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無題

大人になる機会を失ってしまっているかもしれない。何をもってして大人になった、といえるのかはわからないけれど。私が大人になれなかった、ということだけは理解できる。

大人なんて概念、だけれどもごく一般的な大人のイメージとやらと比較すると私はただの子供だ。

いつでも、いつまでも愛情に飢えていて、間違った学習の結果か生まれついての性質かはわからないけれど愛情を求めて人に深入りしては深手を負う。そしてそのまんま、こんな被害者意識丸出しの文章を書いてしまう。しかも、今回なんて別に誰かから深手を負わされたわけでもないのに。自己陶酔も甚だしい。

破れ鍋に綴じ蓋、底の抜けたバケツ、そんな感じですり抜けてく。与えてもらったもの、安心、愛情のようなもの、称えることば、思いやることば、心配、プラスの働きかけをしてくださった人達の思い、全部すり抜けてしまって、もらってももらっても寂しくて満たされなくてキリがなくて、欲しかなくて、寂しさの穴を埋められずに一人で苦しみ続ける。どれだけ私は傷つきたくないんだろう。そうやって閉じることによって自分を堅く守り続けて、結果的に自分を傷つけ続けているのかもしれない。

きちんと満たされるはずなのに、満たされているはずなのに埋められない、そんな自分を理解してやることができない。

ほら、やっぱりね。私の価値はそんなもん、と無理な欲求を押し付け人に求め呆れられ、そもそもなんだったかもわからないような欲を諦めることで斜に構えて閉じて、自分の世界に帰って一人でわけもわからず泣き続ける。一体何がしたいのか。

なんの欲だったかもわからなくなって、一人になって、寂しくなってなにかもわからず結局は人を求める、何もいらないと言いながら人を求める。赤ちゃんが抱っこして欲しくて泣いているのと変わらないような気がする。そこに健全や不健全などの思考が介入する隙間はないのだ。

私は既に成人しているのに、なんでどうしてこんなことになってしまうのか。人に期待なんてしていない、求めていないといいつつも心の奥底でそれを望み続けてしまっているのか、それがいいことなのか、わるいことなのか、そもそもそれらに善悪などあるのか、自分の感情がわからない。ただ、気持ち悪い。

認められたいの?可愛がられたいの?もし、そうされても私は満たされない、満たされなかった、何がしたいの何が欲しいの、このままじゃだめなことはわかるけれど、それ以外がわからなくて自分に対する不信感と嫌悪感だけが大きくなって弾けてしまったみたい。

私は生きたいので、生きるので、これからも自分の中の小さな子供と向き合い続ける。前に進めなくてもいい。ただ、過去をふりかえったとしても戻ることはできない事実をしっかりと認識しておく。パニックになると当たり前のことも分からなくなるから。

理解できなくていい、しなくていい、そう感じたそう感じられるようになった自分がいるという現実を素直に受け入れたい。

新しい発見は刺激。

そこから成長しなくてもいい、何もしなくたってもいい。ただ現実の時間は過ぎてゆく。目の前のことを、自分が好ましいと思ったものを大切にする為に、考える。考えないことを考える。

たくさんの人から貰った愛を返そうと思わなくてもいい、愛されなくてもいい、どこかで私に手を差し伸べてくれた人がいた事を忘れず、しばらくはそれを支えにしよう。肩肘張らずに。

他者依存も悪くない、一人で閉じこもるのも悪くない、全て含めて私で、今まで私をコントロールしてきたのも私だ。本当に誰からも愛されていなかったか?わからないし、生きる為都合のいいように愛されていたと無理矢理解釈しているのかもしれない。


結局のところ生き方に、思想に正解はないのです。

私は偽善者と言われることが人生の中で何度かあった、その言葉を私に向けた人の真意はわからないし私の発言は相当気持ち悪いでしょうが、どれだけ矛盾していようと全て本心なんです。

死ぬまで生きる為に吐き出させて、私を整理させて下さい。



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