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マイ・スウィート・メモリー・オン・チャイ(イスタンブル・チャイ紀行#2)

トルコといえば、チャイである。
トルコのチャイの詳細については以前の記事に任せるとして、今回はチャイと砂糖の話がしたい。

甘い香りのイスタンブル

チャイを頼むと、必ず砂糖がつく。
小瓶に大量の角砂糖が入っているところもあれば、何個かソーサーに置かれているところもある。
ソーサーに置かれている場合、不思議なことに、大抵は3つ角砂糖が置かれていた。トルコの角砂糖は日本のものと比べて小ぶりだが、その代わり味が濃いので、3つ入れると割と甘くなる。

そもそもかの国は甘党の国だと思う。
街を歩くと大抵は甘い香りが漂っている。単にそういう空気の街だというわけではない。煙のないところに火は立たない。甘い匂いのするところ、必ず菓子屋(パスターネ)あり、である。
菓子屋といってもただのケーキ屋ではない。ケーキも当然売っているが、幅を利かせているのは、バクラヴァ、キュネフェ、ロクムなど中東菓子である。

最近は東京でも食べられるようになった中東菓子。
上がバスブーサ、下はバクラヴァ。
バクラヴァは銀座にトルコの店が出店して話題になった。

中東菓子の特徴はその甘さにある。
たいていの菓子は甘いシロップに浸かっていて、口に入れると甘味がジュワッと広がる。悪い言い方をすれば、もうビショビショである。

そんなわけだから、チャイに角砂糖を三つ入れるのがデフォルトでも頷ける。
郷に入れば郷に従え。新ローマ(イスタンブルの別名)では新ローマ人の如く振る舞え。イスタンブルでは私は通ぶって角砂糖をきまって三つ入れることにしていた。

バザールの菓子コーナー。甘い匂いが立ち込める。

ココレッチ兄さん

二度目にイスタンブルを訪れた時、私は旧市街の一角にある露店に入った。
ココレッチを食べるためだった。
ココレッチというのは肉料理の一つで、簡単にいえば羊のホルモン(腸)である。これにスパイスをしっかり練り込み、福岡の鶏皮よろしく串に巻き付けて火で炙る。
食べたことはなかったし、日本での知名度は致命的だが、名前に惹かれた。

露店、とはいってもその店は店舗も構えていて、中でも食べられる。
とはいえ店の前に椅子や机が並んでいるから、見た目は露店みたいだ。
オーダーして、しばらくすると、陽気なお兄さんがパンで挟んだココレッチを持ってきた。
「中国人?」とお兄さんが聞くので、
「日本だよ」と答える。
「日本か。日本は最高だ。カガワはいい選手だった」とお決まりの会話が続く。
私がトルコを旅していた2019年、イスタンブルのベシクタシュというサッカーチームに香川真司選手が所属していたが、ちょうどこのひと月前にスペインに移籍したところだった(ちなみに、同じイスタンブルのガラタサライというチームには長友佑都選手がいたのだが、ガラタサライが地元のサッカー通の間では不人気で、声をかけられる時は必ず「カガワ!」だった)。

ココレッチは言うまでもなくうまかった。肉汁がパンに染み込み、練り込まれたスパイスがキリッと効いている。
「ココレッチ・チョック・ギュゼル(ココレッチすごくうまいよ)」と片言のトルコ語でお兄さんに話しかけると、うれしそうに、「そうだろう、そうだろう」とうなずく。
しばらく世間話をしていたら、
「チャイ飲むか?」と言う。ココレッチとチャイの相性は未知数だが、気持ちが良いので、飲むことにした。
「砂糖はいくつ?」とお兄さんは日本人へ気遣いをしつつ、試すような視線を投げかけた。其の手は桑名の焼き蛤。私は自信満々に、
「トルコでは3つだろ? 3つもらうよ」と言った。

モスクの裏のちょっとした広場にお兄さんの店がある。

甘い真実

すると、お兄さんは爽やかに笑いながら、
「いやいや、何言ってるんだ。トルコ人は砂糖は普通、5つだよ!」
してやられた。きっと個人差はあるのだろうが、お兄さんはいたって真面目な表情だ。
「じゃあ5つもらおうかな」私は言った。トルコではトルコ人に従いたい。お兄さんは無理すんなよと言う顔でチャイと角砂糖の入ったツボを持ってきた。

一つ、二つ、三つといれると白い砂糖からジュワーっと泡が湧く。そして続けて、四つ、五つと入れてみる。トルコのチャイは透明な容器に入れるから、こう言う砂糖を入れる瞬間も楽しい。
カランカランとスプーンで砂糖を溶かす。だが流石に5つ入っているとなかなか溶けない。だが、何とかして溶かす。

さて、どんな甘さなのか。恐る恐る熱いチャイをズスっと飲む。
不思議なことに3つの時と比べて、そこまでキツくない。きっと、何らかの閾値を超えたのだろう。
むしろ、茶葉の苦味と5つの砂糖の甘さががよく調和している。とはいえやっぱり甘いので、茶をしばいているというより、デザートを飲んでいる感覚だ。だがそれがクセになる。上品で、苦味の効いた甘さである。

「甘すぎるんじゃないか?」とお兄さん。
「いや、これはこれで」と答えると、
「じゃあお前はトルコ人だ!」と肩に手を回す。トルコは男気で回っている。

甘いものには御用心

その後、私はチャイに5つ(あるときは、だが)砂糖を入れるようになった。
これにハマると、3つでは足りなくなる。
これは危険な兆候だった。

その旅では、それからイスタンブルを離れ、北上してベルリンを目指したのだが、コーヒーや紅茶に砂糖を大量に投入しなければ満足できなくなってしまったのだ。
途中でこれはもう砂糖中毒なのだ、と気がついた。

甘党は酒を好まない、と言われる。
そして中東菓子や甘いチャイが広がる地域はちょうど、イスラーム文化圏であり、原則(あくまで原則だけれど)飲酒を禁忌としている。
研究していないので本当のことはわからないが、酒という中毒性の強い飲み物の代わりを、砂糖という中毒性の強い食べ物が果たしているのではないか。
砂糖で酩酊することはないが、脳は糖分を欲していると言うから、覚醒させる力はある。そして甘さに溺れていく。
そう考えると、あんなにも大量の菓子屋がならび、男たちが毎日何時間も甘いチャイやコーヒーを飲んで過ごす理由がわかるような気がしてくる。
トルコの砂糖は、日本の酒なのだ。
取り過ぎは注意である。私は酒もタバコも中毒になったことがないが、砂糖には屈しかけた。

と、いいつつ、トルコ料理屋にいくと、砂糖をバカスカとグラスに溶かして、
「これが本場の味だよなあ」
と頷いてしまう。
弱き者、それは人間。

新宿のトルコ料理屋にて。また、砂糖を五つ入れてしまった…

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