達人は背中で語る
「手抜き」を科学する。
脱力系サヴァイバーの いつもタツオです。
このnoteでは、がんじがらめの状況でも、フェイクや根回しを駆使して、如何に自分の時間を作れるかを日々、研究し実践しているよ。(今日は3分で読める)
タツオ:「し、師匠! お待ちください!」
師匠:「… 。」
あぁ、師匠は行ってしまわれた。
しかし、この僅か数秒の間にタツオは感じ取っていたのだ。師匠が言わんとしていることを。
それは、背中に書いてあったからだ…。
【ここからは持論】
背中が物語るって経験、皆さんも体験した事ってあるかな。
勝手なイメージだが、背中で物を言う人って減った気がするなぁ。
親父の背中とか、近所に住んでいる職人さんの背中とか。背中で物を言う大人って結構みじかにいたもんだ。
今の大人達は表現は達者なのだが、背中から滲み出てくるオーラの様なものが余り無い。「言葉とは裏背中?」とでも言っておこう。
自分が大人になったせいなのか?
いや、違う。
この十数年の間にグローバル化が進み、日本人も内に秘めたる想いを表現することが、上手になったんじゃないか。
言葉やジェスチャーなどが多彩で常にアップデートしている感じだ。
これはこれで良いのだが、表面に出ていることが全てではないのは言うまでもない。
欧米の影響を強く受けてか、ハッキリと意思を表明し、表面に出ていないものは無きもの同然的な捉え方をする人もいる。(勿論、これはこれで良い面はある。合理的でスピーディーだ。)
しかし、僕は日本人の長所として
相手を気遣い、察する能力に長けている点があると思っている。
だから、背中は時として言葉以上に強いインパクトを与えるのだ。
僕は、この背中で語る能力を磨き「超絶くそ野郎の流儀」に役立てようと思っている。
少なくとも子供たちに、口先ばっかり立派で、死んだ様な背中を見せる訳にはいかない。
フェイクでも良いから、堂々と背中で物語ってやるんだ!
やがてフェイクは本物になる。
これが超絶くそ野郎の流儀だと信じよう。
普段は自分で見ることが出来ない背中。
だからこそ、その人柄が現れる。やはり立派な背中は信念ある心から生まれるのだ。
皆さんも1日で良いから、自分や他人の背中に気を配って観ると、新たな発見があるかもしれない。
最後まで読んでくれてありがとう。
時には真面目ないつもタツオより
-おしまい-
スキやコメントを頂けると励みになります。 まさかのサポートを頂いた場合は、移動費に使ってフィールドワークしたネタを書いてきますね。