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怒りと悲しみと絶望の涙

私は正確には「双極性感情障害」
でも面倒だから「うつ病」と言っています

私がこうなってしまったのは自分が悪いのです。社会のせいにしているけど自分が悪い。理想が高すぎた。こんな仕事がしたいと背伸びした。自分の身の丈に合った仕事を選んだから。ちゃんと調べて考えて、その職種でやっていけるか考えればよかった。そう、私には向かなかったんです。憧れでした。

私の始まりは接客サービス業でした。

この仕事をしていた頃は自分でいうのもなんですが「いきいき」して、毎日が楽しくて水を得た魚のようでした。HSP の私にはもってこいの職種です。耳や雰囲気、空気に敏感で誰よりも早くお客様の心を察し動ける。「この空気は緊迫しているみたい。明るく風通しよくしなきゃ」「この人、とても不安そう」「誰も気づいていないみたいだけどちょっと機嫌が悪そう」「早く声かけしてなんとかしないと」などなど。今はこうして言葉にしているけれど、その時その瞬間は本能で気づいたら動いていました。

こんな仕事を辞めました
理由は手に職をつけたかったから

そこで選んだのが医療事務職でした

私はなぜか病院が好きでした。だけど病院は病院によるけど、なんか冷たい。大きな病院になればなるほどいつも忙しそうで看護師さんたちは特に忙しそう。受付や事務職の人たちも忙しいのはわかるけどすごく冷たく人当たりが悪い。

病院は接客業、接客サービス業の基本形を身に着けて(特に事務職)患者さんに接するべきだと思った。ホスピタル(Hosupitaru)ホテル(Hoteru)同じ頭文字「H」少しは病院もホテルの要素少しはホスピタルの要素があってもいいんじゃない?

私は事務職の経験はないけれど接客業には自信があるよ
もちろん病院として病院側として、そこはちゃんと踏まえて行動言動します

私は医療事務職に就いて夢をみました

私にできることが私にしかできないことがある。私は病院のイメージを変えたい
そのためには専門的な知識が必要。勉強しなきゃ。こうして資格はとったけど・・

だけど何もできなかった・・HSP な私には難問が多すぎました。それが災いして得意な応対ができなかった。それでもなんとか踏ん張ってみてはいたけれど、バックヤードからの冷たい視線、投げかけられる言葉(やじ)視線そして空気。その空気の中でするデスクワーク。いくつかの病院を渡りましたがダメでした。どこにいっても色眼鏡で見られる。居場所がなかった。

それでも耐えるべきでした。耐えなければ。

頑張ってたけど、ある日心と体のネジが壊れ止まりました

気合を入れて「さあ始めるぞ」と山積みのレセプトを机の真ん中に置き、手を伸ばしたその時いつものように視線と陰口が聞こえました。体が固まりぼーっと、多分何秒かそのくらい。自分ではものすごく長い時間だったように思えます。体が動き始めると今度は立ち上がり事務所を出ていきロッカー室へ。ぼーっとしながら着替えて帰りました。気が付いたのは家に帰ってから。涙があふれて止まらなくなりました。自分のしたこと自分の行動。「どうしよう」「なんてことをしてしまったんだ」だけど涙が次から次にあふれてきて・・。

明日は行こう
ちゃんと詫びよう

だけど社会はそうやすやすと許してはくれません

懸命にやり直そう。心を入れ替え挽回し汚名を返上しよう

としましたが事態は悪化するばかり。前以上に陰口、やじ、視線が酷くなりいじめとも言える扱いを受けました。上司からも同じで誰にも相談することもできなくて私は日に日に壊れていきました。考えられない行動をするようになりました。事務所へはいかず病院の中を一二中うろうろ。病院側の指示で警備員にマークされ追い出され出入り禁止に。

私は何をやっているんだろう
わからない
何をしたいのか
自分をコントロールできない

憧れの大きな病院へ中途入職
もう終わった

思い返せばここへたどり着くまでいろんな事があった
どこにいっても壁へぶつかり厄介者に

今度こそ今度こそ
私は医療事務職には向いてないのかな

夢は絶望にかわり悔しさと悲しみでいっぱいになって涙が止まらなくなりました。

悔しさと悲しみは怒りにかわり益々自分をコントロールできずおかしなことばかり。興奮して大きな声をだしたり暴れたり

そんな生活が約7年
その後主治医の勧めで就労継続支援事業所A型に約4年間通い
もう一度病院にチャレンジしたものの失敗
またA型に通い始めて約1年、人に疲れまたおかしくなりそうになって辞めました

現在は落ち着いています

だけどまだ尾を引いていて時々フラッシュバックが起きていろんなことを思い出しては涙があふれてきます。また現在でもぞんざいな扱いを受けると時々大きな声をだして興奮して怒って泣いています。


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