寂しすぎてマッチングアプリを入れまくってる話(2)〜自己肯定感〜

 マッチングアプリを初めて3日くらいは、毎日たくさんのいいねが来ることに自己肯定感の高まりを覚えていた。イケメンかどうかはおいといて、とりあえずこれだけの人から私はいいねされているという事実が大好きになった。

 しかしだんだんマッチングアプリと言うものを調べるうち、男性側には、そんなにいいねが来ない→誰彼構わずいいねする→運良くマッチングするという流れがあることに気づいた。すると今まで「私だからいいねをしてくれている人たち」に見えていた男性達が、「女だからとりあえずいいねしてる人たち」に見えてきて、一気に自己肯定感が下がった。

 そっか。誰も私なんか見ていない。女だからいいねが来るだけなのか。そう思うともう下がりに下がる自己肯定感。

 4日目にしてアプリを消した。まだ会話中の人もいたのに笑。

 しかし消した次の朝に取っていた行動は他のアプリ探し。もうバカなんじゃないかと思うけど、まだ出会いというか、人肌を諦めきれないのだ。

 セックスがしたいとか、そういう訳じゃない。そういう訳じゃないこともないが、とりあえず誰かどこかへ連れ出して、という気持ち。身体の繋がりだけでもと思って、それを求めるアプリも入れてみたけど、理想的な人がいるいない以前に、近隣に住んでいる人がいなかったのだ。

 女だから、という理由では無く、きちんとプロフィールを読んでくれて、それからいいねしてくれる「イケメン」がほしい。

 イケメンとか高い理想掲げるなよと思うけど、理想の人じゃないと初対面でもデートしたいと思わない。アプリで写真をスワイプしてくうちにだんだんそういうこだわりが出てきたことも、満足度が下がっていった原因かな。

 さっきまで居たクリスマスムードのカフェ店内に煽られて、悲しくなっている。友達に、クリスマスまでには彼氏がほしいと言ったら、そんな駆け込み乗車みたいなこと辞めなよと言われた。まさにその通り過ぎる。きっと今からいい人が見つかっても、お互い駆け込み乗車だ。恋人という肩書に憧れた者同士くつついて、理想とのギャップに苦しみ、後味の悪い最後が待っている。

 そのへんまで予想はつく自分がいるのに、なんか、寂しくてしょうがないもう一人の自分がひたすらアプリを探している。

 これを書いているのは駅ビルのベンチ。音楽が鳴っていて周りに人もたくさんいる。一人になりたくなくて、ずっとここに座っているうちに書きたくなったのだ。「こんなに人がいるのに、こんなに孤独な場所、他にないもの」というのは私の大好きな映画のセリフだが、本当にそのとおり。今ここで泣き出したら、誰か拾ってくれるのだろうか。それくらいに今もひたすら寂しい。

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