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妻はゼミ生1:お題は、社会の尺度・ものさしを「お金以外のもの」にしたい」イルガチェフェのウオッシュドを飲みながら

妻はゼミ生

妻はゼミ生を18年くらいやっています。もちろん、本当のゼミ生ではないですよ。私のくどい話を聞き続けて18年ということです。そして、話しが本当にしつこいと思った時は、「プラトン以降、とくにメタ・フィジクスで世界を見ようというあの視点がこの課題の起点・・・ぶつぶつ」という話に、「ここにね、シナモンをかけると美味しいのよ」「イルガチェフェのウオッシュドで浅煎りが一番好きだわ」と返してくるのです。

これが出たらね、ゼミは強制終了、あるいは再起動ボタンを押す必要があります。そして、「きな粉黒ゴマクリームも美味しいよ」という返事をしないと、その後、一週間口をきいてもらえなくなるという地獄を味わうことになります。しかし、妻は、この間に社会学の修士号を取得してしまった次第です。

AIとBig dataと機械学習

今回は、珍しく話にあちらからお題が出されました。テーマは、社会の尺度・ものさしを「お金以外のものにしたい」です。そういえば、昨年あたりから私に「時間銀行」について色々質問してくるようになりました。

人工知能(AI:artificial intelligence)が花盛りです。AIはディダクティブ、つまり「演繹」がお好きです。あらかじめ目的やルールを設定されている世界がAIのお得意の分野です。もうひとつは、BIGデータに機械学習です。こちらは、インダクティブ、つまり「帰納」がお得意で、膨大なデータからパターンを導き出します。

息子が泣いていたとして、AIはデータから現象を分析し、相関関係にあることをピックアップすることは出来るかもしれません。しかし、最終的に何故に彼はそんなに泣いたのかの因果関係までは決定できないでしょう。この因果を見極めることができるのは、もっともらしい仮説を推定する、アブダクティブな能力だとおもわれます。これは人間のなせる技です。

今のところ、人間である私は、原因を息子がラムネを落とした近くに犬のふんが落ちていたので、拾って食べる3秒ルールが適用できなかったから、と推論します。

AIが支配しやすいようにせっせと働く人間

近代化は、あらゆるものを「計算可能化」すること、その結果として生まれた複雑なシステムをマネージする「官僚制」を推進力としてきました。色々なことを分類したり、計測したりして計算可能にすると、数学が適用できます。数学的にとらえることが出来れば、予測や計画が立てやすいですね。たぶんですね、これが得意な人が高級官僚や大企業の社員に採用されていったのでしょう

精密な自動車や電気機器を製造したり、複雑な制度を運営するために、気合やその場のノリだけでは作れませんが、設計図があり、そのとおり造る能力と忍耐があれば、仮に気合やノリが無くても完成させることができるかもしれません。そう考えれば、メタ・フィジクス(超自然かつロジカルに俯瞰)は近代化に欠かせませんね。西欧社会が「発展」したのもうなずけます。この「発展」の形が良かったのかどうかはわかりません。

GDPというものさし

母ちゃんがいう「お金のものさし」の一つがGDPでしょう。経済活動をGDPという指標で数値化することで「GDPの成長率を何%にしよう」という話ができるわけです。ただし、GDPが私たちの生活を正しく捉えることができるかは別の問題です。戦争や災害が起きた後や病人が増えた時もGDPが上がります。壊れた建物を復興したり、病院で治療するからです。自然環境に良くないことをしてもGDPは上がります。森林を乱伐したり、魚を乱獲したり、海底資源を乱用してもGDPは上がるでしょう。あれ?SDGs(sustainable development goals)って、GDPと組み合わせちゃダメなやつ?

家事を夫婦の平和な努力で成し遂げても、GDPはゼロです。例えば、私が専業主夫で、さらに両隣の家庭の家事を請け負います。そして、彼らが労働市場で稼ぎ、私の家事労働に対価を払ってくれれば、GDPが上がります。労働市場で働いた人は、家事に使っていた時間をお金に変えることができたと喜ぶかもしれません。しかし、子どもと触れ合い、次世代を育てる時間、自分と家族のためにご飯を作る時間、掃除をしながら無になる時間と引き換えにすることになります。ちなみに、これらは幸福度を上げる行為として多くの研究者が指摘しています。

お金以外のものさし

先ほど話が少し出た「時間銀行」は、お互いに助け合ったお礼を「時間」として貯蓄します。例えば、子どもの様子を見ていてくれた隣のおばちゃんにシステム上で「時間」ポイントを渡します。そして、今度、おばあちゃんが庭の草引きをする時に、その時間ポイントを払って、近所の学生にお願いすることができるという仕組みのことです。

私たちは便利が大好きだし、そのためにいろいろなものを計算可能にしたいという欲求が生まれがちです。「えっ、それは計算可能性を当てはめては駄目でしょう」というものも数値化したい衝動に駆られてきました。マイケル・サンデルが『それをお金で買いますか 市場主義の限界』で記しているのはそのようなことだと思います。たしかに、定量化、ロジットの妥当性が得られれば、きっと便利なサービスになるのでしょうけど。人間の人間たる特徴、幸福感や孤独感を薄める機会を自ら捨てていくことにならないか心配でもあります

多様なものさし

これまで、ひとつの「ものさし」を与えられたら、それに向けて忍耐強く頑張ることが、評価されてきたのかもしれません。偏差値や学位もそうかもしれませんね。そうしたシステムの内部で評価される方法を身に着けた高級官僚や大企業のエリートはその「ものさし」を利用することで自分を活かせたます。しかし、そもそも「偏差値」なんか関係ない分野で腕や技術で勝負したいと思っていた人も、強制的にその枠組に組み込まれて、マッピングされ、偏差値が低いという「自己肯定感」「自己効力感」を貶めるシステムにあの手この手で同意署名させられてきたわけです。

これからは、既存のものさしも相変わらず幅を利かせそうですが、「ものさし」の種類が多様になっていくだろうとは思います。それに、敬愛する竹内まりや様も「しあわせの基準測るものさし 自分の心のなかにあるのさ」と申しておられます。

理論合理性のその先に何を求める

新自由主義的な自己責任論を血肉化した人は、労働市場でがっつり働き、お金があれば生活に困らない都市での生活を求めるでしょう。新自由主義的な個人主義の社会では、(数字で一元的に管理できないことは無駄と考える人は)自身のキャリア、夢、お金を増やしていくことを優先し、GDPを生まない家事や育児は、その時間で働いたより多くのお金で手に入れると割り切ったほうが賢いと自画自賛するかもしれません。そして、「誰にも迷惑かけないで暮らします」というでしょう。

ただし、合理的なシステムを指向し続ければ、不合理極まりないのは人間のほうです。システムは人間のことが邪魔になるんじゃないでしょうか。そして、すでに成りつつありますが、人間がシステムを使うのではなくて、システムに合わせて人間が働く。システムを維持するために、システムからご褒美を得ながら人間が働く。

お金があれば困らない社会は、お金が無くなれば困ってしまう社会ということです。それを避けるために、人間は集団で生きるように進化し、生存戦略に適合したことをした時に「幸福感」を得たと考えるのが自然かなと感じます。AIに人間が支配される時代がそうやすやす来るとは思えませんが、でも、AIが人間が喜びそうなメロディと、感動しそうな言葉を組み合わせて歌を作ったとしたら、それは既にコントロールされていることになるのかもしれません。人間がどのように感動しているのかを追体験できないAIに。

父ちゃんの遺言

私も、子どもたちに「ものさし」は多様なんだよ、という態度で臨みたいと思っているものの、「塾に行きたい」「中学受験したい」と言われ、模試の結果を見せられると、何がよろしい選択か、わからなくなるのです。それでも、システムに飲み込まれずに、人間らしさとのバランスをとって、関係性を大事に暮らしてほしいなと思うのです。もう、父ちゃんの遺言はそれでよいと思っています。

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