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読書日記 | 12/4〜12/10

12/4(月)
部屋が汚れていた。服も脱ぎっぱなしになっている、本も散乱している。9時くらいに起きてからベッドに座ったまま、ぼーっと部屋を眺めていた。朝はSpotifyが自動生成してくれる、1年の振り返り用のプレイリストを聴きながら支度をした。
会社に向かうまでの時間は、原研哉さんの「低空飛行」のPodCastの「暗黒の深海を見つめて」の回を聞いていた。

会社では、今日から新しい仕事を任せてもらえて、コミュニケーションも上手くとれて、充実した1日だったように思う。
お昼は、会社の人とランチに行った。これから先どうしていくか、という話をいくらか聞いてもらった。たまに一緒にランチに行く人だけど、本当に聞き上手で、いつも真摯に話を聞いてくれる。見習いたいと思う。相談内容は、具体的には、今の会社を退職しようかどうかという話を相談していた。Entôという島根のホテルが採用活動を進めていて、気になっているので、カジュアル面談を申し込むかどうか、ぼんやりしていた。

仕事帰りに東北沢へ向かった。友人に教えてもらった、お香を買うために、「APFR(アポテーケ フレグランス)」というお店に向かった。最近は夜の時間やひとりの時間を大切にしたいと思う機会が増えた。そういうこともあって、香りにこだわりたいと思い、昼間に友人へ連絡して、教えてもらった。店内でいくらか香って、「Black Oud」と「Agharta」というウッド系の香りを選んだ。

東北沢に向かうときも、帰りも時間もずっと「夜ふかしの読み明かし」というラジオの村上春樹の「ノルウェイの森」について語る回を2時間くらい聴いていた。僕は「わたなべ」のことは好きだった。ノルウェイの森をもう一度読みたい。

最寄り駅に着いてから、飲食店で夕食を食べてから帰った。家に着いてから湯船を溜めているあいだ、掃除をしながら「本と学びと私の時間」というラジオを聴いた。パーソナリティのミキさんの声が落ち着く。
お風呂の準備が終わると、湯船に浸かりながら「出版禁止 いやしの村滞在記」を読んだ。
お風呂を上がってから、買ってきたお香を焚いて、そのあいだ読書日記を40分くらい書いた。「APFR(アポテーケ フレグランス)」のお香は燃焼時間が90分くらいと長く、ゆっくりした時間をすごせた気がする。今日はよく眠れそうだ。


12/5(火)
8時くらいに起床した。「本と学びと私の時間」というラジオをききながら支度をした。ミキさんの声は安心感を与えてくれる。朝、友人から文通のようなメッセージをもらったので、それを何度も読み返していた。返事をしようと文章を書いていた。行きの電車の30分、会社に着いてからの30分の合計1時間くらい書いていて、気づくと2800文字くらいの文章になっていた。そのあと30分くらい読書日記を書いた。

仕事は、リリースに向けてAWSのログの設定だったり、インフラの調査だったりを進めていた。CDKはTypeScriptで管理されているので読んでいるだけで少し楽しかった。
お昼はマックを食べながら、「silent」というドラマを観た。
仕事は20時半くらいまで働いた。

帰りの電車では「出版禁止 いやしの村滞在記」を読んだ。
家に着いてから夕食を済ませ、友人のアプリ開発の手伝いを23時半くらいまで行った。設計とか、仕様を考えるのは楽しい。
終わり次第、昨日買ったお香を焚きながら、「出版禁止 いやしの村滞在記」を少し読んでから眠った。


12/6(水)
7時少し前くらいに起きた。布団から出て、昨日の夜サボった洗い物をしていた。お腹がすいていたので、納豆で朝食を食べた。昨日焚いたお香の香りがまだ部屋の中に漂っている。朝早く起きるこの感覚は久しぶりだった。
まだ部屋が冷えていて、床が冷たい。素足で歩き回るからで、その冷たさが、僕の足を介して伝わってくる。それすらも心地よく感じる。
朝の支度をしながら 「本と学びと私の時間」というラジオを聴いていた。今回は、本の朗読回だった。朗読を聴くのも好きだけど、朗読をするのも好きだ。

朝の電車で「出版禁止 いやしの村滞在記」を読んだ。
「呪い」という単語が、 本の中でたくさん出てきたこともあり、少しこわい気持ちになっていた。友人と一緒に同じタイミングで読んでいるのだけれど、 友人はもう読み終えたみたいだった。

仕事は少しひまだった。自分のやるべきことは16時くらいには、終わっていたので、それからプライベートなことや、これからの会社で取り組みたいことを考えていた。。
いつもは19時の定時のタイミングで帰るのだけど、今月はチームのメンバーで19〜20時でもくもく会があったので参加した。その時間もひたすら考えごとをしていた。

帰りの電車でも「出版禁止 いやしの村滞在記」を読み、自宅に着いてから食事をすませてから、お風呂に入り、上がってからお香を焚いて、布図にいる間もずっと「出版禁止 いやしの村滞在記」を読んでいた。
なんだか今日は1日、これからのこととか、そういうことについて考えていたような気がする。そういうことをポジティブに考えるのは嫌いではないけど、なんだか少しだけ疲れた。頭をからっぽにしたい。そんなことを考えながら、天井に向かって直線に伸びていくお香の煙を眺めていた。


12/7(木)
朝の電車で「出版禁止 いやしの村滞在記」を読んだ。 もう少しで読み終わりそう。内容もなんだか盛り上がってきてそわそわする。食い入りように読んでいた。

仕事の休憩のお昼を早くすませた。というのも「出版禁止 いやしの村滞在記」の結末が気になりすぎていたためだった。30分くらいで読み終えた。
なにを言ってもネタバレになってしまいそうだから、ここには書かないが、それがちょっと悔しい。一緒に読んでいた友人とも、早く話をしたい。一言で言うなら、ただただ騙された。ドンでん返しの本を読んだときの高揚感が忘れられない。

帰りの電車で、「本と学びと私の時間」を聞きながら帰った。1日の終わりにきくと落ち着く声だった。ラジオを聞きながらnoteを書いていた。
友人との会話で好きな会話があり、それを文章として残したかった。最寄り駅に到着するくらいで書き終えた。そのうち公開できたらいいと思う。

夜、お香を焚いてけむりを眺めながら、次はどの本を読もうか、と考えていた。國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を読み直したいと思う。
眠る前に、朝吹真理子さんの「抽斗のなかの海」を読んで眠った。

 一月二十二日(土)
 朝から畳の上でのたうちまわる。原稿が終わらない。午前四時にようやく書きあがる。永遠に終わらないかと思った。こめかみが痛むのをおさえながら入浴。コールスロー嫌いの友人が言い放った「コールスローは憎悪の対象」という言葉が浴槽内でぐるぐる。午前六時、入眠しようとしている。
抽斗のなかの海』(P24、朝吹真理子著、中央公論新社)


12/9(土)
9時すぎくらいに起きた。うとうとしながら水を飲んで、またとこに入る。 次に目が覚めたときは11時くらいだった。なんだかやけに目が冴えていて、 布団に入ったまま、「暇と退屈の倫理学」を読んだ。30分くらいしてなんだか他の本も読みたい気分になって、近くに置いてあった宿野かほるさんの「はるか」を読みはじめた。20分くらい読んでいたら少し眠くなったので、本をそっと閉じて、またねむりについた。
なんだかよくわからない夢を見てきて起きた。でもなんとなく悪い気分には ならなかった。少しお腹がすいたので冷凍しているごはんをあたためて、冷蔵庫にあった納豆と一緒に食べた。
その後、片付けをすませて、また布団にのそのそと戻った。すぐに寝るつもりだったけど、寝付けなかったので30分くらい「暇と退屈の倫理学」と読んだ。気づいたら眠っていて、次に起きたときには、15時すぎくらいだった。30分くらい布団に潜っていて、15時半くらいようやく布団を出た。

シャワーを浴びて出かける支度をした。準備している間、広瀬すずの「よはくじかん」を聞いていた。このラジオを聴いていると不思議と丁寧な暮らしをしているような心持ちになる。幸せだ。

近所のカフェに17時くらいに着いて、20時くらいまでnoteの執筆や読書日記を書いたり作業を進めた。
帰りの電車から、映画「ラブ・アクチュアリー」を観ながら帰ってきて、帰ったあともいくらか観た。ひと足早いクリスマスだった。
夜、温船につかりながら阿久津陸さんの「読書の日記」を読んだ。


12/10(日)
7時すぎくらいに起床。少し床のそうじをした。落ち着いてから近くのコンビニにコーヒーを買いに行った。

8時から勉強会がある。最近、その勉強会の名前を沈殿物共有会という命名にした。その会は、8〜12時くらいまでひたすら話をした。最近見ているドラマの「いちばんすきな花」の話を切り口に、コミュニティの作り方とか、コミュニケーションの相互理解の話などを、具体と抽象を行き来しながら話をした。大人になってからこうやって本来的な意味で、何でも話せる人がいることに感謝したい。本当に幸せで、楽しい時間をすごせている。来年の2月で2年が経とうとしている。

午後は少しゆっくりした。映画「最後まで行く」を観た。韓国映画のリメイクらしかった。僕が観たのは日本版で、岡田准一と綾野剛が出演していた。

映画が観終わる頃には16時くらいになっていた。18時から予定があるのでそろそろ準備をはじめる。準備中は「本と学びと私の時間」をきいた。
目的地まで1時間くらいあったので「暇と退屈の倫理学」と読んだ。

 それにしても、人が快楽などもとめていないとは驚くべき事実である。「快楽」という 言葉がすこしかたいなら、「楽しみ」と言ってもいいだろう。退屈する人は「どこかに楽しいことがないかな」としばしば口にする。だが、彼は実は楽しいことなどもとめていない。彼がもとめているのは自分を興奮させてくれる事件である。
 これは言い換えれば、快楽や楽しさをもとめることがいかに困難かということでもあるだろう。楽しいことを積極的にもとめるというのは実は難しいことなのだ。
 しかも、人は退屈ゆえに興奮をもとめてしまうのだから、こうも言えよう。幸福な人とは、楽しみ・快楽を既に得ている人ではなくて、楽しみ・快楽をもとめることができる人である、と。楽しさ、快楽、心地よさ、そうしたものを得ることができる条件のもとに生 活していることよりも、むしろ、そうしたものを心からもとめることができることこそが貴重なのだ。
暇と退屈の倫理学』(P58、國分功一郎著、太田出版)

今日これから会う友人は、5年ぶりくらいに会う友人だった。
話をしてみると、自然と盛り上がれた。過去の話で盛り上がるというよりも、今の話で盛り上がることができて、安心できたし、うれしい気持ちになった。結局18〜23時半くらいまで話をしていた。
家に着いたのは、0時半くらいになり、ねむるしたくとしてから、そのまますぐに眠りについた。

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