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明日は、何者になる?

今年度、大学生活最終学年を迎えている友人から、連絡があった。

「実家で引退を迎えてしまった。」

と、一言。

社会状況から判断し、大学の連盟が、大会の中止判断を下したためである。

“青春に、後悔は付き物である”

と、ある漫画で目にしたことがある。ただ、今回の出来事は、後悔というよりは、やるせなさ、無情感、そんな感覚が強いのかな、、、と想像はしたけれども、

やっぱり、当人の行き場のない想い、やるせなさは、到底、測り知ることはできないと思った。

ただそれでも、これまで部活に注いできた努力とか情熱とか、それはきっと、本物で、同時に、もう二度と戻ることのできない純真無垢な、確かな世界でもあったはずだと、私はそう伝えてみた。

余暇の時間が増えると、自分は、自分の人生において、何を成し遂げたいのかを考えたりする。

行き着く先は、大体決まっていて、

自分が関わった誰かに、生きる希望を感じてもらったり、自らの環境や境遇の捉え方を少しでもポジティブな方向に持っていくための、きっかけ作りができるようでありたいな、と。

じゃあ、それを成すにはどうすればいいのか、まだ釈然としない。

だからとりあえず、今自分ができる範囲内で、できる限りのことをやってみているつもりだ。

その1つが、物事の考え方、捉え方のインプットである。生きている中では必ず、『考え方のクセ』が身につくように、私は感じている。言わば、“偏見”とも呼べるかもしれない。

それを少しでもフラットにすべく、先述したことを試みる。今日のインプットはこんな言葉だ。

「人に勝つものは、力あり。自らに勝つものは、強し。」

「人に勝つ人というのは、力がある。しかし、本当に強いのは、自らの弱さに勝つ人だ。」こんな感じの意訳になるらしい。

人と競いながら生きるかどうか、勝負の世界で生きるかどうか、というのは選べるのだ、という。

私はスポーツが好きで、勝負が好きで、そういう世界にいることに対して、特に何とも思わなかったし、自分の周りの方々も、当然のように、同じフィールドにいるような感覚を持ち続けていた過去がある。

だから、この話は、全くの新しいことではないけれど、自分の力みを、ふっと抜いてくれるような感覚がした。

日々、些細なことでいい。

昨日できなかったことに、今日は1つ、挑戦する。限界を超えるんじゃなく、限界値を上げていく。

そんなトライを続けていけば、自分に勝つ感覚、『本当の強さ』が少しずつ身についてくるのかもしれない。

子供でも、大人でも、『何かをできるようになること』というのは、きっと楽しいものである。

“上”を目指す以上、苦しいことの方が多いかもしれない、この世の中で、苦しくなくちゃ頑張ったことにならないって、思い込んでるところもあるかもしれない。

でも、そんなことはお構いなしに、時々、『楽しい』がやって来る。

その『楽しい』は何回やって来ても、『楽しい』。

そんな『楽しい』に引っ張られる自分も、わるくないだろう。

“今日、敗者の君たちよ。明日は、何者になる?”

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