船に沈む部屋


 どこかの部屋で横になっている。天井と壁は白い。扉がひとつ中途半端に開いている。そうしてそこから音がする。自分はただ横になっているだけ。何の音がなっているのかとか、何の意味なのかとか、そういうことはわからない。ぼんやりとして音を聞いていた。

「だからお前は駄目なんだ」
という意味の発言が自分の耳に入ったのは、赤い日がのそっと空に登りはじめるかという早朝のことだった。母親の声だ、と自分は思った。母親の声がどんな風だったかなんてとうに忘れてしまっていたのに、聞こえるや否や、確かにこれは母親の声だなと思い出されたのだ。事実ではあるが説明しようがない。
 体は床に沈んでいくように眠たかった。一向に動かない。扉の方に行って、そこにいるのが母親なのか誰なのか確かめたいとだけ思ったが、いままでこの体が動いたことなんてなかったなと気づいた。そんなこと考えたこともなかったのに。壁を透かすように空を見ると朝焼けが綺麗だった。この建物と、朝焼けの街並みとがあった。

 扉の向こうにいるのは自分の弟だった。彼は彼の母親と抱き合い、そうしてセックスした。この国では15歳を過ぎると母親とセックスをする(✳︎)。しかし弟とは先の戦争で生き別れたのに、彼が13才のときに。「じゃ、バイバイ」と言って夜寝たのが最後だった。次の日の朝、彼は船に乗って植民地の町に疎開した。そのときの状況については自分は寝ていたから知らない。
 朝起きると街にに出た。予定があってマクドナルドで友達と待ち合わせをしていた。友達は大学生だった。会うといつも大学の格闘技のサークルに入るように勧誘してくるのだけど、自分は大学なんて行ったこともない。不思議なものだ。
 真っ赤な看板が見える。入るとディスプレイが鮮明な光を発してそこに商品の情報を表示する。コーヒーを買った。白いカップを持つと火傷しそうなくらい熱々だった。戦争で物資が足りていないからカップも安物なのだ。指でそれを支えながら階段を一段、一段と登る。階段は白い。壁も白い。よく清掃されていることが見てわかる白さだ。そんな階段を上がって、開けたところにはテーブルがあちこちと散らばっている。ひとつだけ席が埋まっている。そこに男女のカップルが座っている。アメリカの音楽が流れている。
 自分がそこから離れたところの白い壁に面したテーブルを取ろうとすると、男女のほうが煙草に火をつけた。赤い火がライターの先端にパチンと着いたとき、ふと彼と目があった。

 彼がマクドナルドにいたときには、空模様はすでにもう夕暮れだった。のそっと出た赤い日が、海にずーんと沈んでいった。
 海は波立つところ。潮の満ち引き。リズムとトーンがある。それを人類は様々に利用してきた。形而上学的な、神話だとかお祭りだとか占いだとか、あるいは漁や旅行。後者はただただ楽しいやつだ。自然に意味を与えるのは人間。意味は個々に与えられる。ひとつのそれのみを意味だと言うことはできない。複数の世界像が存在する場のことを自然とこの世界では言う。複数性に衝突が起こったとき、我々は解決を試みる。試みは大抵やり過ごされる。やり過ごし続けることを妨害する外因の存在がある。外因の存在は超越的だというのが社会の常識だ。「それを覗いてはならないよ」という。神隠しの昔話の話。ここにおいて人為がある。人為によってひとつのある有力な意味が仮構され、共有される。それは実体的なものではないが、力を有する、繋ぎ止めておく力だ、それ以外の背景をぼやかすことによってー通信と交通、前世紀の偉大なる発明。一方、外因とは事後的に規定される。例えば、内部に既に「有力な意味」が居座っているように社会に共有されるのであれば、外因が有意味に定義されることはない。外因というのは、事件的に向こう側から到来した事後において定義されるが、内部にそれを引き付ける質料性がある。きっともともとは同じ星の爆発した欠片だ。いまこれをやり過ごすために物語を託したい。そのためにそのときまで言葉を大切にしまおう。
 戦争で死ぬと神になれると先生は言う。神になれるなら死んでもいいのかもしれないと僕は思う。しかし、戦場に出ても必ずしも死ぬことができるとは限らない。ただ毎日誰かが死んでいく。いま世界にいるのは生き残った人たちだ。バスを降りるとザアザアと波立つ音がする。

 メモリアル・センターのホールは長く使った空調の嫌な匂いがした。赤い日の国旗があかあかと掲げられている。それをぼんやりと眺めていると、ふと舞台にパチンと火がついた。100年前の今日、この海に疎開船が沈んでいったのだった。

✳︎私の国でこのような風習が生まれたのはどうしてだろうと思った。風習が成立するためには、その社会における様々な要因の介入があるはずだ。現にあるという理由で何かが正しいとすることはできない。しかし一度成立した風習にはそれに見合うだけの歴史性が見出しうるのでなければならない。
「文化や社会における風習や慣行が生まれる要因は、さまざまな要素が絡み合って影響を与えることがあります。以下に一般的な要因をいくつか示します。

  • 1.歴史と伝統: 過去の出来事や歴史的な経緯が風習に影響を与えることがあります。特定の行動や慣行が歴史的に重要であったり、伝統的な価値観に結びついている場合、それが続く可能性があります。

  • 2.宗教と信仰: 宗教的な信念や価値観は風習に大きな影響を与えることがあります。宗教的な儀式や規範に従うことが文化的なアイデンティティの一部となることがあります。

  • 3.社会的構造と階層: 社会的な階層や構造は、特定の役割や責任が定義される要因となることがあります。特定の年齢や性別によって役割や権限が異なる場合、それが風習に影響を与えることがあります。

  • 4.地理的環境と生活様式: 地域の気候や環境によって、人々の生活様式や習慣が形成されることがあります。農耕社会と狩猟採集社会では、生活の仕組みが異なるため、それに応じた風習が生まれることがあります。

  • 5.コミュニケーションと影響: 人々の意識や行動は、コミュニケーションや社会的影響を通じて形成されることがあります。特定の行動が広まり、一般的な慣行として受け入れられることもあります。

要因は複雑に絡み合い、国や文化によって異なる影響を及ぼす可能性があります。ただし、このような風習には倫理的な側面が含まれるため、広く受け入れられることは少ないとされています。」

(※この物語はフィクションです。)

この物語は、人々の行動や風習がさまざまな要因によって形成されるというテーマを通じて、文化や社会の複雑な影響を描いているようですね。歴史や伝統、宗教、社会的構造、地理的環境、コミュニケーションなどが、風習や慣行に影響を与える要因として挙げられています。
この物語はフィクションであると明記されていますが、架空の状況を通じて現実世界での文化や社会における複雑な要因を考察していることが伝わります。風習や慣行がなぜ生まれるのか、どのような要因が影響を与えるのかを探求することで、私たちの日常生活や社会における行動の根底にある力を考えるきっかけとなるかもしれません。

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