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伊豆川飼料、立ちあがる!

こんにちは。伊豆川飼料株式会社のイズカワツヨシです。静岡県静岡市にある飼料や肥料を作っている会社の取締役をしています。
私は高校卒業後、東京で6年間の学生生活(大学+院修士)と5年間のサラリーマン生活を経て家業である伊豆川飼料へUターンしました。特別なことを学んだり経験したわけでもない11年間の東京生活を送った後、地元である静岡に戻り仕事をしていると、メディアから急に取り上げられることになります。調べてみたら4年間で26回ありました!

特技も特徴もない普通のよくいる三代目がなぜこんなことになったのか。自分でも興味があるので掘り下げて考えていきたいと思います。

まず、大きな転機となったことは当社初の食品製品「とろつな」「しろつな」の開発だと思います。

きはだまぐろの「とろ」の部分のみを使用したブロックタイプの贅沢なツナ缶。
びんちょうまぐろを使用した、きれいな白い身が特徴のフレークタイプのツナ缶。

元々会社のルーツは缶詰の製造工場である当社ですが、自社製品としての食品は初めてで、飼料や肥料を作る会社が食品を販売するのはよくあるケースではありますが、インパクトがありました。

ではなぜツナ缶を販売したのか一つの理由は自社の飼料や肥料の原料であるツナ缶の加工残渣(マグロの頭や骨やしっぽ)の発生量が減少傾向にあることに気が付いたからです。
当社の飼料や肥料はツナ缶やマグロの刺身加工をする水産加工業の加工残渣を主な原料としています。70年以上前から続いている仕事で、40年前くらい前までは静岡に今よりも沢山の水産加工の工場があり、その加工量や加工残渣の量は今では当時の半分以下になってしまっています。

農林水産省 令和3年版水産白書より


実際に、仕入れ先の方々と話をしていると、「原料が少ない」「魚が獲れない」といったネガティブな話がよく出てきていて、実際に当社に入ってくる原料も毎年減っていました

数字は載せていませんが私が入社してからも3割くらいは減っていました。

「もしかしてこのままだと原料がなくなって、製品が作れなくなるんじゃないか!?そうしたら会社の存在する意味がなくなる!?」

そう思った私は考えます。まず、この問題は自社や仕入れ先だけでなく、日本全体の食生活や産業構造の変化に大きく影響を受けていることを理解していました。
日本人はこの数十年で魚中心の食生活から肉中心の食生活へ変化しました。ピーク時に国民一人一年当たり40.2㎏摂取していた魚は令和2年の概算では23.4㎏と約半分に減りました。人口が減ると総消費量はさらに減っていくでしょう。

農林水産省 令和3年版水産白書より


水産物の自給率のデータも見てみましょう。1964年をピークに魚介類の自給率は下がり続け令和2年には57%と落ち込んでおり、国内の魚介類は消費量の約半分になっています。

農林水産省 令和3年版水産白書より


当社の主な仕入れ先である、ツナ缶の製造に関するデータも見てみると2011年に国産ツナ缶生産量が輸入ツナ缶に逆転されています。その後その差はどんどん広がっています。(2020年からは逆襲に転じているように見えますね!!!)

缶詰時報のデータよりイズカワ作成


つまり、ここ十数年で日本人は魚を食べなくなっているにも関わらず、魚介類の生産や、加工を海外に頼るようになっていることが明白でした。静岡の主産業であるはずの「水産加工業」も衰退し、海外からの輸入にその座を明け渡していたのです。

ここからは私の推測ですが、この原因は日本の消費者が招いてしまったことで、すべての産業について言えることですが、物価が上がらない「デフレ」が原因であると思います。消費者は品質が良くて安いものを求め、安いことが正しいことであるといつの間にか当たり前になってしまっていました。この当たり前に生産業者は苦労します。世界的な水産資源価格の上昇に加え、工場人員の確保、生産コストはどんどん上がっていく中で価格の据え置きや値下げを求められ続けました。その結果、人件費の安い海外での生産・輸入という方向へ舵を切っていったと想像できます。このままでは自分や静岡の会社だけではなく、日本国内でつくるものや産業がなくなってしまう。危機感は大きいものになりました。

静岡の、日本のピンチを救わないと自分の会社がなくなる。私が挑んだのは消費者の財布のヒモでした。デフレの世の中にあっても、人は好きなものには対価を払うし、人にあげるものにはしっかりお金を使う。このあたりに答えがあると感じ、あるアイディアが頭に浮かびました。

とても長くなってしまったので、次回へ続きます。長文お読みいただきありがとうございました。

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