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私の指向も干渉しないで欲しい

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テレビドラマ「おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!」(主演 原田泰造)

いくら何でもここまで時代錯誤のおっさんはいないだろうから、設定に少々無理があるように思う(もう少し高齢の爺様なら分かるが)。とはいえ、近頃流行り(?)のジェンダーレスについて考える良い機会にはなった。

あらためて「ジェンダーレス」という言葉をネットで調べてみると、これが良く分からない。どのWebサイトもまわりくどく不明瞭なのだ。比較的理解できたSpaceship Earthというサイトによれば、ジェンダーレスとは「髪型やファッション、言葉遣いや家庭での役割、職業選択、心のあり方などあらゆる場面にて男性らしさ・女性らしさといった境界線を取り払う考え方」とある。

同サイトでは似たような言葉の「ジェンダーフリー」にも触れていて、こちらは「性別にとらわれず、それぞれの個性や資質にあった生き方を自分で決定できるようにするという考え方」だという。

さらに、「ジェンダーフリーはジェンダーレスが達成された上で成り立つ」というのだが、そんなことはないだろうと思う。私はスカートをはく気はないが、性別にとらわれない生き方には大いに賛成だからだ。

繰り返す。私はスカートをはく気はないのだ。女言葉を使うつもりもない。いや、率直に言おう。

私は男として男らしく生きたいのである。これまでそうして生きてきたし、これからもそうありたいと思っている。

ついでに言えば、女性は女性らしい人が好きである。これは単に私の好み──価値観と言っても良い──の問題だ。もちろん世の女性に強要するつもりは一切ない。私はそういう女性が好きだ、という只それだけのことだ。

そんな私だから、細やかな気遣いのできる女性を見れば誉め言葉として「女性っぽいね」と言うし、度胸のある女性がいれば「男前だねぇ」と口にする。

ところが、それはアウトだと言う。何故だ? 公人でもない私が私の価値観に基づいた感想を言っているだけなのに。

重ねて言うが、私はこの主人公・沖田誠とは違い、私の価値観を他人に(家族にすら)押し付けるつもりはない。誰かに「男らしくしろ」とか、「女らしくしろ」と言っているわけではないのだ。

にもかかわらず、私の発言はアウトだと否定され、ジェンダーレスという考え方を押し付けられる。多様性云々を言うのであれば、私の価値観はどうして尊重されないのだ?

ジェンダーフリーはたしかに社会課題として皆で達成しなければならないと思う。よって、その考え方は広く共有されてしかるべきだ。

しかし、ジェンダーレスという考え方は個々人の指向性の問題である。もちろん沖田のように否定してはいけないが、だからと言って他人に強要するのはいかがなものだろうか。

アップデートした沖田は言う。

「その人の趣味や指向を他人が干渉するのはナンセンスだ」

そのとおり! 私は他の誰がスカートをはこうが、ブラジャーを付けようが構わない。

画像引用元 All About ニュース

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