愛して、ロックを作っていたのよ!と表紙に書いています。
今回の映画化『The Lost Weekend: A Love Story』はそこから30年かけて実現した、メイにとっては念願の企画だったのです。
そしてお気づきでしょうか?原書のタイトルは『John Lennon: The Lost Weekend』だったことに。そこから映画化されたら『The Lost Weekend: A Love Story』に変更されました。これは米国で映画タイトルにジョンレノンの名前を使う許可が降りなかった可能性があるかもですよ。日本では割とそういうところが緩いので、原書タイトルに近づけられたのかもしれませんね。
▼あらすじ(公式):
公式が書いてるあらすじが、少しずつ温度差があるのが面白かったので引用して紹介します。
一番広く閲覧される映画.COMは一番当たり障りのない説明です。
次に好きな人しか見に行かないオフィシャルウェブサイト。
おそらく映画.COMのあらすじはこちらを元に、少しマニアックすぎる部分を省略して作ったのでしょう。ただいずれも日本語版では「ジョンがメイと過ごすことになった」という表現しかしていません。
しかし、これが米国のオフィシャルサイトではどうなるか。
「二人は共に過ごした」なんて生易しい婉曲表現ではなくて、「二人の関係について語る」と一歩踏み込んで書いています。
しかも、当時33歳で妻子持ちのジョンレノンが、22歳の小娘(まだ本当の愛を知らなかった少女)を愛人にしたことが明確にされています。これは日本語のサイトには書けないですよね。(苦笑)
ついでに原書の紹介文も書いておきましょう。
もう、ヨーコなんかアウトオブ眼中でイケイケな感じですね。(笑)
というわけで、ここまで読んでくれた忍耐強い人達のために、最後に刺激的な一言を書きますが、、、
本作を観て「とても素敵な映画で感動した🥺✨」みたいな感想しか持たなかった人は、まあ滑稽というか脳内お花畑ですね。日本でのイメージ戦略とか、ジョンは良い人に決まってるという日本的な思い込みや希望的観測に惑わされて、全然この映画の真実が見えてないですよ、それ。(笑)
まあ青春時代の夢には綺麗なままで居てほしいという気持ちも解りますが、この映画は《それに挑戦する作品》であるというのは頭の片隅に置いておいても良いでしょう。
なお、あくまでメイの主張に沿って組まれた映画ですから、彼女だって100%真実のみを語っているとは限りません。人間は勘違いや思い込みを含めて、何かしら事実を自分に都合よくねじ曲げるものですから。真実はいつだって藪の中ですから。
(了)
最後まで読んでいただきありがとうございます。ぜひ「読んだよ」の一言がわりにでもスキを押していってくださると嬉しいです!