ヒプノシスマイク「CROSS A LINE」-感想
※今回はいつもよりゆるく書こうと思います。
A面
6月9日にYoutubeで「ヒプノシスマイク 「CROSS A LINE」Music Video」が上がっていた。
ヒプノシスマイク自体は前から知っていて、去年の秋ごろにいろんな楽曲を聞くようになった。細かく追っているわけではなくて、楽曲が好きでよく聞いたり、スマートフォンアプリを何となくプレイしていたり、そんな程度だ。
今回の「CROSS A LINE」を聞いて、最初に思ったのが「あ、おしゃれな曲だな」だった。曲名の「CROSS A LINE」の「Cross」は、横切る・交差するというイメージの言葉だ。〈ある線に横切る〉ならディビジョンラップバトルが連想されるし、〈ある線と交差する〉と想像すれば、ディビジョンやキャラクター同士の関わりを連想することもできる。
何より、私がこの曲でひしひしと感じたのは、「そう、私にとってヒプマイの音楽は〈Cross a line〉そのものなんだ!」という感覚だった。
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昔から音楽を聴くときは、歌詞に注目するタイプだった。その歌詞の意図を探ることが私にとって音楽だった。曲の細かい部分を聞き取るのが苦手だったということもある。理由のない高揚感よりも、理解した上の共感を歌に求めていたと言えば近いだろうか。好きな歌ができれば必ず歌詞を確認するし、アルバムの歌詞カードを眺めるのも好きだった。
けれど、ヒプマイに出会った頃から、なぜか好きな曲、歌詞はわからないけどそれでもこのリズムが好きだと思える曲に出会うことが増えた。ヒプノシスマイクの楽曲はラップが多く、それまで私はラップの文化がよくわからなかった。「韻を踏む」ことを知って、「あの楽曲って韻を踏んでいたんだ!」とか「ここのリズムが特徴的なのはこれが原因なんだ!」とか、そういう曲の細部に気付けるようになった。テンポ感や間の取り方、曲の雰囲気と声質、曲の中で使われるSE、そんな要素を見つけ出す楽しみを、私はヒプマイを通して知った。
そして同時に、大学生になってから「音楽ってすごいな」とよく思うようになった。イユやGaitouで文章を書いていると、これが伝わるのは日本語が読める人だけなのかなぁ、と寂しくなるときがある。文章を書く前の気持ちがあって、それを乗せているつもりだけれど、どうしても言語の壁は厚い。
音楽は、そんな一線をいとも簡単に飛び越えてしまう。歌詞がわからなくても、そのメロディーを聞けば作った人の気持ちをほんの少しでも知ることができる。
確かに、この歌詞にあるように、高低差に眩暈を起こしそうになることだってある。ヒプノシスマイクの新しい曲を聞くと、ラップだから何を言っているかはすぐに掴めない。どんなことを言っているんだろうと歌詞を見たり、どうやってリズムを取っているんだろうと巻き戻したり、そうやって最初にわからなかったことがどんどんわかっていく。まるで会話して相手のことを知っていくみたいに。
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音楽には力があるとよく聞く。それは言語とは異なるコミュニケーションの力なんじゃないかと今は思う。
ヒプマイのキャラクターたちが歌うラップバトルの曲は、まさに「ジグザグ往来」だ。そして仲間と視線を合わせて一緒に戦いに臨むのは「シグナル了解」なんだろう。互いの境界を越えるのは自分たちの「Pride」。それぞれのディビジョンが信念を持って歌うヒプマイが私は大好きだ。きっとその信念は、言語で対話して通じ合うものではないのかもしれないなぁ、となんとなく思う。
私だって20年生きてきて、それなりの信念はある。けれど、それをわざわざ他人に無理やり話したいとは思わない。それでも、こうやって文章を書きたがってしまうのは、それは私にとって譲れない、変えられない「Pride」みたいなものなんだろうなと最近感じる。そうしなきゃわからない自分もいるから。だからこうやって、書いてしまうんだろうなぁ。
B面
一番手
「無邪気なNaughty(Naughty Busters)」、「あのダイアログの騒つく記憶(Mad Comic Dialogue)」、「空の静寂(空寂ポッセ)」といった昔の関わりを思わせる歌詞が入っていたことに気付いたとき「うわー!」と思わず声に出た。それぞれのキャラクターに寄せた日常が素敵な歌詞。
ちなみに一番好きなキャラクターは白膠木簓ですが、気の抜けたクリームソーダから思い出し笑い、それに対して良し悪しはなくて笑って締めたいというのは本当にぬるさら……という心境でさらに好きになった(+いつも通りニコニコの岩崎さん、ぬるさらのオフでもちょっと元気そうな歌い方も好き)。
二番手
全体的に自分に向けた歌詞っぽいなという印象。どのキャラクターにも寄り添った歌詞、リズム感が素敵。次郎ちゃんのシャキシャキした感じが耳に心地いいなぁ。個人的に十四くんの「並行世界生き延びたイカロス」は発想がすごすぎると思う(フライトの曲で十四くんが好きそうな単語と曲のイメージと合わせた歌詞…すごい)。
三番手
それぞれ”らしい”テンポ感を見せつけてくれる感じがいかにも三番手らしいというか。三郎のパートを聞いたとき、「いつのまにそんな大人っぽくなったの、どうしたの!?」と軽く混乱したのは私だけなんだろうか。天谷奴の歌詞からはこれからの夏がどこかへ自由に往来できるようになったらいいなぁと感じさせられた。帝統の三段階ハテナ活用は可愛すぎた。その後の独歩のランチタイムが癒しすぎる。
ラストスパート
バスブロの「簡単じゃあ無い」からは、ヒプマイを先頭に立って引っ張ってきたディビジョンとしての気持ちが伝わってくるし、どついたれ本舗の「単純じゃあ無い」は”笑うこと”を常に意識してきたディビジョンとしての誇りを感じさせてくれる。
Bad Ass Templeの「心は流動体」はナゴヤがずっと伝えようとしてくれている自分自身のことにつながる歌詞で、Fling Posseの「心は抽象画」からは、はっきりと捉えられる心の動きなんてない(心を具体にするのは難しい)、けれど今ある気持ちを道しるべに進んでいこうというシブヤらしい気持ちが垣間見える。
MTCの「窮屈なら抜け出そう」と麻天狼の「窮屈ならはみ出よう」はあまりにも”らしく”て笑ってしまった。自分の信念から社会のルールから外れるMTCにも、息苦しくても社会に残り少しの休息を楽しもうとする麻天狼にも、どちらも魅力的なところがあって、素敵なんだ。
ここまでつらつらと話してしまったけれど、要は「素敵な曲なんだよ」って言いたいだけです。ぜひ聴いてみてください。最後に、こうして考えるきっかけをくれたヒプマイに感謝を。
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