見出し画像

読書日記 | 11/20〜11/26

11/21(火)
9時少し前くらいに起きた。支度をしながら、広瀬すずの「よはくじかん」をきいた。ゲストは写真家の奧山由之さんだった。声がとてもいい。なんだか2人の関係性は、互いをリスペクトし合ってるのが、話を聴いているとすごく感じられて、すてきだなと思った。
ものごとをなにか自分なりの、あるいはその職種からの眼鏡で見れる人同士の話は特に面白い。そしてそれは直感的であればあるほどに面白さは増すように思う。

通勤の電車で「感電しかけた話」を読んだ。

星の夜ふたりシーツにくるまってきみの旦那が死ぬのを待った/
みんなどの秋にキンモクセイのにおいって教えてもらったんだよ/
電話しながらぼくがあなたも舞浜を言う真夜中のもしも これから/
感電しかけた話』(P25、伊舎堂仁著、書肆侃侃房)

舞浜って夢のことかな。

お昼の休憩で近くの本屋に行った。
最近はなんだか漠然とはやいスピードに疲れる感覚がある。仕事の連絡、友人とのやりとり、SNSなど。誰かに見られているのは当たり前だと思う。自分も常に誰かを見ている。それがどうして、何で見ているのか、ということを考える暇もなく、つぎの情報がまたくる。また。
そういうものが気づかないうちに積もっていく。そして疲れる。そういうときはなんだか和歌を読みたくなる。本屋で「万葉集(角川ソフィア文庫)」を買った。

帰りの電車で「感電しかけた話」を読んだ。

週一回観てる が無くなると腐るし毎日観てる が増えると終わる
『感電しかけた話』(P68、伊舎堂仁著、書肆侃侃房)

最近はもやしか、豆苗をオリーブオイル、にんにく、鶏がらスープを使って、ただ炒める、これが無難に美味い。ただ少し口の臭いが気になる。部屋も。

怒りの感情を自分の中に見つけたとき、それを対象にぶつけなくても、ただ認知しただけでいやな気持ちになる。そもそもそれが怒りなのかどうかもわからなければ、誰のせいでもないこと、むしろ自分のせいのことが多い。だからそういう状況なのにイライラしている自分がいやになる。
眠る前、友人と通話をして、「断片的なものの社会学」を朗読した。


11/22(水)
朝の通勤で、「感電しかけた話」を読んだ。

ショートケーキだとしたらおまえ、もはやとがってるとこ1個もないぞ
『感電しかけた話』(P70、伊舎堂仁著、書肆侃侃房)

仕事は20時半くらいまで終わり会社を出た。今日は業務の中で1つミスをしてしまった。最近は自分の仕事への意識、意欲が低下しているように思う。しっかりしなくては、と思う一方で、なんだかどうでもいいような気もしてくる。会社の中では、孤独を感じることは多い。日々の中で楽しいと思うことも減ってるような気がする。「仕事だから」と割り切ってしまえば、済む話だけど、なんだかもやもやする。どれだけ自分は傲慢なのだろうか。

帰りの電車で「感電しかけた話」を読了した。

 あとがき
 見て、
 タトゥーいれた、と見せられた右腕には佐々木マキ『うみべのまち』の表紙 絵みたいなクニョクニョした線が入っていた。
 映画に行ったにはなかったそれに、あと普通にいきなりだし、焦ったぼくは、
 (人は「タトゥーを入れた人」について何か言うとき つまらないことを口にしがちであるし、)
 (10年もツイッターを見てたら、それくらいわかってくる)
 びっくりしたー、と言った。
 「たとえば『離婚した』、って言われたらその一瞬は驚くでしょ。でも離婚って、するし。ちょうどそんな感じだった。今。」
タトゥー入れれるってすごいと思う。あ もう一回いい?(腕を持ち上げる)かわいいと思う、みたいなことを早いまばたきで言った。
 なんだったらこの日の夜にはもう「あ、」ってなってたけど、だいぶ経ってひとりの今 一番くっきりと、「あれ別に『結婚』でもよかったな」と思っている。
 「たとえば『結婚した』、って言われたら驚くでしょ。ちょうどそんな感じだった。今。」
 読み返してみてつくづく、『離婚』のほうがとっさに出るような口が言う、そんな短歌ばっかりだと思う。7年経っていた。
 タトューみたいな歌集になってますように。
感電しかけた話』(P116〜117、伊舎堂仁著、書肆侃侃房)

不思議な感覚だった。なにを理解して、なにを理解していないのかわからなかった。なのにどこか心地よさを感じている自分がいた。本書の中の引用で出てきた、映画「ヒメノア〜ル」を観たいと思った。明日あたり観れるといいと思う。

夜は、豆苗ともやしと豚肉を、たくさんの胡麻油とニンニクで炒めて、ご飯と一緒に食べた。お風呂で少しポケモンをやって、布団に入ってから、「感電しかけた話、万葉集などの本の話をいくらかして眠った。


11/23(木)
8時くらいに起きた。今日は勤労感謝の日で、祝日で会社は休み。けれど、11時くらいから参加したいイベントがあったので早起きした。「SaaS Design Conference 2023」というイベントにオンラインでの参加になる。(本当はオフラインで参加したかったけれど、抽選にはずれてしまった)目的は、気になってる会社の方が登壇する。Takramという会社の河原香奈子さんが「エモーショナルなBtoBサービスのデザイン」という話をする。
話を聞いてみて、「自分のコアスキルの部分はわからない。」と思った。これがアピールできなければ現場で役に立つことは難しい。

午後は17時くらいまでずっとゆっくりしていた。アニメを観たり、ポケモンをしたり、昼寝をして過ごした。
日が落ちたくらいにようやく動こうと思い、洗濯をするため、コインランドリーに行った。洗濯と乾燥で合計1時間15分くらい待ち時間があり、そのあいだは、noteを書いて過ごした。
帰ってきて、夕食を食べて、少し部屋の片付けをした。体を動かすのは気持ちいい。変なだるさは抜けた。
ひととおり、落ち着いてから「感電しかけた話」で引用されていた、映画「ヒメノア〜ル」を観た。ほんとうに救いようのない映画だった。でもやっぱりすべてがハッピーになる映画より、暗い映画や結末の方が好きだ。なんだか現実みたいだから。それにしてもヒメノアールは暗すぎた。
夜はなんだか眠れず、深夜1時くらいまで読書日記を書いたり、作業をいくらかした。眠るとき、tomeiさんのBGMをききながらねむった。



11/24(金)
Takram radioを聴きながら支度をした。Livhubの編集長の飯塚彩子さんがゲストで旅行について考える回だった。とても共感する話が多かったように思う。ラジオ内で、哲学者の千葉雅也さんの「勉強の哲学」という本が引用されていて気になった。「勉強をするとノリが悪くなる。」そういうことが書いてあるようだった。それだけでも「わかる」という気持ちになった。

お昼の休憩で外食ついでに、本屋に寄った。2冊の本を買った。
1冊は千葉雅也さんの「勉強の哲学」、もう1冊は梨木香歩さんの「炉辺の風おと」を買った。

思いがけない非日常に立ち尽くす時も鳥は囀(さえず)り、木々は色づき、季節は巡る。太古からの時間、自らの生をまっとうするため、心にいのちの火を灯すエッセイ。
炉辺の風おと』(表紙裏、梨木香歩著、毎日文庫)

帰りの電車で「勉強の哲学」を読んだ。

深くは勉強しないというのは、周りに合わせて動く生き方です。
状況にうまく「乗れる」、つまり、ノリのいい生き方です。
それは、周りに対して共感的な生き方であるとも言える。
逆に、「深く」勉強することは、流れのなかで立ち止まることであり、それは言ってみれば、「ノリが悪くなる」ことなのです。
深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである。
勉強の哲学』(P14、千葉雅也著、文春文庫)

僕はノリが悪い人たち同士のノリが好きなんだと思う。でもそれは、ノリが良い人たちを冷笑するような立場にはなりたくないとも思う。
夜眠る前に、友人と電話してるとき、「勉強の哲学」の話をいくらかしてから眠った。


11/25(土)
11時くらいまでゆっくりとした時間を過ごしていた。
昨日の夜、眠る前に明日何しようかと考えていた。夜の段階では、早起きして銭湯に行くか、午前中の早い時間から江ノ島に行って、ゆっくりしながら作業をするか、1日中近くのカフェで読書日記を書くか。
ただ結局のところ、11時くらいまでだらだらした。お腹が空いたのでご飯を食べて、12時くらいから支度をはじめ、13時くらいに家をあとにした。

移動中は「勉強の哲学」を読んだ。

 お笑いの技術を勉強してネタの自由度が広がると、十分おもしろかったはずのネタがありがちなパターンにすぎないとわかってしまい、笑えなくなる。
 自己流で歌っていたときの荒削りだからこその迫力が、一念発起してまじめにボーカルレッスンを受け始めたら、だんだん失われてしまった。
 こんなふうに、勉強は、むしり損をすることだと思ってほしい。
 勉強とは、かつてのノっていた自分をわざと破壊する、自己破壊である。
 言い換えれば、勉強とは、わざと「ノリが悪い」人になることである。
勉強の哲学』(P20、千葉雅也著、文春文庫)

目的地のカフェに着くと、時間もあいまってか、すごく並んでおり、混んでいたので、結局近くのスタバに行くことにした。10分くらい待ったら入ることができた。それから20時くらいまで、読書日記を書いたり、noteを書いたりして過ごした。

夜は、家に帰ってから「勉強の哲学」を少し読んだ。食事を済ませ、お風呂に入ってから、映画「ディパーテッド」を観た。たぶん観るのは3回目くらいだと思う。映画は気に入ってるものを何回も観てしまうくせがある。


11/26(日)
7時に起きた。すごくお腹が空いていたのと、コーヒーを飲みたい気分だったので、近所のコンビニに買い物へ行った。
パンを食べて少ししたら、強烈にお腹が痛くなり、トイレに駆け込んだ。いつも自分がお腹が弱いことを忘れ、食べすぎたり、負担のかかるものを食べてしまう。

8時から友人との勉強会(雑談会)がある。ところでこの勉強会になにか名前をつけたいと思っていた。個人的には沈殿物共有会という命名がよいのではないかと思っている。
いつも3時間ほどあれこれ話すのだけど、今日は試しに音声を録音してみることになった。後から聴き直してみたい。話は、近況報告とか、ジェンダーの話とか、友人がホストに行った話とか、コミュニケーションとしての言語の話などをした。11時過ぎくらいに終わった。
その後、1時間くらいは録音した音声を編集していた。自分の声は少し恥ずかしいけど、編集時にこねこねするのは楽しい作業だった。(いつかPodcastをやってみたいと思っているのでその練習になればと思う)

16時くらいまで、ドラマを観たり、アニメを観たり、本を読んだりしてすごした。そのなかで、広瀬すずの「よはくじかん」もきいた。すず(広瀬すず)さんとおっくん(奥山由之さん)の声が心地いい。おっくんが自主制作で作った映画「アットザベンチ」の話をしていた。観てみたいと思った。脚本家は生方美久さんらしかった。午前中に沈殿物共有会のみんなで話をしているときに、友人が「いちばんすきな花」の話を引用していた。こちらの脚本も生方さんだったので、不思議なつながりだと思った。

夕方に美容室に行く予定があったので、17時半くらいに着くように向かった。約2ヶ月ぶりだった。本の話とか、近況報告をいくらかした。とても素敵な時間だった。美容師さんと何かミステリーを同じタイミングで読んで感想会をしようという話になった。本は、長江俊和さんの「出版禁止 いやしの村滞在記」に決まった。今日の夜から読みはじめようと思う。

帰りの電車で、「アットザベンチ」を観ながら帰った。

なんというか、言葉にしたら消失してしまいそうだけど、映像の野暮ったさと、フィルム感、映画で取り扱うエピソードの日常感がとてもいい。どこか安心する気持ちになる。

家に着いてからは、お風呂に入りながら、「出版禁止 いやしの村滞在記」を読んだ。

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?