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見えるものと感覚:『色彩との対話』柳宗玄
ミニマリズムという考えは注目集めている考え方のひとつです。豪華な装飾よりも、実用的な美しさを追い求める動きも増えているのではないでしょうか。
いまや美術品だけが美しいものの代表だという人は少ないでしょう。デザインという言葉は建築から日用品までさまざまな場面で使われる言葉になりました。
日用品の中に美を見出す、という考え方について日本における先駆者として柳宗悦が挙げられます。
用と最も厚く結合する雑器に、工藝美の最も健全な表示があるのを説こうとするのである。用器と美器とは一体であることをいおうとするのである。用との相即なくして工藝美はあり得ない。
柳宗悦『工藝の道』
このような実用性の美はかなり広く理解されるようになったかと思います。日本以外の国々に目を向けても、同じような発想で作られたものは増えてきています。Apple社の製品は国際的な人気を博しましたが、その着想は実用性と美しさを両立した例として挙げることができるでしょう。
使用することに関わるのは形や素材です。極端に太い軸のペンや、異常に重たい金属でできたスプーンは実用性があるとは言えないことは明らかです。心地よい範囲を考えた形や素材の選択が重要になることは分かっていただけるかと思います。
見た目の美しさは文字通り視覚的なものですが、そこで忘れてはいけないのが色彩です。色というものは常に目に入ってくるもので、見た目とは切っても切れない関係にあると言えます。
完全に透明な素材だけでものを作ることも可能ではあるかもしれません。しかし、色を持たないということはそれが視覚的な印象を持たないということではありません。大抵のものが色を持つことを考えると、透明なものはかえって目立つこともあるかもしれません。
実用性という点で言えば、同じ形、素材でできたものは同じ性質を持っていると言えます。しかしそれらが等しくても色が変われば与える印象も変わります。普段使っている家具や食器が毒々しい色に塗り替えられてしまったら、使い心地はそのままでも普段通りの生活は送れないのではないでしょうか。
使いやすさというものはある程度の理論化が行えるものです。一般的製品についてはいうまでもなく、Webにおけるデザインにおいては使用時間などを数値化して分析していることもあります。
一方で色彩はそうはいきません。個人の好みだけでなく、文化的に好まれない色も存在します。どうやら分析や実験で扱える実用性に対して、こちらは一筋縄ではいかないようです。
色彩と意味
『色彩との対話』はそのような色と向き合うことについて重要な示唆を与えてくれる本のひとつです。著者である柳宗玄は先ほど引用した柳宗悦の次男です。
この本には色彩に関する様々な文章がまとめられています。注目すべきは、それらの取り上げる色が幅広い観点から考えられているということです。
絵画や建築といったものはもちろんのこと、自然の中の色彩にも目を向けています。また、「五色」に代表されるような概念的な色彩にも注目しています。
文章中には実例を用いて説明がされていますが、絵画や建築、景色の写真など、そのほとんどは本に色付きのページで収録されています。著者の見た色彩を自分でもある程度体験できるのも、この本の魅力です。
この本を読んで強くこころに残ることは色彩とそれが持つ意味の奥深さです。色彩は目で見てわかるものですから、ついそれ自体も明快なものと考えがちです。しかし、意味や印象に向き合ってみればそうでないことがわかります。
本の中でも触れられていることですが、神話における神々や天使の体色が赤や青、黒といったように定められていることはその一例です。その神々が司っているものと色との関係を考えると、色彩の持つ根源的な意味について思いを馳せたくなります。
色彩と体験
『色彩との対話』において魅力を持っていることのひとつはその体験的な文章であるとも言えます。旅先で見た美しい景色、金塊をめぐる記憶や異国の民族との邂逅。語られる話はどれもいきいきとした感覚を伝えています。
色彩というものについての文章で、このような体験が鮮やかに表現されているのは偶然ではありません。先ほどの実用性との比較で考えてみましょう。
何かを使うということは必ず目に見える形で現れるものですから、使用は公的な行いであると言えます。オーダーメイドや自作したものを独りで使うときでも、採取的には全員が目に見える世界の中で行われることになります。
色彩の与える印象は逆に私的、主観的なものです。人間のこころの中で起こることだけに目には見えず、自分でもそれを全て分析し尽くすことは困難に思えます。色彩について深く考えるということは、この主観的、言うなれば体験的なものについて語るということでもあるのです。
文章中の色彩にまつわる物語が、実感や感覚を持って表されていることは色彩の持つ不思議な性質を体現しているということができるのではないでしょうか。
色彩と現代
私たちの生活に目を向けてみると、思ったよりも色に溢れていることに気がつきます。技術の進化で、実物と変わらないような映像を作ったり、どんな色でも表現できるディスプレイが誕生したりしました。染料や画材が貴重だった時代絵お考えると、現代は色彩の最も多い時代と言えるかもしれません。
増えていく色彩に対して、私たちの感覚はそれに見合うほど鋭いものとなったでしょうか。ボタンひとつでどんな写真も鮮やかにできますが、繊細微妙な美しさはやはり数値にできるものではないでしょう。
身の回りの感覚的なものに目を向けてみる、そのひとつが色彩について考えるということなのかもしれません。
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