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OH!へんろ。親子の88か所巡り(29番札所):摩尼山 国分寺(高知県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

土佐国分寺の近くには、紀貫之の邸宅跡があります。土佐日記ですね。紀貫之は第48代土佐国司として赴任しました。貫之が4年間の任期を終え、京都への帰途についたのは、承平4年(934年)12月21日のことでした。

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今日の煩悩:

妻も2人の子どもも沖縄県生まれです。私だけ仲間外れです。ナイチャーです。下の子は里帰り出産で生まれているので、ほぼ高知で育っています。幼稚園の友達の中で鍛えられたので、かなりの土佐弁です。

にもかかわらず、沖縄に行くときは「沖縄に帰る」と言い、自分のことも沖縄人(うちなんちゅ)と言います。このアイデンティティの強さは興味深いです。

私は千葉県で生まれ育ちましたが、「千葉んちゅ」と思ったことはありません。ジャガーさんを懐かしく思う程度です。

私は子どもたちに特別な教育はしていませんが、仕事の関係で我が家には留学生や高知で働く外国の方がちょくちょく来ます。

彼らが日本語が上手なので、子供たちは外国語はできませんが、小さなころから外国の人や文化には抵抗がないようです。何となくですが、娘も息子も年頃になったら外国に行くんだろうなという気がします。

異文化理解教育や国際教育を子供に受けさせたい親も多いようですが、当然のことながら、将来、子供たちが地球の裏側で結婚して暮らす可能性も増します。外国語を身に付けたり、国際問題に理解を深めれば深めるほどに、その可能性は高くなりそうです。

スキルと知識だけ身に付けて、日本で国際感覚を活かせる良い仕事に就いたり、親の近くで暮らしてもらうことを考えるのは、都合がよすぎるのかもしれません。

妻は、フランスでパティシエの修行をしたらいいんじゃない?とか、デンマークの大学がいいんじゃない?ハワイ大学がいいんじゃない?と、自分が付いていく気満々のアイデアを提案していますが、そんな都合よくいかないのです(子供も親に付いてこられたら嫌でしょう)。

義理の両親も、本音では娘に「うちなんちゅ(沖縄の人)」と結婚をしてほしいと思っていたそうです。それも任期付きの仕事にしかついていなかったないちゃー(内地の人)との結婚を喜んで認めてくれたことは、感謝しかありません。

そういえば、義理の両親は高齢で持病もあったにもかかわらず、パラオにも、ザンビアにも娘と孫に会いに来てくれました。

アイデンティティが沖縄にあれば、世界のどこでも花を咲かせられる。世界のうちなんちゅ、の精神なのかも知れません。

うちの子どもたちも、勉強しなさいと言ってしまった以上、どこの国で暮らしたいと言われても、送り出さないわけにはいきませんね。

まあ、妻も私も、絶対に会いに行って、入り浸っていることと思いますが。

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御詠歌:

国を分け宝を積みて建つ寺の 末の世までの利益残せり

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本尊:

千手観世音菩薩

創建:

天平13年(741)

真言:

おん ばざらたらま きりく

歴史:

聖武天皇(在位724〜49)が天平13年頃に、全国68ヶ所に国分寺を建立したました。土佐では行基菩薩が開山し、万民の豊楽を願う祈願所として開創されたそうです。縁起によると、弘仁6年(815)に弘法大師がこの地を巡錫した時に、毘沙門天像を彫造して奥の院に安置したとのことです。

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所在地:

高知県南国市国分546

駐車場:

普通車 無料

公式HP:

http://www.tosakokubunji.org/



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