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男性にも女性にもなりきれない女の苦脳その2

その1の続きです

中学生といえば、思春期真っ只中。

女子のグループ行動は小学生の時よりも固定化されていくように思う。
あの女子特有のトイレ移動はなんなのだろう。行きたい人が一人で行けばいいのに、行きたくもないのに道連れになる。
断ることは簡単だが、下手に波風も立てたくない。トイレに行く時は友達と一緒。それが常態化すれば疑問にも思わなくなるから不思議だ。

そして、人の目を気にするお年頃。

例外にもれず、私も人の目を気にするようになり、さすがにクラスでは小学生の時のような立ち振る舞いはせず、大人しくしていた。

それでも、私の何かが疼くものだから、部活の仲間の前だけは"お笑いキャラ”を小出しにし、歌マネ、アニメの声マネ、動物や虫のマネなど、あらゆるジャンルのモノマネを披露した。

皆がお腹を抱えて笑う、その瞬間は自己有用感に満たされ、必要とされていることを実感できた。家に居場所のなかった私は、誰かに必要とされたかったのかもしれない。

「十六夜さん、モノマネ得意なんだって?やってよ」

その"お笑いキャラ”ぶりが評判になり、部内のお楽しみ会では、決まって先輩からモノマネのリクエストがやってくるようになった。

先輩の心を掴んだ私は、次期部長候補となった。

しかし、私は部長などという責任のある立場に就く勇気などなく、泣きながら「部長にはしないでほしい」とお願いした。

人前でモノマネをする度胸はあるくせに、人を束ねる勇気はない。
かつて”番長”と呼ばれた私だが、勝手に場を仕切ることと、ある種の目的を持って部内を仕切っていくのは全く違うのだ。

私の中で二分されるものがあった。

度胸があるのか小心者なのか、男なのか女なのか。

自分の中の男と女が場面によって入れ替わり立ち替わりひょこひょこと顔を出す。

もともと演劇が好きだった私は、舞台女優になりたいと淡い夢を抱くようになり、ますます人の目を気にするようになっていった。結果的に、これまで培ってきた男性的な面を修正せざるを得ないことに気づいた。

まず、男みたいなガハハ笑いをやめる努力をした。
これは、なかなか大変だ。女性らしい笑い方なんて意識してしまうと笑いが不完全燃焼してモヤモヤ感だけが残る。笑った気がしない。

この不完全燃焼が何日も続くと笑いが溜まってきて、ほんの些細なことで笑ってしまうようになる。
笑ってはいけない場面で笑ってしまう。酷い時には、人の顔を見ただけで大笑いしたくなるのだ。

この"笑いが溜まる"感覚が分かるだろうか?

友人数名に聞いたが、そんな感覚はない、そんなの変だと言われた。しかし、兄弟や従兄弟に聞くと「分かる〜、あるある!」と返ってくる。
これは、家族文化と言う部類に入るのではないか。

そして、もうひとつ。舞台女優を目指すために修正したこと、それは悲鳴だった。
通常、多くの女性は絶叫マシーンに乗ったり、苦手な昆虫が出てきたりすると甲高い声で「キャー」と叫ぶ。
しかし、当時の私は男性化していたため、低めのトーンで「うおー」としか叫んだことが無かった。

自分が女性らしくなっていくことに、照れや恥ずかしさはあったが、それよりも舞台女優への憧れの方が勝っていた。
私は、何度も何度も「キャー」と叫ぶ練習をした。もともとモノマネが得意だったこともあり、割と早く習得することができた。

一体、どれくらいの中学生が、笑い方や悲鳴の上げ方を練習するのだろうか。
私には、男性になることも、女性になることも努力のいることだった。

女性を取り戻していくのはいいが、中学生活を楽しむために避けては通れない問題があった。

小学生の時に、初老の男性からイタズラされそうになった経験から、男嫌いになっていたことだ。

男性アイドルの歌声に吐き気がしたり、年上の男性に対する嫌悪感、友人のキスしたという類の恋愛報告への嫌悪感。

恋心を抱いた相手に対しては不思議と大丈夫だったが、それ以外の男性全てが嫌悪の対象だった。

生きづらい。

そこらじゅうに男性がいる。外ばかりか、自分の中にも男性がいるというのに。

自分の内と外にいる男女との折り合いをどうやってつけていこう…。

※高校生以降もゆるゆると綴っていきます

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