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大学院生警備員の小砂13:今度は病院の警備員

ここの話は私が20代の頃のしょうもない経験と考えたことを元に回想し、解釈しているだけで、必ずしも正しい知識ではないことが含まれていることをあらかじめおことわりしておきます。
1992年、夏。私は朝の新聞配達以外は「引きこもり」のような生活から少し歩みだし、20歳の時に江東区にある高層ビルで警備員のアルバイトになりました。夜間のアルバイトです。そして、夜勤の警備員アルバイトをしながら、21歳の時に大学生になりました。

さて、かなり時間をすっ飛ばしてしまいます。

就職をせずに一年更に浪人して24歳で大学院に合格しました。今思えば、入学までの間に他にやることいろいろあるだろうと思ったのですが、貧乏性だったもので、神戸での大学院生活に集中できるように期間限定の資金調達をすることにしました。大学の同期はよく聞く名前の企業に就職し、一年目からボーナスが出たというキラキラした話を聞く中で私が選んだのは「自動車の期間工」でした。

愛知県田原市で、5か月間の期間工の仕事で健康的に資金を貯めた私は、神戸市に赴きアパートを借りました。風呂とトイレ付で21000円也。今ならばインターネットでちゃちゃっと探すのですが、当時はわざわざ神戸に行き、近くの不動産屋さんで安い物件を探すのでした。今思えば、せっかくの神戸なのでもっと良い部屋を探せばよかったのにと思いますが、まあ、どこでもよいと思っていたので、そんな部屋になりました。

神戸はまだ震災の傷跡が残っていましたが、私のアパートは築年数がきわめて古いにもかかわらず、立地が山の方でしたので岩盤強くあまり被害が出ていなかったようです。神戸市中央区のはずれでしたが、街は大変好きでした。一生神戸に住んでもいいなと思えるそんな街です。坂が多くて自転車での帰宅は大変ですが、20㎏以上落した体重はおかげで保たれました。

アルバイトも、もっといろいろ考えればあったと思うのですよ。でも、再び警備員になりました。勤務時間はかなり少なくしたので、授業等にはほとんど影響は出ませんでした。こんどのアルバイト先は、病院です。病院の警備は、大学生の時の警備より「より警備員ぽい」仕事でしたが勉強になりました。

夜中に病棟から抜け出してくる患者さん、門限を過ぎて寮に帰ってくる看護学校の学生や看護師さん、急患で尋ねてくる患者さん、救急車からの問い合わせ、手術のための麻酔医の呼び出し。色々です。

こちらの警備ではコンビを組むのが年配の方で、仮眠の時間を交代してあげるとたいそう喜びます。なので、大学院の宿題があるときなどはその時間を活かして勉強したりしました。

基本的に飛び込みの患者を受け入れない方針だったので、そこまでてんやわんやになることはなかったのですが、やはり、病院、いろいろな物語はありました。

警備員の仕事は、にんげんを観察します。

歩き方、顔の表情、目線、口元。そのほか、矢印やカンバンとひとの動線、言葉(繰り返し、速さ、言葉の選択)。定型の行動をしていれば、こちらのセンサーもさほど働きませんが、非定型の行動にはとりあえずセンサーが働きます(非定型が悪いわけではありません)。そして、何気なく観察を続けたり、声掛けをします。

私はこの後、青年海外協力隊に参加して、知らない土地で御用聞きのような生活をしたり、外国の政府機関とのお仕事や大学での教員をすることになりましたが、だいたい、このにんげん観察や、この言動の本当の意味は?といろいろ考えて行動をしようとする態度の醸成に、警備員の経験が役立っているのかもしれないなあと思うのでした。

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