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波乱の人生を歩んだルソー

 お久しぶりです。随分記事の更新が滞っていました。改めて、腰を据えて勉強せねばならない、と自分を奮い立たせるためにも、記事を書くというノルマを自分自身に課すつもりで、ルソーの記事の更新を復活させようと思います。

 今回書くのは、ルソーの略年表のようなものだと思っていただければ幸いです。本来ならば通説以外の深みのある内容を多分に含んだ記事を書くべきかもしれませんが、そうはいってもまずは通説を知っていただくことが先だと考えています。どうぞお付き合いください。


幼少期

1712年(0歳)

 我らがルソー、6月28日にジュネーヴで生まれます。父イザークは時計職人で、母シュザンヌはルソーの生後9日で死去してしまいます。

1717年(5歳)

母方の実家へ転居します。蔵書を読み漁るルソーの読書人生がここにはじまります。驚くべき早さ。早熟の天才です。

1722年(10歳)

父が地元の有力者と諍いを起こし、ジュネーヴを出奔する羽目に。それを受けてルソーはやむなくランベルシエ牧師宅に預けられることになります。

1725年(13歳)

彫金師デュコマンのもとで徒弟奉公をはじめます。しかし何と親方の圧制への不満から盗みに手を染めるように。 

運命の出会い

1728年(16歳)

ジュネーヴを出奔。アヌシーでヴァラン夫人と出会います。このヴァラン夫人がルソーの人生を大きく左右します。
また、トリノに行ったルソーはカトリックに改宗します。マリオンのリボン事件(いつか記事にできればと思っています)が起こるのもこの年。

1729年(17歳)

結局ヴァラン夫人のもとへ戻ります。この頃から互いをmaman(母さん)、petit(坊や)と呼び合う仲に。

1731年(19歳)

シャンベリーのヴァラン夫人の新居へ引っ越します。

1733年(21歳)

ついにヴァラン夫人と愛人関係になります。夫人のもう一人の愛人クロード・アネとの三角関係が勃発。

1738年(26歳)

ヴァラン夫人に新たな愛人ができていることを知り大きなショックを受けます。

1742年(30歳)

パリへ上京します。

1745年(33歳)

後に結婚することになるテレーズ・ルヴァスールと出会います。

1746年(34歳)

テレーズとのあいだに第一子が誕生。経済的理由などから、以後第五子まですべてを孤児院に託します(が、後々これが大スキャンダルへと発展します)。 

成功者へ

1749年(37歳)

「ヴァンセンヌの啓示」が起こり、懸賞論文への応募を決意します。

1750年(38歳)

懸賞論文に当選。一躍名声を得て、論文を『学問芸術論』として刊行し、大論争が起こることに。

1752年(40歳)

オペラ『村の占い師』を上演。

1754年(42歳)

プロテスタントに再改宗します。また、ジュネーヴ市民権を回復します。

1755年(43歳)

『不平等起源論』を刊行。

1757年(45歳)

モンモランシーに移住。

1761年(49歳)

『新エロイーズ』刊行。18世紀最大のベストセラー小説に。 

迫害

1762年(50歳)

『社会契約論』、『エミール』を刊行。これ以降ルソー迫害の機運が燃え盛ることになります(以下に略記します)。

4月初め   『社会契約論』印刷完了
4月13日 アムステルダムの出版業者レイ、パリへ『社会契約論』を発送
5月27日 『エミール』出版
6月3日  当局による『エミール』の押収
6月5日  『エミール』、『社会契約論』がジュネーヴに
6月7日  ソルボンヌによる『エミール』の告発
6月9日  パリ高等法院によるルソーへの有罪判決と逮捕令
6月11日 パリにおける『エミール』の焚書
ジュネーヴにおいて『エミール』、『社会契約論』は書店封印処分に
6月19日 ジュネーヴにて『エミール』、『社会契約論』の焚書執行
ジュネーヴにてルソーへの逮捕令(ジュネーヴ市民権を放棄)
6月23日 オランダで『エミール』の販売が差押えに
7月1日  ベルヌ政府、ルソーに対しベルヌ州領内からの退去を命令
8月20日 ボーモンが『エミール』断罪の「教書」を執筆
8月28日 「教書」公刊
(ルソーは教書の存在を亡命先のモチエで知り、2か月後、教書の一部を手に入れて反論の準備に取り掛かることとなる)
9月9日  ローマ法皇庁『エミール』を発禁処分に
11月18日 ボーモンの手による「教書」に対する返答『ボーモンへの手紙』執筆

1763年(51歳)

『ボーモンへの手紙』を刊行。

1765年(53歳)

サン=ピエール島へ移住。植物採集と湖の散策に明け暮れる「つかの間の幸福の日々」を送ります。

1766年(54歳)

ヒュームの支援によりロンドンへ移住するも、ルソーの思い込みにより、二人の関係は断絶することに。 

失意のうちに

1770年(58歳)

『告白』が完成。

1776年(64歳)

『ルソー、ジャン=ジャックを裁く 対話』が完成。

1778年(66歳)

『孤独な散歩者の夢想』「第十の散歩」(未完)に着手。
7月2日、テレーズに看取られ死去。享年66歳。ポプラ島に埋葬されます。 

死後

1789年

フランス革命が始まります。

1794年

遺骸がパンテオンに移され、ヴォルテールの横に埋葬されることに。革命の


 いかがでしたか。おおよそ内容を列挙しただけですが、彼の人生が波乱に満ちた、特異なものだったことが何となくお分かりいただけたのではないでしょうか。今回はこれくらいでおしまいにしましょう。

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