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今を話そう会

今年も残り10日を切りました。
秋の例大祭が終わってから、記事を書こうと思ってもなかなか手を付けられず、趣味を復活させるべく色々と動いていましたがまだ復活できずです。
趣味ができることも日常があってこそ。と改めて思います。
災害の事もそうですが、今は仕事復帰がままならない事でやりたいこともできない状況です。
仕事は会社の業績悪化により希望退職を募集することになり、それを受けようと思います。1年前に休職したときには会社に対し憎しみの感情が大きかったですが、今、自分の気持を棚卸しして整理すると「今の仕事が好き」だと思えます。
会社の度重なる経営方針の転換やいくら窮状を訴えても何も解決してくれない上司に振り回されはしましたが、仕事自体は楽しくやっていたし機械の細かな調整や機械の先にいるエンドユーザーさんがどうやったら使いやすいか。と考えながらの仕事は好きだったので、辞めるのは惜しいですが片道2時間弱の通勤と希望退職を考えると今辞めて新しい職場を探す方がいいだろう。と思っています。
長くなりましたが、昨年の今頃に浜会館で開催された「今を話そう会」に参加した時のことを書いていこうと思います。

・概要

この日の今を話そう会は2回目でした。
1回目は高齢者が中心だったと聞きました。2回目は30代後半から50代前半が主だったと思います。
簡単な流れを説明すると

自己紹介
小グループでの話し合い
全体での話し合い

という流れです。
話し合いと言っても議論や意見をぶつけ合うのではなく、自分の今話したいこと、聞いてほしいことを話す。それに対し反論や道筋を立てるのではなく聞いてあげる。同意してあげる。否定はしない。ファシリテーションって言うんですかね?そんな会でした。
ちゃんとは覚えていないんですけど、テーマも「今思っていることを話そう」みたいなすごいざっくりとしたテーマでした。

・傷を負った人達

参加人数は大体15人弱だったと思います。
ファシリテーション協会の方、テンカラセンの方、そして被災者。
自己紹介ではどこの誰で、被災状況がどんななのか。それぞれ簡単に話しました。
第1回ではこの段階で既に涙を流す人が何人もいたそうです。自己紹介の段階で、ですよ。敢えて言います。

それほどまでに心の傷は深い

なんだかんだ1年前の事でちゃんとは覚えていないのですが、自分達のときは自己紹介は比較的淡々と進行していきました。
でもそれは各々が感情を表に出さないよう、敢えて事務的に自己紹介をしていただけだったと思います。
そこから小グループに分かれ、それぞれのテーブルで話をしました。
私はテンカラセン代表の高橋一美さんから「トンビくんの話を聞かせてよ」と言われ、同じテーブルについて災害当日から今までのことを話しました。
・妻と娘が命からがら逃げ出せたこと
・2人を置いて外出したのを後悔していること
・SNSで災害のことを発信していたら心無い言葉を投げかけられたこと
・事業所閉鎖も重なり、心労で休職していること
ほぼ私の話で小グループの話は終わってしまったと思います。というか確か被災者は私だけだった記憶があります。
ファシリテーション協会の方が休憩にしてくださーい。と言っても話は尽きませんでした。

それから車座になりみんなで話をしました。
そこには警戒区域未来の会の代表になる中島さんもいました(この頃は近所だったのに面識なし)。
中島さんは被災直後からクラウドファンディングで工場再建に動いていましたが、それを知った避難先のホテルで他の被災者から嫌味を言われたりしたそうです。
何故お互い傷ついているのに更に追い打ちをかけるようなことをするのか。
自分も外で「クラウドファンディングで集めた金が高級車に変わらなきゃいいな」なんて声も聞きました。
途中から(車座になった時に来られた方)参加した方は、順番が回ってきた時に話そうとしても思い出すと辛くて話せない。と泣き出してしまいました。

家をなくした人、家族を失った人、簡単に割り切れる人、愛着のある人…被災者の数だけ心の傷の深さも大きさも違います。
SNSで災害を機に繋がった方と話している時に話題になったのが「発災直後は共感してあげることが必要だった、でも今は被災者同士で傷を共有することが大事」ということです。
この頃自分は、どれだけ寄り添ってくれてもどれだけ理解しようとしてくれても、被災者と被災していない人とでは絶対に埋められない距離がある。と感じていました。
これは決して寄り添おうとしてくれている人達に対する非難ではないことはご理解ください。言い方を変えれば当事者か否か。という事でしょうか。
誰しもに分かってもらえるように伝えるのは難しいですね。この感覚が読んでくれている方に伝わればいいのですが…
「傷を舐め合う」というとあまりポジティブな表現ではないですが、どれだけの支援があっても、どれだけ寄り添ってくれる方々がいても最後の最後は被災者同士で傷を舐め合い、お互いで癒やしていくしかない。そう感じた会でした。

・余談

実はこの日はダブルブッキングでした。この後伊東で人と会う約束があったのです。
この方もSNSで災害を機に知り合った方でした。
災害からしばらく経った時、SNSでメッセージをもらい片付ける、掃除をする時に連絡くれれば手伝いに行ける。職業柄高圧洗浄機等の道具もあるから必要なら声をかけてほしい。と連絡をもらいました。
私はすべて流されているので片付けどころか掃除すらやることがなかったのですが、そうやって気にかけて直接声をかけてもらえたのに頼ることがなかったのが引っ掛かっていました。
なので近いのだから今度会いましょう。となって会う日がたまたま今を話そう会の日だったのです。
年齢も1つ違いで共通の話題も多く楽しく過ごすことが出来ました。
そろそろお開きと言うときに、その方が「これトンビくんの嫁さんへプレゼント。服でも買ってと渡してあげて」とポチ袋を渡されました。
その思わぬ心遣いは本当に涙がでるほど嬉しかったです。
そのあと1度飲み(私は運転で飲んでないですが)に行きました。最初のときもそのときも出してもらったので、次は自分が出そうと思っているのですがなかなか仕事が決まらず金銭的に余裕がないので誘えずじまいです。
新しい職に就き、自分が払えるようになったらまた誘いたいと思っています。

・あとがき

今思い返しても去年の今頃は辛かったな。と思います。
多分底でした。きっとあのまま仕事を続けていたら間違いなく心身ともに壊していたでしょう。
被災の苦しみ、仕事の苦しみを理解してもらうどころか吐き出すことも出来なかったと思います。
共有することで少しずつ良くなって行けたんじゃないかな。
今は次の仕事が決まるかどうか不安もありますが、話を聞いてくれる人や場所がある。それだけでも全然違います。
あとは焦らずに、でも危機感も持って次の職を見つけたいと思います。

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