「我慢」を深く考えたら思ってたのと違った話
▽父親の葬儀から仏教を考える
昨日は父親の話をしたんだけど、今日はそこに少し繋がる話。
父親が亡くなって、長男の私は喪主をつとめることに。
葬儀なんて初めての経験でわからない事だらけ。。
葬儀場とのやりとりやお寺さんとのやりとりなど。。
そもそも自分の家の宗教すらわかってないくらい。
どこの宗派のお寺さんに頼むのか??戒名はどうするのか?
そんな状態でしたが、無事葬儀(仏教葬)を終えることができました。
今まで仏教のことなんか考えることすらしなかった。
けど、命日からさまざまな行事をこなし、それぞれに意味がある事を知り、少し考えることができた。
以降は、「二七日(ふたなのか)」「三七日(みなのか)」「四七日(よなのか)」「五日(いつなのか)」「六七日(むなのか)」「七七日(なななのか)」と49日までお祈りするようにと教えられる。
七日ごとに極楽浄土へ行けるかどうかの裁きを受けるようで、四十九日目が裁きの最後の日となる。
亡くなって7日間ほどはその辺にいるんだなぁと考えたり。7日ごとに実家に行っては線香をあげて、今はどの辺まで行ったかな?頑張ってね〜と祈っていました。
そして四十九日。
ちゃんとあっちの世界にいけたかな〜。と家族揃ってお祈りする。
なんか今まで考えたことがなかったような事を深く考えた数ヶ月間でした。
そこから少し日が経ったある日。(すっかり仏教の事は考えなくなっていた)
ウォーキングの最中。
ウォーキングしながら少しトイレに行きたくなった。
しかし、トイレは近くにないのでしばらく我慢をするしかなかった。
我慢した先にはどんな感情が待っているんだろう?
我慢の先に「幸福」はあるのだろうか?
とまた悪い癖で余計な思考が始まった。。笑
「我慢」という言葉ってそもそも何でこのような字を書くのだろう?と思い我慢という字を調べてみた。
そしたら、、予想以外にめちゃめちゃ深かった。
忘れてた仏教が関係している。
▽"我慢"とは仏教の煩悩の一つだった。
深い。
仏教には7つの強い自己意識から起こす慢心があり、それを7慢と呼ぶ。
なんか思っていた我慢と違う。。
これ、逆にめちゃめちゃポジティブ思考だな 笑
慢心しすぎると嫌われるかもしれないけど、ポジティブな思考にする為には悪くはない。とも思ってしまった。
邪慢はよくないけど。
▽我慢の先には「幸福」があるのかの答え
さて、そもそもの思考が我慢の先には「幸福」があるのか?だった。
仏教ではあまり良い意味で使われてなかったけど、7慢は「我が強い、負けん気が強い、がんばる、辛抱する」などといったような意味に変化したようですね。
そのように我慢は、辛抱すること、堪え忍ぶことを指し、よい意味に用いられる事もありますよね。
わかりやすい画像を見つけた。
ならば、我慢の先には幸福があるのか?
私の答えは「幸福」と「不幸」のどちらにもなりうる。と思いました。
我慢は時に自分自身を高める為には必要。
けど、我慢をし過ぎると自分自身を壊す可能性もあるよなぁ〜と。
「もう、我慢の限界です!」
と言える方が良いと思いました。
限界に気付くこと大事です。
我慢に限らず、全てにおいて「し過ぎる」は良くない。
我慢し過ぎる
ストレスを溜め過ぎる
気にし過ぎる
食べ過ぎる などなど
し過ぎて体を壊した人たくさん見てきました。
同じ行動でも、良いことと悪いことは紙一重だなぁ〜と思った話でした。
話がめちゃめちゃ飛んだなぁ〜まぁ、これも自分らしい。
▽感謝のアウトプット
お父さん、初めての葬儀でいろんな事を知り、気づかせてくれてありがとう!仏教はもう少し勉強してみます。笑
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