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私小説「小説」

ごくごく個人的な遊びのつもりで始めたことが、いつの間にかへんな意地みたいなのに乗っ取られて、何くそな、と思っていくうちに、どんどん自分が駄目になっていく歴史を後に遺して、今日も私はただ小説を目指して指にことばを灯す。

読んだり書いたりするのは子どもの頃から自然にやっているので、もう、良い。子どもの頃から死ぬまでゲームしている人もいるしサッカーしている人もいるし、やり過ぎて死ぬ人もいるしそれは人生だ、どうしようもない。

いつの頃からか、小説1本書き終えた後で、拭いがたい苛立ちを自覚するようになった。いったい私はいつまでこんなことを続けるのだろうかと。

無意味。無意味が嫌かと言うと、そもそも意味のある行いってなに?と言うことになる。

私は物語られたものが好きだ。ロボットが好きな子どもが自分でもブロックでロボを作るように、子どものうちから私は言葉組んで自分なりに物語ってみた。

が。どうにも無意味なんである。何故か。いくらやってもほしい語りに届かない。目的に向かって矢を射かけるのだけど、そるはきれいな弧でもって飛ぶのだけど、いっかなとどきゃしない。なーにやってんだ、とそれだけ。

こういう無駄なことを積み重ねてこれから生きていくのだろうか、はいそうなんです、と思うほどやるせねえ。

好きこそものの、というあれは、呪いの言葉なのだ。


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