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パパ様ゆかりの銘醸ワイン(前編)

フランス・アヴィニョン・シャトーヌフ・デュ・パープ

ワインの名称には歴史が色濃く反映されていることがある。「パパ様(教皇)の新しい城」という意味からシャトーヌフ・デュ・パープとよばれる南フランスのアヴィニョン近郊の特産ワインもその一つ。

中世でも13世紀から14世紀にかけてヨーロッパ、主にイタリア、フランス、ドイツでは、キリスト教社会の長たる教皇と、世俗社会の権力者たちが対立し合っていた。なかでも14世紀初頭のフランス王フィリップ4世は教皇庁と激しく対立し、教皇ボニファティウス8世をイタリアの山中、アナーニで捕縛を画策、それが起因で教皇が憤死した。後の教皇選挙(コンクラーベ)でも大きな影響力を発揮した。

王の強い影響下にあったボルドー大司教をクレメンス5世とし、その就任の儀式もアヴィニョンの北200kmのリヨンで、フィリップ4世が臨席のもと挙行された。それ以来約70年間、教皇庁はフランス王の影響下に置かれ、歴史上、教皇のアヴィニョン捕囚と呼ばれているが、現実はフランス王主導の教皇庁の南フランス、アヴィニョンへの移転であった。

さらにフィリップ4世は、莫大な資産を保有していた聖堂騎士団を教皇に強制的に解散を宣言させ、その資産を没収した。その中にはフランス南部の広大なぶどう畑もあった。それはフランスの絶対王政の始まりを意味した。

ぶどう畑の向こうの丘に人口約2000人のシャトーヌフ・デュ・パープの村と丘の頂に教皇の夏の宮殿の城址が見える。
ぶどう畑の土壌(テロワール)は、主にこぶし大の茶色の石、石灰の小石、砂粘土の3種類 。年間約100日ミストラル(強風)が吹くので、ぶどうは地下約20mまで深く根を張っているという。そのために各種のミネラルを含んでいるといわれる。
シャトーヌフ・デュ・パープのワインの紋章は、教皇冠とイエスが聖ペテロに与えた天国の鍵。

ワイン好きのアヴィニョンの歴代教皇たち

アヴィニョンの歴代教皇たちはワイン好きが多く、最初のクレメンス5世はボルドー出身で自身もワイン醸造家を所有し、そのワインは後日シャトー・パープ・クレモンと呼ばれる。アヴィニョン教皇二代目のヨハネ22世は、アヴィニヨンの北、5kmの地のシャトーヌフの城塞を改修、補強し居を構えた。

シャトーヌフは南仏最初の教皇宮殿ともいえる。南仏の赤ワインの産地カオール出身のヨハネ22世は、故郷からブドウ農家、ワイン醸造家を連れてきた。聖堂騎士団が所有し、放置されていた村周辺の農地をブドウ畑に再開墾させた。シャトーヌフ(新しい城)・デュ・パープのワインの誕生であった。

シャトーホテルのテラス・レストランの眼下に銘醸ワインのためのぶどう畑が拡がり、臨場感は満点

ヴェレイゾン(ぶどうの色変わり)祭

シャトーヌフ・デュ・パープのAOC「原産地統制呼称」のワインは、近隣の四つの町村にまたがり、300のワイナリー(醸造家)がある。

毎年、8月上旬にシャトーヌフ・デュ・パープで「ヴェレイゾン祭り(Fête de la Véraison)」と呼ばれるワイン祭りが開催される。
ヴェレイゾン(Véraison)とは、この時期、ぶどうの実が緑から黄緑、そして紫に移り変わる変化をいう。ぶどうの実の色付きと熟成、芳香には、土壌に水分が多すぎず、十分な日照が必要だ。この時期のアヴィニョン周辺は澄み切った青空のもと猛暑が続く。しかし日中は30度を越すが、夜間は気温が20度以下に下がり、湿気もないので暑くても比較的過ごしやすい。こうした寒暖の差もぶどう栽培、ひいては銘醸ワインの醸造には必須ともされる。

ワイン祭りを訪れる前に、事前に予約しておいたシャトーホテル「Hostellerie Château des Fines Roches」に立ち寄り、荷物を置いた。シャトーホテルとしては比較的廉価であったが、分不相応の宿泊施設。ワイナリーも所有していて、城館の前に広々とぶどう畑が広がり、ワインの村を訪問するには何にも代えがたい好立地、好条件のホテルだ。
レストランもあるので軽く遅めのランチを、と思ったものの、ボーイがぶ厚いワイン・リストまで持ってきた。訊くとグラス・ワインもあるという。前菜に白ワイン、メインに赤ワインを依頼した。ともにシャトーヌフ・デュ・パープの銘醸ワインで、ボトルにあの教皇冠と二本の鍵の浮き彫り印が。

ぶどうの緑と赤茶けた土色が縞の畝をなす光景を前にパパ様のワインへ敬意を表しながら贅沢な至福の時を過ごした。部屋に戻り小休止して、英気を養ってから、ワイン祭りが開催されているシャトーヌフ・デュ・パープの中心街へ向かった。

後編に続く

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