エピローグ
王貞治にまつわる話がもう一つある。時はまた、私たち兄弟が田中君の家や野村さんの家でテレビを見せて貰っていた時代に遡る。
昭和32年(1957年)4月7日。その日は日曜日で翌日は小学校の入学式を控えていた。私にとって、幼稚園児最後になる日だった。
私の両親はふたりとも高知生まれの高知育ち。郷土愛が並外れて強く、床の間の壁には坂本龍馬の掛け軸が飾られていた。紋付羽織袴のいで立ちで、左手に刀を持った絵柄だ。残念ながらブーツは履いていず、黒い足袋を履いていた。
その日は、春の選抜高校野球大会の決勝戦だった。「高知商業(以後高知と略)」対「早稲田実業(以後早稲田と略)」。父は高知を応援しに、朝早くから近所の子供たちを引き連れて甲子園球場にでかけた。近所の子供たちとは、兄と私、大村三兄弟、そして田中君である。なんのことはない、『日真名氏とびだす』を見て、一緒に畳に頭から飛び込んだメンバー全員が揃っているではないか。阪急電車と阪神電車を乗り継いで、甲子園球場に乗り込み、無料の外野席に全員陣取った。
相手の早稲田の先発投手が、エースの王貞治だった。王選手は高校の時はピッチャーで四番だった。
先攻早稲田、後攻高知で、8回の表を終わって、我が高知は「5対0」で負けていた。いよいよ8回裏、高知の攻撃となった。何とか満塁にまで漕ぎ付けたものの、既にツーアウト。万事休す。しかし、そこから高知は頑張った。連続ヒットをたたみかけて3点をもぎ取ったのである。私たちは大声をあげて跳びあがり、抱き合って踊った。勢いあまって外野席の階段を転がり落ちた。
そして、9回裏を迎えた。王選手も凄かった。高知を零点に抑えたのである。結局「5対3」で高知は負けた。
今考えてみれば、大村三兄弟も田中君も高知とは関係ないのに、よくぞ高知の応援に甲子園にまで行ってくれたものだ。おまけにみんな一緒に抱き合って踊り、球場の階段を転げ落ちてくれたのである。
子供たちと一緒に抱き合って踊るまだ38歳の父の幻影をひとつ付け加えておく。
(詩集『月のピラミッド』第3章「日真名氏飛び出す」より)
(つぶやき)
3週連続で投稿した詩『日真名氏とびだす』『元ちゃんと王貞治』そして今回の『エピローグ』は私の大切なひとたちとの想い出を保存するために書いた。noteは私の「記憶の保存場所」である。
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