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小さな村

段ボール箱の底から出てきた
珊瑚樹の赤い実
過剰過ぎる破滅の予感が
私の左の頬を噛んだ
水平線のような飛行機雲の下に
悲しみが群れていた

ホテルのポーターは
預かった執着を置き去りにして
駐車場の壁を
粘菌のように這い登って行った
大きくなることしか考えなかった鞄は
塩田の水面に映った空よりも遠い
小さな村で私を捨てた

嫉妬と妬みで肝臓を腫らした男※は
強風に煽られながら
吊り橋を歩き続けたせいで
左胸から脇腹のあたりが痛くなり
大人用のブランコを
買いたかったことを想いだして泣いた

失ったもの全てを失っても
まだ失い足りない小さな村は
戦を毎日妄想し始めた
少年は空を見るたびに
想い出が消えてゆくのを感じた
ここには郷愁がない
珊瑚樹の実がはやく熟れ過ぎて
星月夜を最初に空に招く時間がない

少年は村のスポーツ用品店で
初めて自分で選んだジャージとスウェットを
試着してみた
あらゆる伝説はつまらない
書き始めるたびに変わる日記を
私は書き始めている



※「嫉妬と妬みで肝臓を腫らした男」の箇所は
チェーホフ『ワーニャ伯父さん』(浦雅春訳)のワーニャ伯父さんのセリフから引用した。


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