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にっちもさっちも期間

映画好きの友人に誘われて、「プリズン・サークル」という映画をオンラインで観た。

受刑者同士の対話を通して、自分の内面と向き合い、更正を促すTC(Therapeutic Community=回復共同体)という取組に密着したドキュメンタリー映画だ。

犯罪や問題行動を起こしてしまう人の多くは、加害者になる前に沢山の理不尽の被害者であることは、本や仕事を通して以前から少し知っていた。

その上、当事者同士の対話を通して、自分で自分をケアしていくことにも関心があり、とても興味深く見始めた。

映画の性質上、彼らが経験してきた過去の虐待やいじめの描写も含まれるが、砂絵のアニメーションで表現されているので、過激な場面はなく、多くの人に届いてほしい思える、とてもいい映画だった。

そう。とてもいい映画だった。なのに、親子関係に難ありの環境で育ったあたしは、情けなくも、観た直後からなんだかすっかり気持ちが参ってしまい、心も身体も思うように動かない「にっちもさっちも期間」をすでに1週間程過ごしている。

本当は「いやー。こんな良い映画なのに、なんでこんなにしんどくなっちゃったかなぁー。全然分かんないなぁー。疲れてたのかなぁー。」としらばっくれていたい。

それがダメなら「考えるな。思い出すな。寝とけ。向き合うな。」と寝かしにかかる身体に任せて、いつまでも布団で寝ていたい。

なのに、親子関係に向き合う彼らの言葉が、あたしの心の奥底に押し込めてある、触れられたくない気持ちをつつく。

愛してもらえなくても、それでも親に愛されたかったという彼らの願いに「あたしだって」と呼応する。自分と向き合う人の言葉って、こんなにも強いのかと気圧される。

慌ててそれを押し込める。「もういいじゃんか。好きなこと仕事にして、やっと家を出たんだ。もういいじゃんか。いちいち親を持ち出さなくても。友人に上司に恋人に、人並み以上に大切にしてもらったじゃんか。」と自分を諭す。

前までは、ぐいっと押し込めて、すぐ出てこないように出来たのに。年齢を重ねて腕力がなくなってきたのか、最近これに苦戦する。

あーもう、悩むのも寝込むのも面倒臭い。年齢を重ねたからか、この【面倒臭い】の中身が【回避】だということにも気付いてしまって、なおやりづらい。

でも、年齢を重ねたから知っている。にっちもさっちも期間には終わりがあって、よく休んで栄養をとったら、突然ふわりと抜け出せる。

言語化しだしたら、もう少し。
もう少しもう少し。

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