【シリーズ】「まつりごと」としての「政治」を考える【其の一】
「立春大吉」!!
2月4日は「立春」ということで、
「旧暦」における正月・新年を迎えたわけです!!
改めまして、おめでとうございます!m(_ _)m
「立春」は古来の暦の上で一年の始まり。
「旧暦」といえば、
自然の営み即した日本古来の生活に一致したものとして、
「二十四節気」(にじゅうしせっき)
さらには、
「七十二候」(ななじゅうにこう)
としても知られています。
「旧暦」を意識することで、
季節の変化に対して敏感になり、
自然と密着した感性(感受性)を取り戻すことも出来るのではないか。
そんな風にも思うわけです!(^^)
「政治」と「生活」は切り離せない!のに……
「暦は自然の変化に即した生活を物語る」
と捉えられるわけですが、
「生活」といえば「自然」と共に「人の営み」自体が作るもの。
その最たるもの(影響力が高いもの)として、
「政治」の存在が見逃せません。
なにしろ、本年2月4日の「立春」の当日は、
京都市長選挙の投開票日でした!
京都とは、学生時代から土地との縁があり、
そこから様々な人たちとのご縁も繋がれて、
今回はある候補者の応援も遠くからさせていただいてました。
(京都市民ではありませんので「遠くから」になります。^^;)
当選の結果はともかくとして、
当選した政治家に対しては、
大いに「政治の結果」に対して「責任」を負う姿勢を見せていただきたい
と心から願っています。
と同時に、
投票する側の市町村民、都道府県民、そして日本国民に対しては、
そもそも「投票」として「意志表明」をすること、
その前に「政治」に対して大いに「興味関心」を持つべきではないか
と昔から思っていました。
法学部で政治学を学んでいたとか、
それも全く無関係だとは言わないまでも、
政治が生活を(いちばん)大きく左右するからこそ、
一市民、県民、国民として素朴に思っていることなのです。
「政治」とは「政(まつりごと)」であった
今回の市長選でも目についたのは、
無論「投票率の低さ」です。
前回に比べて1%も増えなかったそうで、
50%を切っている=半分も投票に行っていないという現状がございます。
そもそも「政治」の「政」の一文字で「まつりごと」と読むのは、
漢字を習ってきた段階で皆んな知ってはいるはずのこと。
「セイ」が音読み、「まつりごと」が訓読みですから、
中国語(漢語)で「セイ」と読んでいたところを、
当時の日本人は「まつりごと」という意味で捉えたわけです。
つまり、
かつては「政治」を「祭り」と同じものとして見ていた
ということがわかります。
この点についても、ある書籍から引用いたします。m(_ _)m
長い引用で言葉が尽くされていますから、特に言うことはありませんね。笑
京都であれば、祇園祭をイメージするとどうでしょう。
今回の市長選が、祇園祭のような盛り上がりを見せていたかどうか?
その前に、ある種の「神様へ奉る」姿勢があったかどうか?
これは「真善美」という言葉をイメージした時に、
それらを志向して投票したり考えたりすることを指すわけですね。
引用の中に「王道」とありましたが、
こちとら「王道マニア」を自称しているくらいなので、笑
政治についても何についても「王道」を語らせたら止まりません!
ということで、今回の「立春」を一つの契機として、
「『まつりごと』としての『政治』」
もシリーズ化をした上で、
あらゆる角度から深掘り考察させていただく所存です!m(_ _)m
今回もお読みいただき誠にありがとうございました!!^ ^
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