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『ふさわしい』自分になること。(2019/3/28)

バッティングセンターに行って、久々に打席に入ったら、、、。
バットをボールに当てることができなかった。

現役を引退したら所詮こんなもんなのかと悲しかったと同時に、こんな自分からアドバイスをされている選手達が少し心配になった。笑

『練習は、偉大である』ということを、身をもって実感した時間となった。


さて、本題に移ろう。


昨日は、付属中の選手達が練習前にミーティングをしていた。
テーマは「夏、自分達はどう勝つか。」

上位大会進出のために、確実にターゲットと定めて勝つべきチームが1校ある。
そこのチームと自分達とを比較して、自分達自身が強化すべきポイントを話し合っていた。

相手校の分析をしたところで、自分達の実力が伸びるわけではない。どんな相手であっても、やるべきことは、自身が納得できるまで研鑽を積むことだ。

しかし、現チームは人数が少なくチーム内競争がない分、各選手が自分のポジションに安住しやすい。
だからこそ、少しでも相手チームを「敵視」することで、選手達の気持ちが駆り立てられるようなきっかけとなってくれていればいいなと思う。


1つ、大きな強化ポイントとして挙がったのが「キャッチボール」であった。
以前、キャッチボールについては書き残したように、ソフトボールにおける The 基礎 の要素である。

距離はどうであったとしても、意識することは
“「正確に」、「強く」、「速く」”。

この3点を並立させたキャッチボールでスキルを高めていけると強くなる気がする。
この The 基礎 のキーとなるのは、毎練習でのキャッチボールに、選手達がどれくらい「意識」を向けられるか。

これからの練習で選手達のキャッチボールがどのように変わっていくのか、私はその変遷を見ることはできないが、
たまに行くであろう練習時の、キャッチボールの際の緊迫感であったり、各選手が投げる球筋を見ながら、
普段の練習の様子を窺い知ることができるだろうと思う。


練習後には、この中学校の先生方と他のコーチ陣が、卒業を祝う会を開いて下さった。
私は、この学校のOGではないからこそ、このような集まりの時にいつも「もし、自分がこの学校の生徒だったらどうなっていたんだろう、、、」と思いを巡らす。
答えは出ないし、出すことはできないが、そのくらいこの部活に愛着が生まれて、居心地のいい場所だった。

皆と別れた帰り道を1人で歩きながら、ふと考えた。


自分は、選手達にとって「コーチとしてふさわしいコーチ」でいられたのだろうか。


話は変わるが、私は小学3年生だった頃、学校の総合学習の一環として近くのリンゴ農園に定期的に行っていた。
幹がどんどん太くなっていって、葉が広がっていって、そして秋にはリンゴが実る。
そんな成長を見守りながら、美味しいリンゴを丸かじりした記憶が残っている。

「リンゴの木っていうのは、根の広さと同じだけ枝や葉っぱが広がっていく。
だから、美味しいリンゴを実らせるには、まずは、この地面の下いっぱいに根を広げる必要がある。」

実家に帰省した際、懐かしんで読んでいた当時のノートに、リンゴ農園のおじさんの話として、そんなメモが残っていた。


私達が普段目にしている枝や葉が大きく広がった大樹の足下を支えているのは、私達が普段目にすることはできない地下にある“根”なのだ。


コーチとしてふさわしいコーチでいられたのか。

『ふさわしさ』を取り出して測ることはできないし、目にすることもできない。
上述した話と繋げるとしたら、『ふさわしさ』とは、言わば“根”のようなものなのかもしれない。

自分は、その根を、深く広く張ることができたのか。

木々の成長を見守りながら、これから振り返ることになるのだろう。
そして同時に、新しい根を生やすことができるような引き出しを増やしていくべく、新社会人としての、新たな、フレッシュな生活を送っていこうと思う。


選手達にも、自分がなりたい理想のプレーヤーとして
『ふさわしい』自分になってほしい。

勝ちたいならば、『勝ちにふさわしく』。
応援されたいならば、『応援されるにふさわしく』。
競技を楽しみたいならば、『ソフトボールを楽しむにふさわしく』。



『巧詐は拙誠に如かず』

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