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療育:今日は模範生のような息子。 えっ?なんで?どうした? なるほどそういうことね。

今日はよくできた!なんで?

本日は新設されたピカピカツルツルの教室での療育。
新しいモノ好き親子は
ワクワクしながらちょっと早めについた。

療育終了後
「おかあさん、セイちゃん今日すごかったね。」
と開口一番に言った。

私もそう思ってた。
正直、できすぎじゃない?ってくらい。

次々と課題をこなし、
工作では左利きながらも一生懸命ハサミを使い
色塗りでは独創的な色使いで虹色人間
が出来上がった。

苦手な縄跳びも
今までだったらスタートラインにさえ立たなかったが
縄を持って飛んでいるではないですか。いっち、にい、さん、、と。

課題を考える側が
「そうそう、それを鍛えるためにこの課題作ったんだよ!」と手をたたいて喜ぶような模範のような動きだった。

なぜだ。

私は懸命に頑張る息子に
声掛けしながらも
なんでだろう。
と思っていた。

「じつは、あの訓練が効いてるんですよー」じやなかった。

なんでですかね?
と聞こうと思ったとき

「お母さんの声掛けも、
ナイスな言葉選びとタイミングだったしね。」
と先生が続けて言った。

私?
私の声掛けもナイスだったわけか。

「セイちゃんは経験が積み重なってきてるね。
『ぼくできるかもしれない』
『これに似たやつ前にやったな』
と見通しがつくようになってきてる。
その見通しできる長さも
前は2つむこうのことまでだったけど
今はもっと長く見通せるようになってきたから
今日は色々やれてたねー。」

経験と見通しか。

アレが良かったからこうなった
この訓練が効いてるな

ではないのか。
全ての経験がセイタのモノになったわけか。

そう考えるとアレもこれも全ての経験が宝じゃん

このちっちゃい体に
いろんな経験詰め込んでんだな

と思うと有り難くなって、
愛おしくなった。

私も声掛けがナイスと言われたわけだけど
「今はこう言わなきゃ、
こういうときは、こう言わなきゃだった!」
とか
「この声掛けは前に成功したな、
これ言っても全然聞かなかったわ。」
と考えていったわけじゃない。

私なんて声かけしたっけ?

正直覚えていない。
要は自然と出てきてたのだ。

コレが経験が積み重なったということか。

私も息子も経験が積み重なっていて
今日があった。

始まり→習慣→経験→宝物のスゴロク

「褒めてみよう」
「ダメって言葉を置き換えてみよう」
「何にも言われない自由な時間作ろう」
、、、
いろんなことを始めて
それが習慣となって
経験となって
今日がある。
スゴロクだよ。

ドレがナニに効くなんてどうでもよくなってきな。
ドレもナニもアレも宝へと結びつく経験なんだからさ。

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