『ラストエンペラー』大人になれなかった皇帝
少年のころの宣統帝 溥儀が、クリーム色の布ごしに自分の顔や体の隅々までを宦官たちに触らせる、という遊びをしていた。宦官たちの体温を帯びた布に包まれて恍惚の表情を浮かべる少年皇帝。それを見て、イギリスから招聘された溥儀の家庭教師ジョンストンは、あからさまに嫌悪感を抱く。ジョンストンは、この、自慰的な、性的興奮を喚起する布遊びをやめさせ、溥儀に自転車を勧める。布を取り上げ、硬い金属でできた自転車を与えるジョンストンは、いうまでもなく溥儀の父となろうとしている。
清帝国最後の皇帝、愛新覚羅溥儀を題材とした映画、『ラストエンペラー』の監督、ベルナルド・ベルトルッチは、溥儀の暮らす紫禁城の中の情景を描くときに、上記のような、ねっとりとした布のイメージをふんだんに散りばめる。カーテンや旗、シーツなど、どれもが湿り気をおびた柔らかな物質で覆われた宮殿、紫禁城は、溥儀にとっての偽物の子宮だ。
溥儀は、大人たちの都合で、幼い頃にほんとうの母親から引き離され、この偽物の子宮のなかに閉じ込められたのだった。2歳で皇帝の座についたが、政治の実権を握ったことはない。傀儡だ。その後、中華民国が成立し、清帝国は崩壊するが、溥儀は国家の象徴的存在として、紫禁城に留め置かれる。実母が死んだという報を聞いても、溥儀は紫禁城から出ることができない。ジョンストンは、「広大な中国でただひとり、自分の家から出ることを許されない人物」といって、溥儀の境遇を嘆いている。
偽物の子宮のなかで、外のことを何も知らされず、国家の象徴、その内実は政治の駒として、けして成熟をゆるされない青年。彼はそんな自分の境遇に激しく憤り、改革を起こそうとする。紫禁城に居座る宦官たちを追放し、辮髪を切り、ジョンストンの力を借りて、自分じしんを大人にするためのイニシエーションを実行する。
しかし、その途上で北京政変が起こり、溥儀は紫禁城から唐突に追放されることとなる。自力で偽物の子宮から脱出しようとしていた溥儀だが、その脱出もまた、他者からの強制に従う形になってしまった。宮殿を退去するまえに、溥儀は言う。「いままでずっとここから出たい、と思っていたが、いざ出るとなると恐ろしい」
このとき、彼はイニシエーションを経て大人になるチャンスを失ってしまった。しかも、紫禁城から追放された溥儀は、あろうことか、自分があれだけ嫌っていた偽物の子宮の代わりを求めてしまう。自分をもう一度、あたたかい布で覆ってくれる存在。それは侵攻してきた日本軍だった。溥儀は日本の建国した満州国の傀儡皇帝となる。もがいてももがいても、便利な道具としてしか扱われず、次第に道具として振る舞うことが自分のアイデンティティなのだというふうに、屈折してしまう。
わたしは別に傀儡皇帝として扱われたということもないが、溥儀の姿が自分に重なるところがあって、同情を禁じ得ない。わたしたちは他者の思惑のなかで生き、他者によって自分を捻じ曲げねばならない局面に、多々遭遇する。そこで抵抗を試み、失敗し、ときに屈折した感情をいだく。ひとりの人間が、イニシエーションを巡る戦いに破れ、徹底的に不自由な、しかし自由さえ捨てれば居心地のよい虚構のなかに身を委ねてしまう姿に悲しさを覚える。大人になる、ただそれだけのことが、実はとても難しいことなのだ。
※本作の監督、ベルナルド・ベルトルッチは2018年11月26日に77年の生涯を終えた。癌を患っていたそうである。合掌。
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