2020 1002
私が死んだ後も「この世界」は続いていく。「私」不在の「この世界」はあり得るが、それが「いまのこの世界」と一致するのだろうか。そして全ての「いまのこの世界」が全て私の死因であり得る。世界の中にあるとは祈りであることと同義である。世界とともに祈るのではなく祈りであるということ。
(注釈 「私」であるのは、世界の手前に開かれる「観点/地点」のそれしかなさで、それの現実性〈現に〉に排中律を適用することで独我論を帰結することが可能になる。ここでの祈りというものと、それの関連を考えた。次