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【連載】岩波文庫で読む 「感染症」第4回|憶測から遠く離れて トゥキュディデス『戦史』|山本貴光

 いまでこそ、疫病の原因はウイルスや細菌の感染だと分かっているものの、そうした仕組みが気づかれる以前はどうだったのか。人びとは、疫病をどのように捉えていたのだろうか。古い例として、紀元前5世紀のギリシアを見てみよう。

 古代ギリシアの歴史家、トゥキュディデス(前460ころ-前400ころ)の『戦史』に恰好の記述がある(★1)。この歴史書は、トゥキュディデスが同時代の出来事として目にしたペロポネソス戦争(前431-前404)を描いたものだ。この希有な歴史家が、事実を見定めようとするものの見方、その記述のスタイルは高く評価され、長く読み継がれてきた名著である。岩波文庫では、1966年から67年にかけて久保正彰訳が全3分冊で出ている。現在の分類番号は青406-1から3。ついでながら岩波文庫青帯の400番台は「歴史・地理」を収める。

★1――岩波文庫版の著者表記は、原語の読みに寄せてトゥーキュディデース(Θουκυδίδης)となっているが、ここでは長音を省略する。また、『戦史』の原題は、Ιστορία του Πελοποννησιακού Πολέμου(イストリア・トー・ペロポンネーシアコー・ポレモー)で、直訳すれば『ペロポネソス戦争の歴史』となる。

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 ペロポネソス戦争は、アテナイを中心とするデロス同盟と、スパルタを中心とするペロポネソス同盟とが激突した戦いだった。トゥキュディデスは、戦争の結末(紀元前404)を見届けたはずだが、記述はその発端から紀元前411年までに留まり、なぜか未完に終わっている。ここで注目したいのは、同書の第2巻で、戦争の2年目にアテナイを疫病が襲った顛末を記したくだり。紛れがないように言えば、『戦史』は全8巻から成る。いま「第2巻」といったのは原書の巻数だった。先ほど触れた岩波文庫版を指す場合、「上巻」「中巻」「下巻」と記して区別する。今回は、この歴史家の書きぶりをご一緒に眺めてみようというのが、もっぱらの趣旨である。

 さて、「アテーナイ人トューキュディデースは、ペロポネーソス人とアテーナイ人がたがいに争った戦の様相をつづった。筆者は開戦劈頭いらい、この戦乱が史上特筆に値する大事件に展開することを予測して、ただちに記述をはじめた」(第1巻第1章、上巻55ページ)と始まる第1巻では、このペロポネソス戦争がどのようにして開戦にいたったのかという経緯が述べられている。トゥキュディデスは自分が出来事を記す方法と、その限界を述べたうえで、込み入った経緯を見事に整理してみせる。人の一面的な話を鵜呑みにせず、憶測を離れて、情報を検証したうえで正確を期して記すこと。それ自体、じつに惚れ惚れとするような執筆態度と文章であり、ここでも紹介・検討したいところだが、いまは措こう。今回用があるのは、第2巻である。

 第2巻では、いよいよ事が動き出す。デロス同盟とペロポネソス同盟の各国が、それぞれの思惑を胸に策略をめぐらせて幾重にも戦う。その次第を、歴史家はめぐりゆく夏と冬という季節で区切りながら、時系列で整然と書いてゆく。あるときはデロス同盟側、またあるときはペロポネソス同盟側と、場面を適宜切り替えていく様子は、映画に喩えるなら、異なる場所で起きている出来事を交互に見せるクロスカッティングのようなリズムを生み出しており、否が応でも緊張感が高まる。

 戦争が始まって2年目、ペロポネソス軍がアテナイのあるアッティカに侵入して城外の耕地を破壊する。そうした攻撃を予想して、アテナイでは城外の田園地域に住んでいた人びとを城内へ退避させていた。そこでこともあろうに疫病が発生してしまう。平時以上に人が密集している状況だ。

 トゥキュディデスは、そうした疫病には前例があったとしながらも、「今次の規模ほどに疫病が蔓延し、これほど多くの人命に打撃を与えた例は、まったくの前代未聞であった」と指摘している(第2巻第47章、上巻235ページ)。ここで使われている「疫病」という言葉の原語は「ノソス(νόσος)」で、辞書では「病気(sickness、disease)」「疫病(plague)」といった意味を載せている。同書の第1巻第23章(上巻77ページ)では「ロイモーデース・ノソス(λοιμώδης νόσος)」とあり、久保訳では「伝染性疫病」と訳している。

 この疫病については、「はじめは医師もそれが何であるか実体を把むことができなかったために、療治の効をあげることができず、それのみかかれらは患者に接する機会がもっとも多かったので、自分たちがまず犠牲者になる危険に晒された」という。この記述から、アテナイを襲った「疫病」が伝染性のものであると認識されている様子が窺える。この点については、後にもう少し詳しく論じられるので、そこで検討してみよう。

 トゥキュディデスは、疫病の出所がエチオピアではないかとか、敵対するペロポネソス勢がアテナイの貯水池に毒を投げ込んだせいであるといった話を「噂」として紹介もしている(第2巻第48章、上巻235ページ)。幸か不幸か、この点について、私たちは古代ギリシア人のそうした発想を理解できてしまう。出来事の原因について、何も分からないよりはましと言わんばかりに根も葉もない思い込みの当て推量をするのは、いまも昔も変わらない人間の性だろうか。こうした噂が、得てして疫病や医学にかんしてさして知識がなくても理解できる内容であるのは、偶然ではあるまいとも思う。

 また、これは別の作家プルタルコス(46ころ-120ころ)が『英雄伝』で書いていることだが、アテナイの指導者ペリクレスやその息子もまた、この疫病に倒れたらしい。岩波文庫では、『プルターク英雄伝(三)』(河野与一訳、赤116-3、1953)の50ページ以下にこの話を載せている。


 ところで、次のくだりには、この歴史家の態度がよく現れている。

この疫病の、あり得べき原因とか、また人体にかくも甚だしい異常をきたすに足る諸因については、医学者も市井人も各々の意見を持っていることと思うので、私はあえてこの点について意見をさしはさまない。ただ私は病状の経過について記したい。またいつ何時病魔が襲っても、症状の経過さえよく知っていれば誤断をふせぐよすがにもなろうかと思い、自分自身の羅病経験や他の患者の病態を実見したところをまとめて、主たる症状を記したい
(第2巻第48章、上巻235-236ページ)

 原因不明であることについて、自説を提示するのではなく、事実としてどのような症状なのかを記すこと。しかも、未来に向けてそうすること。ものを書き残すことになにか功徳があるとすれば、トゥキュディデスはそのひとつを見事に実践してみせている。『戦史』が名著と評される所以である。観察を記録に残し、後の者たちに託せば、あとから検証もできるし、必要に応じて知見を改めることもできる。

 いま引用した箇所に続けて、具体的な症状が記される。逐一ここに写してお目にかけたいところだが、あまりに長くなるので控えるとして、その観察のこまやかさに注目しておきたい。症状として挙げられている点を箇条書きで並べてみよう。

 ・頭部の強熱
 ・眼の充血と炎症
 ・口腔内の舌と咽喉の出血
 ・異様な臭気を帯びた息
 ・くしゃみ
 ・咽頭の痛みと声のしわがれ
 ・胸部の苦痛
 ・激しい咳
 ・吐き気
 ・激しい痙攣
 ・皮膚の変色と膿疱・腫れ物
 ・薄い衣服でも我慢できない発熱
 ・喉の渇き
 ・安静・安眠できない
 ・高熱で7から9日目で死亡
 ・腸部の潰瘍と下痢
 ・体の末端部に後遺症が残る
 ・記憶喪失

 こうして並べた症状を読むだけで、どれほど苦しい状態であったかと思いやられる。この省略したかたちでも、トゥキュディデスの筆が、身体の各部で生じる症状について、視覚、聴覚、嗅覚、触覚と、各種感覚から知覚されることを総合的に捉えている様子がお分かりいただけると思う。こうした記述は、別の回で触れる古代ギリシアの医師、ヒポクラテスの診断メモの記述にも通じるように見える。

 症状を説明したあとで、トゥキュディデスは「この疫病の全貌はとうてい筆舌につくしがたく、ことにこれに襲われた個人の難渋は人間として絶えうる限界を越えるほどであった」(第2巻第50章、上巻237ページ)という具合に、これで全てではないことを強調する。はからずも、SNSで見かけた、新型コロナウイルスで重症化しながら生還した人たちのコメントが思い浮かぶ。どの人も口を揃えて、自分が罹患するまではこんなに苦しいとは思わなかったと述べていた。

 トゥキュディデスはまた、以上の記述は全体的な病状であり、人によって違いがあったと付け加えるのも忘れない。個別には症状も多様であることを認識したうえで、それについては省略するとも書いている。このバランス感覚のよさはなんだろう。少なくとも、見たもの(多様な人びとの多様な病状)と自分が書いた文章(病状の一般的な像)との関係を、冷静に見積もろうとしているからこその記述である。

 こうして疫病が人体にもたらす影響を確認したうえで、今度は人間の集団、社会に生じた出来事に目を転じている。そのなかで、とりわけ注目しておきたいのは、感染についての記述である。トゥキュディデスはこのように記す。

この疫病から生じ得る最も恐るべき現象は、罹病したとわかった人がたちまち絶望につき落とされたことであり(人はすぐに絶望し、体力よりも気力の衰弱のためやすやすと諦めて、もはや抵抗しようとさえしなくなった)、また、患者から看病人へと病が燃えうつり、家畜の倒れるように人々が死んでいったことである。この病が激甚な破壊力をふるった原因はここに認められる
(第2巻第51章、上巻238-239ページ)

 疫病といえば先に述べられていたように、身体に起きる異変や症状の苦しさがまずは問題だが、それに加えて精神の面でも影響が生じる。人はときとして絶望によっても死ぬ生き物である。ましてや周囲で人がばたばたと病に倒れ、死にゆく状況のなかで、自分もまたその病にかかったとしたら、しかも治療法も不明となれば、まったく無理からぬことだ。

 そしてまた、この疫病が感染する性質のものであることを、トゥキュディデスはここでも改めて述べている。この箇所で感染を表す語としては、「アナピンプレーミ(ἀναπίμπλημι)」という動詞が使われている。これは「満ちる」という意味に加えて「汚染する」「感染する」という意味でも用いられる言葉である。細菌やウイルスといった肉眼では見えない原因が知られていなかった時代、疫病とはいかに不可解な現象だったか、それこそ想像を絶する。病が伝染するということ自体が、驚異であったに違いない。だが、トゥキュディデスは、その点について必要以上に空想を逞しくしたりはしない。神やモノノケやなんらかの神秘的な原因を求めたりしていない。ただ、自分の経験と観察から見てとれることを記すという態度を崩さない。天晴れである。

 この疫病は、罹患していない人たちにも甚大な影響を与えたようだ。トゥキュディデスは「ポリスの生活全面にかつてなき無秩序を広めていく最初の契機となった」と指摘している(第2巻第53章、上巻240ページ)。自分がいつ死ぬとも知れない世界において、未来の目的に向けた備えや努力は無駄であるという見方が広まったというのだ。神も法も畏れ敬う必要はない。明日をも知れぬ我が身なのだから、この世で得られる楽しみを味わえるだけ味わってなにが悪い、というわけである。ボッカチオの『デカメロン』にも似たような状況が記されていたのが思い出される。破れかぶれとはこのことである。


 『戦史』に記録されたアテナイの疫病が、具体的にはなんだったのかについては、チフス、麻疹、腺ペスト、マールブルグ病、エボラ熱など諸説が提示されてきた(★2)。「あれはなんだったんだろう」という謎が、人びとの推理を誘うわけである。ことトゥキュディデスの場合、ここでも見てきたように、病状などの記述が具体的であるだけに、ちょうど医師が患者の症状を診断するように考えてみることもできるのだった。とはいえ、2400年以上前の疫病について、「これで確定」と落着させるのは易しいことではない。また、そうであればこそ、貴重な証言である『戦史』が手がかりとして幾重にも読み直されているのは、こう言えばいかにも月並みだが、まことに感慨深いことである。なによりこうして『戦史』が後世に遺されたのも、ひとえにトゥキュディデスがこの疫病に罹患しながらも生き延びたおかげであることを思えば、なおのこと。

★2――斉藤博「アテネの疫病はマールブルグ病、または、エボラ熱か?」(『埼玉医科大学進学課程紀要』第8巻、2000年、15-25ページ)では、過去の諸説もまとめて紹介している。その後、古代ギリシア人の歯を用いたDNA鑑定なども試みられているようである。

 それにしても、『戦史』を読んでいると、言葉の力を感じさせられる場面が少なくない。とりわけ戦争という苛酷な状況のなかで、人びとの同意を得たり、その心を動かしたりするために行われる演説は、勢い任せのアジテーションとはほど遠い。人間の心理がどのようなものであるかを踏まえ、デタラメやごまかしではなく、現状の冷静な分析と将来の予測を提示し、なにをすべきか、それはなぜなのかについて、情理を尽くして話す説得の技術だ。トゥキュディデスの没後、紀元前四世紀に活動した哲学者のアリストテレスが『弁論術』で整理してみせたように、そこでは、言葉に通暁している必要があるのはもちろんのこと、社会の現状と歴史についての理解、目の前にいる聴衆に対する観察眼、声の出し方やみぶりといったパフォーマンスなど、各種の知識や技能も要求されるはずである。

 ついでながら、この『アリストテレス 弁論術』(戸塚七郎訳、青604-8、1992)では、目的に応じた弁論のちがいや、弁論に関わる要素の解説に加えて、聴衆の心理に多くの紙幅が割かれている。演説とまでいかなくとも、仕事で「プレゼンテーション」をする人にも有益な1冊である。あるいは、他人のもっともらしい弁論に騙されないためにも、その手練手管を知っておくに越したことはない。同書はそうした参考書にもなるだろう。

 話を戻せば、『戦史』を書くにあたって、トゥキュディデスは、伝説の要素を除いたので、読んで面白く感じる人は少ないかもしれないと述べている。目指すのはそういうことではない。「この記述は、今日の読者に媚びて賞を得るためではなく、世々の遺産たるべく綴られた」(第1巻第22章、上巻75ページ)ものだからだ。では例えば、現在進行中のあれこれの出来事について、関係者たちの行動のみならず「言葉」も含めて記録を残し、まとめるとしたら、いったいどのようなものになるだろう。愚かしい行動や判断の山のなかに、少しは言葉の力を垣間見えるような場面はあるだろうか。ついそんなことを思う。

*現在手にしやすい『戦史』の日本語訳としては、岩波文庫版の他に以下がある。
・トゥキュディデス『歴史』(全2巻、第1巻 藤縄謙三訳第2巻 城江良和訳、西洋古典叢書、京都大学学術出版会、2000-2003)
トゥキュディデス『歴史』(全2巻、小西晴雄訳、ちくま学芸文庫、筑摩書房、2013)
トゥキュディデス『戦史』(久保正彰訳、中公クラシックス、中央公論新社、2013)抄訳
山本貴光(やまもと・たかみつ)
文筆家・ゲーム作家。
コーエーでのゲーム開発を経て、文筆・翻訳、専門学校・大学での教育に携わる。立命館大学大学院講師を経て、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。
著書に『記憶のデザイン』(筑摩書房)、『マルジナリアでつかまえて』『投壜通信』(本の雑誌社)、『世界が変わるプログラム入門』(ちくまプリマー新書)、『文学問題(F+f)+』(幻戯書房)、『「百学連環」を読む』(三省堂)ほか。共著に『人文的、あまりに人文的』(吉川浩満と共著、本の雑誌社)、『その悩み、エピクテトスなら、こう言うね。』(吉川との共著、筑摩書房)、『高校生のためのゲームで考える人工知能』(三宅陽一郎との共著、ちくまプリマー新書)、『脳がわかれば心がわかるか』(吉川との共著、太田出版)ほか。
twitter @yakumoizuru

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