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橋本和夫さんのお話を聞く会〈後半〉

 7月21日、89歳にして今も尚現役の書体デザイナーでイワタデザイン部チーフ、橋本和夫はしもとかずおさんのお話を聞く会を開催しました。

書体と向き合い70年。様々な時代のお話で2時間以上の大変充実した内容となりましたため、noteではその2時間を超えるお話を前後半に分けてご紹介。前半では、橋本さんのモトヤ時代のことや写真植字しゃしんしょくじとの出会い、また石井明朝いしいみんちょう本蘭明朝ほんらんみんちょうについて語られました。

 後半は、紅蘭楷書こうらんかいしょ新楷書しんかいしょなど橋本さんが携わられた書体の具体的なお話や書道のこと、また今後の展望についてお伝えします。


紅蘭楷書


 紅蘭楷書は、橋本さんの写研時代の代表作のひとつです。漢字については元々中国で作られた書体で、上海の印刷会社が写研の写植機を導入するにあたり、従来から使っていた書体を写植で使えるようにと文字盤制作の依頼があったことが始まりです。  

紅蘭楷書
株式会社写研 写真植字見本帳No.44より引用

橋本:これは書道でいう楷書が元になった活字書体なんですけれども、それが回り回って、写植で日本向けにも作りましょうということになったわけですね。

 他のどの書体でもそうなんですけど、その書体を実際に使う媒体とのマッチングが必要になってきます。写植機の特性に書体を搭載してそれを実際に出力した時に、その写植機にマッチするかということですね。例えば紅蘭楷書の「豊」という字がありますが、金属活字では一番上の細い線は元の活字では印刷で見えるか見えないかくらいの細さしかなかったんです。活字としてはそれで良くても、別の媒体にするとまずい場合があります。この楷書のそういう欠陥を写植機に搭載した時に対応できるように整えていきました。

漢字と仮名の関係


橋本:日本語を作る場合には漢字だけを写植機の文字盤にするわけにはいかないですよね。仮名が絶対必要です。どの書体でも非常に重要で視覚の問題になるのが漢字と仮名の関係なんですね。中国の人に上手いこと仮名を書いてくださいと言ったって、なかなか日本人が書くようにはいきませんから、紅蘭楷書を作る際、仮名は写研の誰かが書く必要があります。私は紅蘭楷書の漢字を「活字用の漢字」としてではなく、文字固有の形を持たせた「筆記体の漢字」として考えていました。

 この「豊」の字、日本人が書くとあまりこういう風にはなりません。いわゆる日本人が書く漢字は、四角くて活字っぽいことが多い。書いてみれば分かると思いますが、上の「曲」という字を書くと、大体それと同じような大きさで「豆」を書くと思います。極端に「曲」を広くして、「豆」を狭く書く人っていうのはほとんどいないと思うんですね。だから、紅蘭楷書の仮名はこういう個性のある形を重要視した形でないとダメではないかなと考えました。やっぱり仮名を書き文字風にしたいと。

紅蘭楷書の「豊」
株式会社写研 写真植字見本帳No.44より引用

 その時、私が仮名の書道を習っていた宮本竹逕みやもとちくけい先生の仮名を思い出しました。先生の字は勢いがあって速く書いたような、いわゆる仮名書きの仮名なんですね。紅蘭楷書にはそういった、平安朝の仮名がいいんじゃないかなと思いました。

宮本竹逕「琴の音に」
福山市ホームページ:https://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/より引用

 ですから、今で言うとちょっと字が極端かもしれません。例えば「う」が細長すぎるとか「い」が平ったいとか「あ」が縦長とか。でものびのび見せようとデザインしたのが紅蘭楷書の仮名なんです。これは私が普段書く仮名に近いと思います。紅蘭楷書の仮名は、連綿的な仮名に近いと認識してください。

仰覆向背ぎょうふくこうはい


 橋本:私が書道で一番最初に習ったのは、欧陽詢おうようじゅん「九成宮醴泉銘」きゅうせいきゅうれいせんめいという書です。

欧陽詢「九成宮醴泉銘」
Wikipedia:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AC%A7%E9%99%BD%E8%A9%A2より引用

 仰覆向背という⾔葉、皆さんご存知ですか。「仰」は「⼆」の1画⽬中央が下に下がる形で反り「覆」は「⼆」の2画⽬中央が上に膨らむ形で反る。「背」は縦画が内側にくびれるように反る(「向」は外側に膨らむ形)。これが欧陽詢の『九成宮』の基本の形です。こんな⾵に仰覆向背の形も、平安朝の仮名がそうであるのと同様に紅蘭楷書の仮名の基本になっています。

仰覆向背を説明する橋本

 私は一番初めに下書きするときはいつも筆で書きます。筆で書かないと、文字の勢いが分からないんですね。明朝の場合でも筆で書きます。最初に鉛筆と定規を使って線を引くと、そこから仰覆向背にするのは大変な努力が要りますから、自分で筆で書いてしまった方が案外いいんですね。


イワタ新楷書


橋本:
イワタ新楷書を作るときは、できるだけ肉筆に近い、それこそ石井茂吉いしいもきちさんじゃないですけれども、どうやったら文字に味がつくのかを模索していました。
(「文字の味」については、前半をご覧ください)

 私は一から書体をデザインするときには、漢字から書き始めても、それに合う仮名を同時にイメージしています。だから仮名をつくりなさいといわれると、はいっ、て書けます。じゃあちょっと考えます、とはなりません。その逆も同様です。漢字は漢字、仮名は仮名という考え方はしないです。

 頭の中にすでに書いてあるので書くときはあまり迷いません。例えば書道をやるときもそうです。書いてから消してまた書くなんてことはしないですよね。だって筆を持って半紙に向かうと、「一」を書きましょう「二」を書きましょうって自然に頭が先に働いているはずですから。筆を持って書く以前に、頭の中でプログラムができているのではないかなとよく思うんです。

 モトヤにいた頃は太佐源三たいさげんぞうさんに「フリーハンドで書くように練習しなさい」と教わりました。なるべく定規を使わずに線を書けるようにって。毎日一生懸命練習しました。確かにフリーハンドで書く曲線というのは自然なんですね。結局手で書く円弧というのは、書いて消してと何度も修整するのではなく、頭の中で自然に書いているわけです。ですから書道を習っていた経験はフリーハンドでの描線に大いに役立ちました。

画線の質を大切に、その訓練


橋本:
タイプフェイスの文字でも、画線の質は大切にした方がいいと思っています。中途半端な線を書くのではなく、さっき話したように思い切ってフリーハンドで書くように心がけた方がいいんじゃないかと。我々の時代は一にも二にも練習しなさいということに尽きるんですね。画線の質がどうしたら良くなるか、はっきりとした答えは出ませんけども、ある程度技術を自分の体に覚えさせるというのが必要だと思うんです。

 私が感心したのは、熟練の方が書いた名刺の字です。今すぐ名刺が必要だという人のためにその場で書き上げるという仕事があったのですが、その職人が書いた字が私が実際に見たことがある一番小さい手書きの字でした。あれもやっぱり手に覚えさせているのだと思いますし、活字の彫刻も同じです。

 私は曲線を書く練習をしょっちゅうやりました。短いストロークではダメで、A4の紙だったら対角線の長さくらいは必要です。文字の一画くらいの長さでは何の足しにもなりません。それは指先の運動であって、手の運動ではないんですね。


書道のお稽古で学んだこと


 橋本さんは20歳頃から書道を始めました。村上三島むらかみさんとう氏、近藤秋篁こんどうしゅうこう氏、長谷川公湖はせがわこうこ氏、宮本竹逕氏の4人の先生に習っていたそうです。

橋本:私は書家を目指していたわけではなく、文字の仕事のために書道を習っていました。書道で得たものは非常に多いです。4人の先生それぞれから影響を受けました。これは自分にとって大きな財産じゃないかと思います。

 書道では臨書といってお⼿本を⾒ながらその通りに書くことをするんですけれども、なかなか書けません。一本の線を引くだけでも、先生の筆というのはすごく複雑な動きをしているんですね。私はその先生の手本を習うときに、文字のアウトラインをとってみました。アウトラインを書いてみると、その線の動きというのがよく分かるんです。


草書について


橋本:
草書は楷書を崩した字で、最も速く書ける書体です。行書は少し崩した字ですが、その究極が草書なんです。楷書は直線と曲線のつながりですが、草書は線がユニークで、曲線のつながりでできています。私は楷書と草書と、それから仮名書きの仮名の3種類習いました。それらが今の文字に表れているかは分かりませんが参考にしています。だから、例えば点のカーブの取り方なんていうのは結構うるさいです。

お寺と書道

 
 橋本さんは書道に関連して全国様々なお寺にお参りされています。会場では、現在まで集めている御朱印帳も見せていただきました。

橋本:それともう一つ書道の勉強になったのは、色々なお寺を見に行ったことです。お寺には様々な扁額へんがくだとか額だとかに文字が書いてありますが、一番頭に残っているのは京都の黄檗山萬福寺おうばくさんまんぷくじというお寺です。大阪にいた頃は1時間くらいで行けたので何回も通いました。あそこには黄檗宗の禅僧である鉄眼てつげんが出版に尽力した経典「一切経いっさいきょう」の版木があるんです。一切経の文字の特徴は、最後の縦画が広がって、一旦ぐっと抑えて、ピンとはねる。こんな文字です。この一切経の文字は顔真卿がんしんけいの『建中告身帖けんちゅうこくしんじょう』の筆の文字と非常に似ています。

鉄限版一切経の文字の特徴について説明する橋本

宝蔵院(萬福寺)ホームページ

顔真卿『自書告身帖』(『建中告身帖』) 台東区ヴァーチャル美術館ホームページ


 そこで私は、書道は書道用、活版は活版用ということではなく、この二つには結びつきがあるのではないかなと思いました。だから、文字の仕事のために書道を習っていたのも無駄ではなかったという気はしています。

技術向上のために個人で取り組めること


 参加者からは、書体作りの技術を向上させるためにできることとは?という書体デザイナー視点の質問もありました。

橋本:何でもやってみるということだと思います。趣味と仕事は別だとも言いますが、我々の仕事は趣味と関連しているように思うんです。文字だけを見ればもちろん文字なんですが、そこに含まれる要素がたくさんあります。趣味のない人はいないというくらい、皆さん何か取り組んでいることがあるはずですから、それを伸ばすべきではないかなと。

 それと、いいものを見て歩くというのも良いです。私はウインドウショッピングのように、街を見て歩くのが好きなんですよ。昔はデパートを見て歩いたり。同じ看板でも原宿は新鮮で、私の住んでいる⼤泉学園とはちょっと違うように見えます。やはり新しいものを見て歩くというのも勉強の一つですね。

「人は人 吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾は行なり」

 
 私がモットーとしているのはこの言葉です。京都には、南禅寺から銀閣寺までの間に哲学の道というところがあります。そこを歩いていくと西田幾多郎にしだきたろうさんという人の句碑が立っていて、「人は人 吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾は行なり」と句が書いてあるんですが、この言葉が好きです。利己主義ではありませんが、自分は自分として高める努力をしなければ人に偉そうなことは言えないということだと私は考えています。

哲学の道 京都観光オフィシャルサイト


新書体のインスピレーション 


 橋本さんは様々な場所に赴き、街の様子や看板の文字などから刺激を受けているとのことですが、他に新書体のインスピレーションはどういうところから得られているのでしょうか。

橋本:できるだけ新しい媒体を敏感に感じ取るようにしています。例えばある書体を見ていて、この書体ならこういうところに使ってもいいんじゃないかとか。要するにスマートフォンやパソコンなど、媒体を対象に考えるということですね。媒体には仕組みがありますから、例えばパソコンに出力するための文字なら一体どうあるべきなのかをインスピレーションとして持ちます。パソコンに明朝を使うならどういう対応を文字にさせなくてはいけないのかなどですね。そこは活字も写植も経験してきたから考えることだと思います。だから、ただ「この文字かっこいいでしょ」と言われても、へぇそれは何に使うのというだけの話です。

今後作りたい書体


 現在もイワタで書体を作り続けている橋本さん。今後の展望も語ってくださいました。

橋本:明朝はやっぱり作りたいと思いますね。今はもう世の中を見たら明朝ばっかりなんですけれども、じゃあそれでいいの?ってことなんです。昔の築地書体や秀英書体だとか、原点を考えていくと、今の書体は亜流に近いところがあるのではないかと思います。だからその亜流を亜流でないようにする明朝があればいいなというのが、今思っていることです。

左:築地体初号仮名 国立国会図書館デジタルコレクション 
東京築地活版製造所『活版見本』 より引用
右:秀英体初号仮名 『明朝初号活字⾒本帳』(所蔵:大日本印刷株式会社/市ヶ谷の杜 本と活字館)秀英体・活版印刷デジタルライブラリーより引用

 我々の仕事は何千字も書かなくてはいけません。書けばいい、読めればいいという割り切り方はあまりできない性格なものですから、時間はかかってしまいますね。だから速さは必要ですが、別に速記しているわけではないです。のそのそと「れ」と書くのと素早く「れっ」と書くのとでは線の質が違いますよね。線を引くのにはやっぱり速さが必要だから、スピード感のある文字の場合は早く原稿が仕上がります。いろはの48文字は5分もかからないうちに書けちゃうわけですから。ただそれを実際に使って空気か水のような存在感を持たせるためにはどうすればいいのか、やっぱりそこは必要だと思います。

遅く書くときと速く書くときの線質の違い


これからの世代へのメッセージ


橋本:
あまり口幅くちはばったいことは言えませんが、とにかく暑さに負けないで頑張ってくださいとしか言えないんですけれども(笑)。(この日の東京は35度を超える猛暑日でした)我々は1字1字の積み重ねなんですね。積み重なって、結果的には何千字もの1フォントになります。だから今日作った字も1ヶ月後に見ると違って見えることがたまにありますよね。そうならないように、精神的にもできるだけ平静になってゆとりを持って字が書けるようになれば一番幸いだと私は思います。

終わりに


 前後半2回にわたって「橋本和夫さんのお話を聞く会」のレポートをお送りしました。書道とタイプフェイスの関係や、対象にする媒体のことから考えるという新書体への向き合い方など、後半も学びが多くありました。金属活字から写真植字、そして現在のデジタルフォントまで、書体の歴史とともに歩まれている橋本さんのこれまでとこれからのことを直接伺えたことは、書体制作に携わる者として非常に貴重な経験であったと感じています。最後までお読みいただき、ありがとうございました。

レポート担当:松本


橋本 和夫 はしもと・かずお
書体デザイナー。イワタデザイン部チーフ。1935年2月、大阪生まれ。1954年、モトヤに入社し太佐源三氏に師事。金属活字の原字制作にたずさわる。1959年、株式会社写真植字研究所(現・写研)に入社し石井茂吉氏に師事。後に原字制作部門のチーフとなり、写植機用の原字制作・監修にたずさわる。写研退職後はフリーランスを経て、1998年よりイワタにてデジタルフォントの制作・監修を行う。
雪朱里さんによるロングインタビュー
マイナビニュース
https://news.mynavi.jp/article/font-history-1/
『時代をひらく書体をつくる。 書体設計士・橋本和夫に聞く 活字・写植・デジタルフォントデザインの舞台裏』
https://www.graphicsha.co.jp/detail.html?p=43075
※書籍版にはウェブ連載未収録の内容や、年表などのオリジナルコンテンツが含まれます
著者:雪 朱里
発行:グラフィック社


雪 朱里 ゆき・あかり
著述業。1971年生まれ。武蔵大学人文学部日本文化学科卒。写植からDTPへの移行期に印刷会社に在籍後、ビジネス系専門誌の編集長を経て、2000年よりフリーランス。文字、デザイン、印刷などの分野で取材執筆活動をおこなう。2011年より『デザインのひきだし』レギュラー編集者も務める。著書に『「書体」が生まれる ベントンと三省堂がひらいた文字デザイン』(三省堂、2021)ほか多数。マイナビニュースにて「写植機誕生物語〈石井茂吉と森澤信夫〉」 https://news.mynavi.jp/series/syasyokuki/ を連載中。
著書一覧
https://www.amazon.co.jp/stores/author/B00IJ683KQ
手がけた書籍・雑誌一覧(ブクログ:ゆきあかりの本棚)https://booklog.jp/users/yukiakari 


株式会社写研ホームページ

株式会社モトヤホームページ


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