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居酒屋韓国 021 -気がつけば、いつもと違う友情の成り立ち方がそこにありました-

【これは『居酒屋韓国』というエッセイ集の一つの記事になります。韓国で韓国人の友人たちとの交流を通して経験したことや知ったこと、韓国語についてなど色々と書き綴っています。(小休止は主に韓国語学習について書いています)】

 私は友人と一緒にお酒を飲むために韓国に行きます。最近はようやく韓国語も何とか聞き取れるようになり、以前に比べて韓国語でスムーズに会話ができるようにどうにかなってきました。ですから、以前の私は友人との会話の内容をちゃんと理解していないこともありました。そんなまだ韓国語がしっかりと理解できていなかった時だったにも関わらず友人に言われたことで、今でもしっかりと覚えている、印象的だった言葉たちがあります。
 その一つが「私たちはお互いが何者なのかちゃんと知らない」という言葉です。
 これはけっして悪い意味の言葉ではありません。もちろん、出会って5分の相手に言われた言葉でもありません。


 市場にある屋台でお酒を飲みながらいろいろな話をしていました。あれはその友人と出会ってから2年か3年は経っていた頃だったと思います。お互いがどんな仕事をしているかも知っていましたし、どんなことに興味があるかもしっていました。しかし、その友人はさっきの言葉を私に言いました。それは違う国に生まれ、違う国で育った私たちを象徴した言葉でした。
 お互いが何者なのか知らない。それは簡単に言ってしまうと、どんな人生を過ごしてきたのかを知らないということです。もちろん、お互いの情報は伝え合うことができます。例えば、ソウル大学を卒業したとか。でも、正直ピンと来ませんよね。ソウル大学は、日本で言うところの東大にあたるのですが、頭では「凄い!!」と理解できたとしても、実感がないというか、どこか心の遠いところで凄いと感じているというか、ピントがぼけているんですよね。それが仮に日本の東大だったとすると「やばっ。私と違う人だ」とか、すぐに実感として感じられると思うんです。それに、聞いても分からないこともたくさんあります。韓国の小学校だって通ったことがないですし、出身地も聞いてもどんな場所なのか想像もできません。だから、情報としては何の意味のない情報になってしまいます。
 そういう状況です。では、私たちが何で繋がっているのか、何を見てお互いを理解しているのかというと、その友人の言葉を借りると

 「今何をしているのか」

 これだけなんですよね。これは仕事のこともそうですし、一緒に酒を飲みながら何を話しているのか、どんな表情をしているのか、そういうことなんです。そんな「今」という情報だけを頼って私たちは友人であり続けているんですよね。
 こういう関係って、そう多くはないんじゃないでしょうか。同じ国、同じ言葉、同じ文化で育って生活していると、意識的にも、無意識的にも私たちの人間関係はお互いが何者であるのか、学歴、職業、出身地などなどいろんな情報に影響を受けています。ですが、韓国にある私の友情は、そういう情報にほとんど影響を受けません。影響を受けようがないと言った方が正しいかもしれません。だから、楽しいか楽しくないのかとか、笑えるかどうかとか、同じ事をしているのかしていないのかとか、そんなシンプルなものだけがそこにあります。単純で、シンプルで、純粋で、とっても楽なんです。これは言われるまで気がついていなかったことで、言われたことで「そういうことか」といろいろと納得できたというか、腑に落ちたことがたくさんありました。例えば、どうして言葉が不自由なのに楽しい関係でいられるのか。それは純粋で、楽でいられるから。
 どっちの方が良いとかそういうことではないのですが、そういう友情の成り立ち方が韓国にはたくさんあって、それが私にとても良い影響を与えてくれます。(非日常があると言えば、少しは分かりやすくなりますかね。)そんな友情をお酒を味わいたくて私は韓国に行ってるんですよね。
 その友人は、最後にこんなことを言ってくれました。

 「お互いの事をよく知らないから、良いと思うよ。純粋に相手を受けとめられるし、余計なことを考えず楽しく話せるから。普段は言えないようなちょっと恥ずかしい話とか。自分の夢の話とか。」

 私も同じ気持ちです。そして、韓国の友人たちは本当に嬉しいことを言ってくれます。早くまた居酒屋韓国に飲みに行きたいですね。

追記
今回、スンデとカムジャタンの紹介を期待されていた皆様、すみません寄り道をしてしまいました。スンデとカムジャタンは次回紹介させていただきます。もう少々お待ちください。


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