(続)5年間続けた「推し活Twitter」を完全に辞めた話

こんにちは。YASHIです。
今回は以前書いた以下の記事の続編になります。

twitterをやめてから大体1ヶ月くらい経つのですが、それ以降の推し活の変化だったり、辞めたからこそわかる自分の「推し」への感情やTwitterとの関わりについて、もう少し詳しくお話ししたいと思います。

ちなみに私がtwitterをやめた理由を改めて記しますと、Twitterでの人との繋がりにより生じる「日常の共感を得たい」という「承認欲求」が、推し活を飛び越えて避けるべきプライベートの行動も誘発していたためです。

Twitterをやめた後

メンタルと体調を崩す

私はTwitterの機能にあるクラブハウス的な「スペース」を使って、多くの推しのファンの方と交流してきました。直接会話をしてはいなくても、友人のような距離感で皆さんと接してきましたし、日常のコミュニケーションツールとして大きな役割を担っていました。
それがなくなるということは、その人達との関係もほぼ失われるということです。そのため、やめて1週間は喪失感と孤独感からメンタル的に不安定でしたし、体調もかなり悪くなりました。


「推し」への意欲が変化

前回の記事と重複しますが、Twitterをやめた後はフォロワーの大多数を占めていた某グループへの推し活の意欲が低下しました(雑食オタクなので様々なグループを推していて、そのグループの一つです)。
これは、ファンとの交流によって生じていた外発的推し活モチベーションがごっそり失われたからです。別の見方をすると、外発的モチベーションが推し活の基盤になっていたという事です。
念の為言っておくと、グループ自体を嫌いになったというわけではありません。

これについてはネガティヴな話だけではなくて、twitterをやめて誰とも情報共有を行わなくなった今でも能動的に推しているグループは、内発的モチベーションが高い、つまりは自分意外の誰の意も介さず純粋に好きであるグループであると気づきました。


日常とTwitterの融合

なぜTwitterと日常が密接に融合したのか

結論から言うと、「孤独感」からであると思います。私自身元々友人は少ない方ですし、その状況に劣等感を持っていました。
5年前の坂道アカウントから始まるTwitterでのファンとの繋がりは、この孤独感を紛らわせてくれ、そしてスペースやオフ会で文字以外の付き合いをする事で、自分の中で「リアルな繋がり」を感じられていました。
(繋がってくださっていたフォロワーさんには今でも感謝しています。)


生存本能という本質

しかし、前回の記事に記した通り、推し活アカウントとしながらも日常のことも多く呟いており、一番の問題点となっていたのは長らく私生活の優先順位を無視して「Twitterで見てもらうために行動を決める」ことが基本的な軸となっていました。特に飲酒のツイートなどが反応がよく、金欠でも散財してTwitterに載せることがしばしばありました。
冒頭に記した『日常の共感を得たい」という「承認欲求」が、推し活を飛び越えて避けるべきプライベートの行動も誘発していたため』という理由で生じていたと思います。


ここで、岡田斗司夫先生の切り抜き動画で興味深いものを見つけたので紹介します。

こちらの動画で話されていることを一部抜粋しますと、
「SNSでの自己承認欲求の正体は、群れの中で殺されたくないという原始の本能であり、人間をお喋りにし噂好きにする」とありました。
(詳細は実際の動画をご覧ください)

これを聞いて私自身の行動に合点がいくようになりました。
ここでいう「群れ」とは私にとってtwitterのフォロワーさん達(群れという言い方は失礼なので以下「コミュニティ」と記します)であったと思います。そして私自身が日常生活でコミュニティをほとんど持てずに劣等感を感じていたので、twitterのフォロワーさんたちは貴重な「コミュニティ」と自分の中で無意識に昇華していたと思います。
だからこそ、「推し活」という枠を飛び越えて、その貴重なコミュニティの中から排除されないために時間、お金、睡眠よりもTwitterで呟いて見てもらえる(注目をうけやすい)行動を無意識に優先にしていたという状況だったと思います。
私生活のメンタル面が安定していれば、このような状況にはならなかったと思いますし、Twitterをやめるまではしなくて済んだと思います。

ちなみに先に書いた某グループへの外発的推し活モチベーションがごっそり失われたという話ですが、Twitterのコミュニティの中で生き残るために推し活をしていたという側面もあったと思います。


最後に~Twitterは悪ではない〜

私自身のかなりネガティブな状況を書いてきたわけですが、そもそもTwitter自体は悪ではありません。使用が過剰にならなければ良いだけです。私は私生活の余裕のなさが生存本能を刺激して、(自分にとって)過剰なTwitterの活用に向かってしまったと思っています。
このネガティヴを抜け出してポジティブになるために、その本質的な部分に今は向き合っているところです。

純粋にSNS上で推し活を楽しみ、ファンと仲良く交流するということ自体全く問題はないです。
しかし、もしそのSNS上での行動理由に不安、恐怖、焦りなどネガティブ思考が含まれていると少しでも感じたら、一度立ち止まって、その感情の理由を考えてみるのが良いかもしれません。


最後までお読みいただきありがとうございました!



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