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歯車 ⇒ 人的資源 ⇒ 人 【 #成長につながる複業とは? 】

前回、 #複業の壁 について私見を書きました。

今回のCOMEMOのテーマは「  #成長につながる複業とは

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 前回、複業の壁については「会社の期待と社員の期待がズレないよう、複業の意図を共有することが壁を取り除く作業ではないか」と綴りました。
 今回の成長というテーマは、壁を取り除くか、乗り越えるかすればついてくる!と思いますが、企業側の視点を中心にまた書いてみます。

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■ 「よそ者、若者、ばか者」論

 「複(副)業解禁、推進」の流れは、なんとなく地方創生の流れに近いものを感じます。過疎が進む町村を元気にするため、若者を戻すため、地域を起こす。その際によく用いられる考え方が「よそ者、若者、ばか者」論です。

① 客観的な視点をもつよそ者を取り入れる
② 強力なパワーをもつ若者を活かす
③ 既定概念を壊すばか者(イノベーター)を活かす

 少子高齢化が進み、若者離れが顕著な地方において、魔法の言葉のように唱えられています。そして、3者の中で形式的に取り入れやすい「よそ者」が、例えば地域おこし協力隊等で実施されています。私の大学時代の友人にも、縁も所縁もなかった九州の地で協力隊として活動している者がいます。

 そんな友人や実際に地域おこし協力隊の方と出会い、応援する気持ちで興味をもっていますが、報道やネットの情報等をみると結構ブラックな地域おこし協力隊の実態もあるそうです。

派遣されたが、仕事をさせてもらえない。地域の輪の中に入れてもらえない。
雑用の要員としか見てもらえず、制度趣旨と乖離した活動になっている。

など。これでは、町、協力隊双方にとって創生も成長も望めません。

 よそ者を受け入れることを「人を受け入れる」と考えているのか、それとも「制度を受け入れる」と考えているのかで、関係性は大きく変わるのではないか。実質ではなく形式的に実施していないか。
 これは企業に当てはめれば、複業社員への対応にも当てはまるのではないかと感じます。  

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■ 成長 = 受入れ側の思考 × 個々の思考

 企業も地方創生も、好調で、未来が明るければそもそもこんな議論は不要です。COMEMOの質問にある「これから先、1つの会社で成長できるか?」という問いも、会社自体が成長しているのであれば、既に通常の社員もよそ者も若者もバカ者も活発に働いているだろうし、社内での成長機会だっていくらでもあると思います。逆に昔から動き回ってバリバリ複業して成功している人だってたくさんいます。

 産業構造の変化や経済情勢など様々な背景に、過疎化の地方創生のごとく、より変化をしなければいけない企業や個人が増えてきた。複業が話題になっている風潮は、新しいというよりも、裾野が拡がってきたイメージでしょうか。

 自社や自分の人生に複業という選択肢が拡がってきたとき、大切なことは「働き方改革」の「方」という字が方法(制度)ではなく、方向性(考え方)として捉えられるか否かだと思います。

 制度だけ導入したところで、受け入れる側が、よそ者への期待も業務も曖昧であれば、優秀な人材も活きません。地域おこしの例では、舵をきる自治体だけでなく地域住民の認識が重要です。企業に置き換えれば、経営陣の認識だけでなく、複業をしない者を含めた社員全体の認識が不可欠。

 逆に複業する側も、自身の役割や成長する意義を理解する必要がある。本来複業を受け入れる会社には、複業する人へ「よそ者」や「バカ者」としての期待があるはずです。うちだけじゃ生活大変だろうから…ではなく、外で得た知識や専門的スキル、客観的な見方を発揮してほしい、新しい風をもたらしてほしいという期待です。

 複業研究家の西村創一朗さんの作成した図を引用すると、複業しようという人のマインドは、金銭ではなく自己実現や貢献。

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 受入れ側と個々のマインドの掛け算は、どちらかが欠けたらゼロ。この点は、地域おこし協力隊の現状とリンクするのではないかと感じます。

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■ おわりに(歯車、人的資源、人)

 三菱総研が発刊している未来読本フロネシス、昨年号は「未来に選ばれる会社」というテーマで主にジョブ型雇用が特集されています。冒頭の小宮山宏理事長の投げかけが、今年1年、ずっと頭に残っています。

社員を「人的資源」と呼ぶのはやめにしないか

 数値を上げて表面的に多様性を高めるだけでは足りない。本当のゴールは一人ひとりに居場所があり、手応えのある仕事に就き、分け隔てなく評価・尊重され、自己実現できる組織を追求すること、すなわち個のn乗マネジメントの実現に他ならない。-略-
 自分のことを人的資源と言われて嬉しい人がいるだろうか。言うまでもなく、組織の上から下まで全員が人間であり、一人ひとりが人間として尊重されなければならない。あたり前のことである。(1頁より引用)

 「社員は会社の歯車」というネガティブな印象を、ポジティブなものに転換させた「人的資源」という言葉。人は取り替えのきく消耗品ではなく、価値ある資源だという考えで定着しました。そしてそれを次の段階、あたり前の「人間=人間」にしないかというメッセージです。

 今年、コロナ禍で社員の鬱の相談をよく受けます。社員は家族だ、なんて考えもありますが、そこまででなくてもひとりの人間が家族以上の時間を過ごす場と考えたら、事務、営業、総務…の前に「人間」という当たり前の認識が会社でなされているか否か。
 会社にとって、社員が伸びる可能性は全部他人ごとではない。複業だろうがなんだろうがどんどん検討すればよい。逆に複業できない会社が古いわけでもなく、重要なのは手段ではなく方向性。社員の成長で、会社が伸びるというのも「あたり前のこと」。

 自分の人生を選択できる人ほど幸福というデータもあるようです。会社だけでなく、個人も未来を描き、選択できる思考、環境を作る。

幸福感と自己決定―日本における実証研究
(経済産業研究所より 以下リンクあり)

自己決定

 複業に問わず、人を受け入れるということに関して「あたり前のことである」という一言こそ、答えなのかもしれません。

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 少し趣旨からズレてしまったかもしれませんが、私も書きながら、「 #はたらくってなんだろう 」をよく考えてみようと思いました。

#COMEMO #nikkei #ビジネス #経営 #働き方
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