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自分の価値を最大限にするための勉強を欠かさない。それが自由であるための強さ

僕が独立した理由-小倉 正嗣さん-
自らリスクを好む性質ではないと語る小倉さん。その根本は、家庭環境の影響かもしれないといいます。「父は国鉄時代からのJRマン、母は保育士、妹2人は、教師と看護師という公務員家族。安定的なものを好む家系なんだと思います」そんな安定的なところから、起業という不安定な選択をした経緯はどのようなものだったのでしょう?

2019年夏、”いわみんプロジェクト”として、社長や起業家、独立して活動している方を対象に100人インタビューを実施しました。彼らがどんな想いで起業し、会社を経営しているのか? その中での葛藤や喜び、そして未来に向けて。熱い想いをたくさんの人に伝えたいと思っています。

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小倉 正嗣(おぐら まさつぐ)

株式会社 リアルコネクト 代表取締役
静岡大学を卒業後、株式会社サンゲツ入社。
サンフランシスコ視察を経て、デルコンピュータに入社 セールスマンとして数々の賞を受賞
アスクル株式会社に入社 購買アウトソーシングの新規事業のプロジェクトリーダーとして参画し、複数の新規事業を立ち上げる
ジャスダック上場企業の企業再生担当ゼネラルマネージャー
2012年 法政大学大学院MBA取得
2013年に経営コンサルタントとして独立

いろいろなものが偏差値60程度
総合力を武器に戦うために営業職につく

 私はだいたいが偏差値60の男なんです。勉強も運動もエンターテインメントもそこそこのレベルでできるけど、決して1番になれるほどではない。生まれが兵庫県だったので、よくしゃべる僕は「吉本入れよ」なんてことをお約束のように言われたものでした。とはいえ、ダウンタウンの松本さんのような天才的なボケができる子が、学校に3人くらいいて、彼らには絶対にかなわないなって思っていました。
 運動でも、バスケをやっていて高校では県の選抜として声がかかるくらいにまではなれたものの、その先に行くには身長が足りないと思い、高校で終了にします。大学も静岡大学という、ものすごく優秀というより、偏差値60な感じのところに落ち着きました。

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▲かながわコンテンツ創造研究所という、神奈川県の中小企業診断士のメンバーコミュニティも運営しているそう。同じ志の仲間がいるって心強いですよね。

 大学を卒業した当時は、特に夢も持たず、将来についても考えていなかったけれど、自分の強みは総合力だと思っていました。だから、総合力が生かせる営業だったら負けないと思い、就職先は商社の営業に進みます。1年目で300人以上いる全国の営業マンの売上トップ10に入りました。でも、なぜかその営業という仕事に満足できていませんでした。

 そこで、書店で気になって手にしたのが『中小企業診断士になる方法』という本。読んでいるうちに、中小企業診断士という仕事に魅力を感じて、「コレだ!」と思いました。25歳のときです。すぐに資料請求して診断士になるべく勉強をスタートさせ、コンサルタントを目指しました。ここからはかなり計画的に動き出します。特に根拠はなかったんですが、”40歳までに独立”と決めて、人にもそんなことを話すようになっていました。この時点で中小企業診断士1次試験に合格していました。

同年代のホリエモンなどのIT長者が登場。
このままではダメだ!と思い立つ

 2000年になると、堀江貴文氏や藤田晋氏という同年代のIT長者が世に出てきて、かなり焦りました。特に堀江氏は同い年で、彼の活動を見るにつけ「自分は何をやってるんだ!」という感覚でした。そこで会社を辞めて、まずはITについて見聞を広げるため、サンフランシスコに語学学習を兼ねて留学しました。帰国後、いきなり中小企業診断士として独立しても仕事を取れる自信がなかったので、IT系企業への転職を考えます。

_5_小倉_正嗣_Facebook

▲利き酒師の資格を取ったほど、日本酒がお好きなんだとか。プライベートでも突き詰めるタイプなんですね。

 そこでベンチャー企業とデルコンピュータから内定をもらうのですが、当時の僕はリスクが大きそうなベンチャーを選ばずにデルに入社しました。外資系セールスとして様々な経験をした後、新規事業プロジェクトが立ち上がったアスクルへ転職。新規事業のプロジェクトリーダーとして多岐にわたる経験をさせてもらいました。それぞれ5年ずつ働いた形になります。
 再び声をかけられ、最後の会社勤めとなるジャスダック上場企業では、経営サイドで事業再生のミッションを担い奮闘。傾いた組織の再生に東奔西走しました。

早い段階でコンサルティングの仕事を目指した小倉さんですが、実際は、いくつかの会社で実績を積んでからの独立です。小倉さんの研修に参加しましたが、お話が本当におもしろい! 話のテンポがいいだけでなく、彼の経験を踏まえているため納得感が高いんです。でもじつは、彼のメインである研修講師という仕事は、独立当時はほとんど知らなかったのだそう。

さまざまな実践を踏まえてついに独立!
宣言どおり40歳のスタートでした

 いよいよ独立のチャンスです。それだけの実績は残してきた自負はあります。最後の仕上げとして中小企業診断士としては2次試験が必要なのですが、MBAと同時に取得できることがわかっていたので、法政大学のMBAを取得するために学校へ通います。その1年後、会社を作ってスタートしました。宣言どおりのちょうど40歳で経営コンサルタントとして独立をしました。

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▲独立のころにご自身で決めたその年の目標だそうです。有言実行タイプなんですね。すばらしい!!

 すでに独立している人たちからは、営業力があれば大丈夫だと言われて安心していたのですが、これが大きな勘違いであることはすぐにわかりました。なぜなら営業にはプッシュ型とプル型があり、自分が今まで培った営業力はプッシュ型。でも、コンサルタントという商売で必要とされるのは、信頼を勝ち得たからこそ得られるプル型の営業です。性質の異なる営業活動に最初は戸惑いを隠せませんでした。
 そんな中、以前の会社でお世話になった売れっ子のコンサルタントの方に、独立した旨の報告をしたところ、彼のセミナーでのゲスト講師として登壇させてもらえることに。今まで、企業に入って戦略立案や事業開発をすることがコンサルタントの仕事だと思っていた僕には、驚きの体験でした。セミナー講師という仕事があるということを知ったのもこのときが初めてです。

 しゃべりやその場をおもしろく盛り上げるのが得意な僕にとってはまさに天職。ただ最初のころは講演に立つために台本を作り、緊張をほぐすため一生懸命練習をする日々が続きます。しばらくすると場の空気を読みながら、その場でアレンジした講演ができるようになりました。

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 MBAに通いながら少しずつ始めた講師業で1年くらいは彼とコンビを組んだセミナーを中心に、2年目以降は、自分自身の力で仕事を取れるよう、独自コンテンツを作り1人で研修に立つようになりました。すでに今までの経験や増やしていった人脈から声をかけてもらえることが増え、独立3年から4年ごろにはかなりの量のセミナーと、企業での研修講師として呼ばれるようになりました。その後は研修とコンサルティングをハイブリッドにした独自の事業開発向けのプログラムを開発し、現在はそのコンテンツが中心になっています。

リサーチのための海外視察を組み込み
自由な働き方を実践中

 せっかく独立した以上、社員時代の自分の年収は越えたいというのが最初の目標でした。年間稼働日を200日で考え、目標年収から計算し、自分の仕事の価値を高めていくことで、今ではかなり余裕のある生活ができるようになりました。新規事業開発などの研修やコンサルティングも多いため、常に新鮮な情報のリサーチは欠かせず、最近だと年に何回か海外への視察などもスケジュールに組み込むようにしています。

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 僕は『ワンピース』のルフィと『花の慶次』が大好きなんです。ルフィの名言があって、「強いってことはもっとも自由であるってことだ」というものです。まさに僕の気持ちを言い表しています。強いということをもって自由を手にできると思っています。
 僕は社員を増やして会社の規模を大きくすることには興味がなくて、自分を鍛えて強くなり、自分自身でお客様のお役に立てることが大事なんです。なので、これからも自分の価値を最大限にすることに尽力し、強くなって自由に働いてきたいと思っています。

「偏差値60くんとして長らく生きてきたんだけど、研修講師・経営コンサルタントという天職と出会って、ようやく偏差値60という限界を突破できてきた気がします」と笑う様子から、現在のビジネスの充実度が伺えました。コロナタイミングでリアルな現場が減ったときでも、プログラミングを学ぶ時間に充てていたそう。常に自分磨きする姿勢は学びたいですね。

下町の2D&3D編集者。メディアと場作りのプロデューサーとして活動。ワークショップデザイナー&ファシリテーター。世界中の笑顔を増やして、ダイバーシティの実現を目指します!