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ああ、生まれてきてよかった

 こんばんは、出 雲太(いず うんた)です。

 最近、井上ひさしさんのエッセイ集を読んでいます。

 その中の「わが心はあなたの心であれかし 解説にかえて」というエッセイの中で、井上さんは中学3年の秋から高校卒業の春まで養護施設にいたと書かれています。その中の一文が心に留まりました。

 春には門の前に捨て子がふえる。捨てるほどでも親の情、さすがに親たちも凍てつく地面に子どもを置き去りにすることができずに、冬の間なんとか頑張り通して暖かくなるのを待つ。そんなわけで春には捨て子が多くなるのだ。

井上ひさしエッセイセレクション P21

 この文章を読んだとき、

 八上比売(やかみひめ)が木の俣に御井の神を置いて帰ったときも、ちょうど今の時期の、春の暖かいとある一日だったのかなぁと哀しく思うのでした。


 「古事記」に出てくる大国主命の物語は「うさぎとわに」の話から始まります。「うさぎとわに」については以前もわにの視点から解説しました。

 隠岐にいたうさぎはなんとか因幡に渡りたいがために、わにをだまして隠岐から因幡まで並ばせてその背を橋代わりに渡ろうとします。しかし、最後のところで、うさぎはそのたくらみをわににしゃべってしまい、最後はわにに皮をはがされてしまいます。

 そこに通りかかった八十神たち。彼らは因幡の八上比売(やかみひめ
)に求婚に行く最中でした。皮を剥がされたウサギを見て、八十神達は「海水を浴びて風の吹くのにあたっているとよい」といいました。その通りにするとよけい傷んで、うさぎは泣きふしていました。

 そこに八十神達の荷物を持って通りかかった従者・大国主命がうさぎに良い治療方法を教えて、うさぎがそのとおりにすると皮は元通りに治りました。

 そこでうさぎは「八十神達は因幡の八上比売(やかみひめ)に求婚に行くけれど、選ばれるのは大国主さん、あなたです」と予言します。

 その予言の通り、八上比売(やかみひめ)は八十神の求婚をすべて断り、大国主命との結婚を宣言します。

 そりぁ、八十神さんたちも怒るでしょ

 八十神の中から選ばれるどころか、あろうことか下僕として連れてきたはずの大国主命が結婚相手に選ばれたのです。この屈辱と言ったらありません。故郷にどうしめしをつけることが出来ましょう。

 その後、八十神達は大国主命を殺そうと何度も企みます。しかし、その試みはことごとく失敗に終わり、最後はスサノオの力も借りて大国主命は八十神達をやっつけてしまいました。

 そこで、大国主命は晴れて結婚相手の八上比売(やかみひめ)を迎えに行きます。それが八上比売(やかみひめ)の不幸の始まりでした。


 スサノオの試練を受けているときに、実はスサノオの娘・スセリヒメと大国主命はいい仲になっていたのです。大国主さん、あなた、このとき八上比売(やかみひめ)のこと、忘れていたんじゃありません?

 しかし、八十神を倒したのでOKとばかりに八上比売(やかみひめ)を因幡に迎えに行きます。なぜ、後に津々浦々に女を作ったのに、大国主命はこのときばかりは八上比売(やかみひめ)を迎えにいっちゃったんだろう。八十神を倒したことで、心が大きくなっちゃったんだろうか。

 当然、スセリヒメは、八上比売(やかみひめ)を連れてきた大国主命を怒ります。スセリヒメは嫉妬深くて有名だったらしく、それはそれは怒ります。

 とうとう八上比売(やかみひめ)はスセリヒメを恐ろしくなり、因幡に帰ることにします。しかし、八上比売(やかみひめ)はこのとき、既にご懐妊中でした。

 出雲に滞在中に、大国主命の子供が生まれてしまいます。八上比売(やかみひめ)は、大国主命に育ててもらいたかったのか、自分では育てれないと思ったのか、どちらだったのかはわかりませんが、子供を木の俣に挟んで、因幡に帰ってしまいます。

 さて、その子供はどうなったのでしょう。

 大国主命はスセリヒメを恐れて、とても育てたとは思えません。おそらく出雲の名もわからない夫婦に預けて、育てられたのではないでしょうか。その後の子供の生涯に「古事記」は全く触れていません。

 しかし、出雲ではその子供を木の俣の神・御井の神として祀りました。

 御井神社といいます。安産祈願の神社です。


 なんと、御井神社は安産祈願の神様なんです。

 ちょっと考えると不思議な気がします。

 八上比売(やかみひめ)が無事に子供を生んだからというのがその理由だとしたら、八上比売(やかみひめ)を祀ればいいのではないでしょうか。
しかし、御井神社の祭神は木の俣の神である御井の神なんです。


 御井の神の気持ちはどうなんだろう。父を憎み、母を恨むことはなかったのだろうか。このことについても「古事記」は何も説明していません。


 実は、この物語は御井の神のサイドストーリーがあったんじゃないかと僕は思うのです。

 大国主命は、その後に、スクナヒコの力を借りて「国造り」を始めます。そのとき、青年になった御井の神は大国主命の「国造り」についていったのではないかと想像するのです。そして、因幡へ出向き、母神である八上比売(やかみひめ)に会いに行ったと思うのです。

 御井の神は、やはりスサノオと同じように母を恋い、慕い、どうしても会いたかったのではないでしょうか。

 因幡に隠棲している八上比売(やかみひめ)の家にたどり着く御井の神。

 家がはるか遠くに見える傍から気もそぞろ。

 駆け足になる、御井の神。 既に涙目です。

 

 お母さん!!


 年老いた八上比売(やかみひめ)はその声を聞き、「はっ」とする。

 もしや、何十年も前に出雲に捨ててしまったわが子なのでは。

 会いたいと思わない日々はなかった。思い出さない日々はなかった。

 いつも想っていた生き別れた息子の声に

 慌てて家を飛び出す老婆・八上比売(やかみひめ)

 そして二人は涙の抱擁を交わす



「ああ、生まれてきてよかったって思うことがなんべんかあるじゃない、ね。そのために人間生きてんじゃねぇのか」

「男はつらいよ」より


 御井の神もこのとき、そう思ったんじゃないでしょうか。

 だからこそ、安産の神様になれたんじゃないかと思うんです。

 そう思うとき、今日の春風も少しだけ優しく感じます。



 読んでくださり、ありがとうございました。 

 よかったら、御井神社にもいらしてください。

 お待ちしています。



こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。

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