会社を辞めた理由

就活の志望動機はラブレターだと思って書けという人がいる
であれば会社からフラレ(落ち)ても会社というのは星の数ほどあると気を落とさない方が良い

それは就職してからも同じだ
付き合ってからパートナー(会社)の悪いところが見つかって許容できないのなら別れても良いのだ
勿論こんなにまどろっこしい例えしなくとも辞めたくなったら素直に辞めよう

本題に戻ろう
私は修士卒の技術者採用として業界関係者なら知ってるという程度の知名度の企業に勤め始めた
大学の同期は先に就職していたため、社会人の辛さを聞いていたから想像と現実のギャップが無かったと言えば嘘になる

ただ、会社や上司の指示した面倒な方針に振り回され、会社や上司から細かく指示しされず振られた仕事に対して「これでどうですか?」と提案しては跳ね除けられ仕事や残業が増えていくことに只々辛さしか無かった

ここからは母関連の話なのだが
院生時代から母の容態は芳しく無く、修士一年の年末には医者から「抗癌剤治療をしなければ余命半年です」と申告されていた
抗癌剤治療は上手くいって、私の初任給は両親へクルーズ船のディナー付き観光をさせてあげたことが何より嬉しかった
それでも入社2~3年目辺りからほとんど寝たきりで容態が悪くなったときは数週間~数ヶ月の入院を繰り返していたほどだった

そんな状態で仕事のストレスと母親の心配事も重なり、母が珍しく家で過ごせていたときも笑顔や声をかける余裕すらなかった
とてもじゃないがこんな重い話を上司にして「母と過ごす時間を取りたいので仕事を減らして下さい」なんて身勝手な事を言えなかったし、「親をダシに使って楽しようとしてる」なんて思われるのが嫌で絶対にプライベートなことは言わなかった

ある日、水曜日はノー残業デーなのでそそくさと帰ろうとすると、当時の上司が「もう帰っちゃうの?(私の後輩に話しかけながら)こんな先輩になっちゃダメだよ」と冗談まじりに言ってきた
キレてぶん殴れればどれほど良かったか、この話は昭和じゃない平成末期の話だ
こんなにも時代錯誤の人間がまだのうのうと生きていられるこの会社に疑問を持ち始めた

その上司が嫌いなのと技術開発部では度重なる残業が横行しており絶対に技術開発には行きたくないと面談にて進言し技術管理部門へと配属になった

だがここでも不要な手間、無駄な労力、残業が多くウンザリしていた
指摘しても改善してくれない上司、指摘すると怒号で返してくる使えない先輩を前に自分でも精神がすり減っていくのが分かった

ある年の2月、2月にしては汗ばむほどとても暑い日の午前中だった
仕事中父からの電話が入り母が入院している病院へすぐさま駆けつけた
もう死の間際だった
目の焦点は合わず、上げたまま震わせていた母の両腕を姉と握りしめ泣きながら最期の時を過ごした

近親者の葬式には何度も出たが、死に際を看取ったのは初めてだ泣きつくしても涙が出てくる
当時二十代後半の男がこんなにボロボロ泣くとは思わなかった

忌引中は色々あり、何が何だか分からないまま終わってしまったが、1つだけ思ったのが67歳という若さでこの世を去った母が本当に満足する人生を終えれたのだろうかということである
死人に口なしなので分かるはずもないが、私の人生の糧にはしたい
私の人生はちゃんと満足して終えようと

そうなったときにこんな仕事をし続けて果たして幸せになれるのだろうかという長年抱いてた疑問を実行に移す時が来た
手に職をつけるために難関な国家資格を取得しようと決めた
勿論、起きて終電間際まで働き寝るだけで一日を消化してしまう日々ではとてもじゃないが勉強時間など取れようもないので退職を決めた
しかし予備校にも通わなければいけないので一年間貯金をできるだけした
昼も弁当や外食をしていたのに一個百円未満のカップ麺しか食べなかったほどだ
貯金も貯まったところである程度仕事を片付けられる年末~年度末にかけてがんばり後腐れなく上司に有無を言わさず退職願を提出

これで令和の時代とともに無事無職となれたわけだ
会社など星の数ほどある
嫌なら辞めよう
「誰にも相談しなかったのか?」とパワハラまがいの行為を繰り返す上司と最後の面談をした際、「はい、自分の人生なので自分で決めました」と言った自分を今でも褒めてあげたい


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