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22歳から25歳までに考えたこと【更新を終了しました】

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大学を卒業してから社会人3年目までに書いた記事をまとめました。これからどのように生きていけばいいのかをずっと模索していた時代のこと。 【生き方・人生論・若者・青春・新卒】
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#若者

文章と写真で、自分の世界観を伝える。

新しいカメラを買った。 これからの相棒を握りしめて、都会を練り歩く。 もともと私は“写真を撮る”ということに対してこだわりがなくて、 強いて言うならば思い出を記録する媒体でしかなかった。 それがこの1〜2年で大きく変化して、 写真は自分自身の世界観を伝える手段となった。 文章を書くことも写真を撮ることも、 誰だってできることだ。 誰でも万人に向けた発信を叶えられる時代に、 これといってプロとアマを隔てる壁はない。 もしもそこに壁があるとしたら、 その人自身が勝手に作

20億年後に地球は滅亡するけど、持続可能性は大事なのか。

地球はそのうちなくなる。 だから、持続可能とか意味ないって思った。 地球の終焉のシナリオはこうだ。 太陽の寿命は約100億年で、 すでに45億年ほど生きているから、 残りは55億年。 もちろん太陽がなくなれば地球は冷え切って、 生き物は全滅を免れない。 さらに太陽の引力を失ってから、 地球は広大な宇宙を彷徨い続けることになるという。 だから太陽がなくなる55億年後が地球の最後…… ではなくて、残念ながらもっと早いらしい。 太陽はなくなっていく段階で膨張する。

年下に「頑張れよ」と言う心境。

駅のホームで電車を待つ。 ダイヤはわかっているけど、 癖でついつい時計を気にする。 汽笛を鳴らして到着する電車。 乗り込む私。 やっと乗れた電車のなかで、吊り革に掴まって眠る。 次の駅に着くと、 数分前の自分と同じように電車に乗りこむ客。 次の駅も、その次も同じように繰り返している。 きっと私が乗った駅でも、 また次の客が電車を待っているのだろう。 そんな“繰り返し”の日常だ。 ーーーーー 私は今23歳で、 0歳から1年を23回ほど繰り返してきた。 電車で

人生は初体験を終えるたび、つまらなくなるのだろうか。

人生で一番衝撃を受けたのは、 インドへの一人旅だったと思う。 それは19歳の夏のことで、 世界の無限の広さを知る旅になった。 どう生きてもいいんだと思えた瞬間から、 自分の人生をワクワクする方へ進めようと決意した。 ワクワクすることというのは、 若者の僕にとっては未知の世界のことで、 知らない物事との出会いを無意識に求めること。 経験したことのないものを得るたびに、 人生の幅が広がっていくような気がした。 でも……同時に思うこともある。 また一つ、ワクワクを消費

「私はこう思う」と胸を張って言える大人になろう。

ブログやSNS、それにnoteといった発信手段と付き合っていて、そしてライターとして記事を書く仕事もあるなかで、大切にしていきたいことがある。 それは、言葉と行動のバランスだ。 言葉というものは経験によって紡がれていくものだ。 経験に基づいたインプットがあるからこそ、 その結果としてのアウトプットがある。 経験の伴わない言葉は虚しくて、 そして人の心に響きにくい。 私が経験主義になった経緯について、 思うことをつらつらと書くことにする。 ーーーーー 私が自分の人

文章を書く人間の本質。

文章を書く人間をふたつのタイプに分けてみると、 ①自分が思うことを発信する人 ②人から聞いたことを書きおこす人 という分類が成立すると思う。 小説家やブロガー、それにエッセイストなんかは①になるし、 記者やジャーナリストは②に当てはまる。 私が文章を書くことを好きになったきっかけは おそらくは小中学校の国語で、 読書感想文や弁論大会などで 「じぶんが思うこと」を言葉に表すのが好きになった。 高校生になると小説を書く遊びを覚えて、 大学時代は就職活動を機に、頭を整理

責任感をもって生きるために心がけていること。

ここ最近、じぶんに課していることがある。 それは、絶対に人のせいにしないこと。 この世界で生きていれば、それはそれは苦しいことばかりだ。 じぶんがこうしたいと思っているのに、世の中は到底そのようになってくれない。そのことに私はいつもイライラしていて、そしてそれはじぶんの心が未熟なせいであることも知っていた。 この世界は思い通りにならないことばかりだということを、私は心底痛感していた。 だから、決めたのだ。 人のせいにしない、と。 ーーーーー 不平不満が募るのはだい

伊勢神宮のそばで暮らして、日本人とはなにかを考え始めた。

私は一年前から、伊勢神宮まで車で四十分のところに住んでいる。 距離として決して近くはないが、 週に何度かは足を運ぶ生活圏のなかに神宮がある。 いままで神さまは手の届かないところにいて、 空の上を見上げるように触れ合っていたけど、 こちらに越してきてから神さまがグッと身近になった。 町の至る所に神さまがいることと、 季節ごとのお祭りや神事を目にしているからだろう。 日本の神さまと日本人について。 今回はそもそも論を展開したいと思っている。 ーーーーー 日本という

ルールに疑問を抱く若者がルールについて考えたこと。

「郷に入っては郷に従え」 この慣用句はとても良い言葉だ。 重要なのは「自分の価値観と異なっていても従え」というところ。 時代錯誤だと決める前に、 その意味をじっくりと考えてみよう。 たとえば友人の家に招待されて、 その家が室内も土足厳禁だったとして、 欧米では土足で入るのが一般的だと言って、 無視するのはどうだろう。 べつに家主がそう言い張っているだけで、 破ったところでどうということはない。 多少人間関係はギズギズするかもしれないが、 土足で上がりたければそう