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思考のしおり

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大人になる方法について

古本屋に寄って『蝿の王』を買ってきた。ほら貝を吹くまでの導入の部分でさえ、情景が目に焼き付くような鮮烈さを持っている。古典のひとつに数えられるような作品なので、その後の展開はおおよそ頭に入っている。しかし、もし何も知らずに読み進められた出版当時はかなりの衝撃を与えただろう。 大人になる、というのは何なのだろうか。これを書いている私は20代で、子供ではないが成熟した大人というには若すぎるかもしれない。この半端な人々には青年という表現が使われることもあった。もっとも、最近はあま

冷たい野生

秋になっても暑いままだと油断していたら、そんな人間を嘲笑うかのように急に寒くなってしまった。いつもなら冬の訪れは嫌いではないのが、あまりにも緩急が激しすぎて面食らってしまう。 この寒気で今年各地で大量発生していたカメムシが姿を消してしまった。一般的な殺虫剤も効かず、だからといって力ずくで立ち向かおうものなら悪臭で反撃してくる強敵であったが、とりあえず年内は休戦と見ていいらしい。 それにしても、このカメムシの大量発生は案外重要なことかもしれない。あの小さな虫たちが我が物顔で

三島由紀夫『不道徳教育講座』

子供のころ「道徳」の授業があった。他の教科と同じように教科書が1人ずつ配られて、たいていの授業はそれを読む形だったと思う。一応感想文のようなものを書いたはずだが、内容はあまり覚えていない。確か平和や差別についてなどさまざまな話題を扱っていたはずである。 頭に残っていないのは我々子供の不手際でもあるのだが、当時の素直な印象としては、先生方もその扱いに若干困っていたように見えた。算数などと違って明確に答えを出して答案で評価するわけにもいかないので当然だろう。 私の世代は一応は

AI時代の情報リテラシー

最近、調べ物をするときに検索エンジンを使うのではなく、ChatGPTのように人工知能に質問するといった選択肢を取れるようになった。 人間と会話するように何かを調べることができるというのは便利なもので、「謝罪文 例」などと検索しても結局は出てきたものを手直しする必要がある。「謝罪文を書いて」とAIに指示すれば文章そのものを教えてくれる。人工知能の学習元に対象となるものがあれば答えまでを直接導き出すことができるのである。 唯一の弱点と言えば、言語モデルの知識はそれを構築したと

1日ゲームできても、5分勉強できないとき

無駄な努力をし過ぎている。ゲームやSNSにおける努力がこれにあたる。別にプロゲーマーやインフルエンサーを生業にする予定はないのだが、なぜあれほどの熱意を持つことができるのか自分でも疑問に思うことがある。 一方で必要だとわかっているのにできないこともある。1日に数十分でもランニングをすれば健康や体型もよくなるはずだ。数分でも勉強すれば外国語が話せるようになるかもしれない。しかしこちらにはなぜか意識が向かず集中力も湧いてこないのである。 これほど不思議なことはない。自分で意味

共感はそこまで必要なのか

デザイナーである田中 一光の著作を読んでいたところ、「共感よりも芸術の啓蒙を」というような一節にぶつかった。デザインに関わらずどんな分野や場面でも共感を重んじる現代には物珍しく響く言葉である。逆に「啓蒙」の方はは久しく耳にしていない。 共感が重視されるようになったのは言うまでもなくインターネットの影響だろう。誰でも気軽に意思表明できると言うのは今までにない変化だといえる。今まで出版という関門を抜け出すことのできなかったものも世に出てくるようになった。 意思があちらこちらで

「ヒットの法則」は存在するのか

自分の作品が世に認められてほしいと願うのは自然なことである。近所の書店を少し歩けば、こんな希望を叶えてくれそうな「バズる文章術」や「ヒットする作品の秘訣」といった本がたくさん並んでいる。 ただ従うだけで人気を保証してくれるような法則があるのか疑問に思う人もいるだろう。実際これらは当てにならない内容のものがほとんどではあるが、だからと言っていわゆる「ヒットの法則」が存在しないと言い切ることはできない。 「ヒットの法則」なるものが本当にあるならそれは喜ばしいことだろう。創作者

いい文章とはどんなものか

名文を書きたい。これは腰を据えて文章を書いた経験のある人なら誰でも考えることである。「プロが教える文章術!」などといった本が書店に溢れていることはそれを証明しているが、新刊が出続けているのを見ると決定版はまだらしい。 そもそもどんなものが「よい文章」なのかということも明確ではない。起承転結や5W1Hが大切だとも言われるが、確かにこれは一理ある。長い時間をかけたであろう文章でも、構成が悪く何を言いたいのかがわからないというものもよく見かける。情報伝達という意味ではこれは重要と

AIを使ってローマ皇帝ネロを現代に呼び出してみた

人類に不可能はない。数年前まで夢物語だったようなこともいつの間にか当たり前になっていたりする。人工知能もそのひとつである。ほんの少しだけ工夫をすれば、SF映画に出てくるような雑談できるAIを作ることも可能である。 そこで今回は実際に会話できるAIを作り、そこにローマ皇帝ネロの設定を組み込んでみた。これで擬似的に偉大な第五代皇帝に謁見することができるだろう。 使用したプログラム 専門的な知識のない方もいるかと思うので、今回はプログラムについては簡単に触れるにとどめる。これは

AIと文章力を競ってみた

人工知能の発展はめざましいもので、現在では人間のものと見分けのつかないような文章を作成するものまで登場しました。公開されている言語モデルを借用すれば個人でもこのようなAIを使うことが可能です。 今回は専門的な話題よりも実際に出来上がった文章に注目していただきたいので、プログラムのリンクのみを掲載しておきます。こちらからColabのページを閲覧できます。 元になる文章について私は以前エンタメと芸術の関係について文章を書いたことがあります。今読み返すと色々と不足はありますが、

眠れないときに読む本たち

いつまで経っても寝付けないという経験は誰にでもあるものだと思うが、眠気を待つまでの間にちょうどいいのは読書である。テレビなどのように余計な神経を刺激する心配もなければ、酒のように健康を害する恐れもない。 ところで、私は眠くならない理由は大きくふたつに分けられる。ひとつは何かを考えてばかりいるときであり、もうひとつは1日を終えるにはどこか物足りないと感じるときである。 考え事が終わらない日のお供は堺屋太一の『豊臣秀長』と決めている。これは豊臣秀吉の弟であった秀長を題材とした

あのトンボは早すぎた

6月のはじめ、そろそろ梅雨入りするかどうかという時に、道でトンボが死んでいるのを見つけた。まだトンボを見かけるような季節ではないし、セミもまだ鳴いていない。成虫になる時期を間違えているような気もする。 ひと目でトンボだとわかるくらい綺麗に形を保ったまま息たえているところを見ると、体の調子もどこか不完全だったのかも知れない。年中働き者のアリ達は既にこの不幸な亡骸を片付け始めていた。 生物学に従うならば突然変異が何らかの変化を促し、このような季節外れの事故を生み出したのだろう

見捨てられた絶望:『1984年』

小説は自由である。過去の黄金時代を描いてもよいし、来るべき暗黒を表現しても許される。『1984年』はまさに後者であった。現代の監視社会に対する「予言の書」などど評されることも多い。 しかし一方でこれを単に社会的な寓話として扱うのは間違いである。オーウェルはそのもう一つの代表作である『動物農場』から最後の『1984年』に至るまで芸術を忘れなかった。 オーウェルの巧みなところは「禁じられた恋愛」という、芸術においては定石ともいえるテーマを用いながら、全体主義という政治的に新し

「おすすめの本」問題

趣味は何か、と聞かれれば読書と答える。出費の多くを本に向けているのは事実であり、「読書とは何か」などといった説明も必要ない。しかし、ではどんな本を飛んでいるのか、さらにはおすすめの本は何かと言われるの返答に困ることになる。 ひとくちに本と言っても内容は千差万別である。相手に告げる本を決めるには、まずジャンルを絞らなければならない。そう考えると、気軽に手に取りやすく、専門性が低いものを選べるという点で小説が抜きん出ている。 問題は小説自体がさらに多種多様であることだろう。歴