南伊豆町・白水城址〜発掘調査⑥
昨日、伊豆の考古学者・金子浩之先生から南伊豆最南端・石廊崎にある白水城趾の再度、発掘調査に行くと突然の連絡をいただいた。
発掘調査⑤の後日、更に2日間の調査を行い、成果をマスメディアへのプレスリリースして約1ヶ月が経過した。
少し時間が空いてしまったが、今回は学術的な決着をつけに行くという。
毎度ながら金子先生との時間は伊豆半島を通じて学びしかない。私は明日の計画の優先順位を調整して参加させていただくことになった。
2022年4月20日10時。まずは河津町教育委員会の町史編纂室がある分室へ。道といえば伊能先輩。先生方が話している間に伊豆測量日記を見つけた。『伊能測量隊伊豆をゆく』著者の佐藤陸郎さんは金子先生の同僚の方だった。
さらっと読める旅日記のスタイル。伊豆半島は私も実際に歩いてるので、地名や様子から情景が浮かび上がる。一緒に巡っているような気分になった。
囚われの身となった吉田松陰が籠に乗せられ、伊豆の踊り子が歩いた言われてる下田街道を南下。機会があれば東海道三島宿から下田へと歩いてみたい。
下田富士。タウンからではなく、北側から見たほうがカタチが美しい。かつては女人禁制の厳しいお山だと聞いている。こちらも機会を待ちチャレンジしたい。
12時。石廊崎港に到着。およそ一ヶ月ぶりの馴染みのある情景に笑みが溢れてしまう。生き生きとした新緑の成長っぷりに、季節が変わったことを肌で感じる。まずは山の中へ入ってしまい、事前に産直市場で買ってきたお弁当で腹ごしらえだ。
白水城趾は遊歩道として整備されている区間もあり、ベンチやテーブルがある。調査してる廓(くるわ)から、一つ登った平場のベンチで食べることにした。
図面に落とし込むためトレンチの測量開始。測量アシスタントしながら、南伊豆の自然や生態、文化や歴史へと話題は及ぶ。経験も精通もない私にとっては願ったり叶ったり。実践を通じて有り難く学ばせていただいている。
ある程度の測量を終えると、トレンチの中に、更に小さなトレンチを掘削する。自然のままの地盤・地山の確認だ。残り時間を考えると「地山の確認作業だ。」と割りきって側溝を掘るように進めるべきなのだけど、遺物に出合うためには、どうしても移植ごては繊細な動きになる。
移植ごてが何かを感じた。おや?これは!?
白水城の出土品ではお初の古銭だ。興奮して廓の外周を計測してた先生を呼ぶ。「これはびた銭だろう。年代を確定させる良い出土品だ。」
びた銭を漢字で書くと「鐚銭」。鐚の字は「金」と「悪」を合わせた国字で、価値の低い粗悪な銭貨を意味する。室町中期から江戸初期にかけて私鋳され、特に中国の永楽銭以外の私鋳銭や、寛永通宝鋳造後の鉄銭を指す。
そのような粗悪な銭すらも出せない意味から、「びた一文まけられない」などと使われるようになった。
17時前。閉館ぎりぎりで南伊豆町役場の教育委員会へ駆け込んだ。
古銭の発掘以降も、今までの発掘調査とはひと味違う質の良い出土品が合計3点出土した。状況報告と今後の決着方法について打ち合わせをした。