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会社員しんどい/うつ病になる

 

会社員、しんどい


 学生時代から昼も夜も働いてきた私だったが、年齢と共に、そして持病的にも『毎日決まった時間拘束される』という働き方がしんどくなっていった。常に腹痛と共に倦怠感がある。常にダルいのだ。朝起きて『元気だー!』という朝を迎えた記憶は小学校くらいまで遡らないと無い気がする。
 そうして毎日ダルい私は、会社員として生きていく一生を考えた時に、『無理っぽいな〜』と考え、自営業になる決意をした。
 自分が好きなことで、手に職をつけられて、今既にマーケットがあって・・・と考えた時に、『ネイリストになろう』と思った。ちょうど私が通っていたネイルサロンのオーナーネイリストさんも、『難病になったからネイリストになった』と言っていた影響もあった。自営業ネイリストなら働きたい時に働き、休みたい時に休めると思った。私は働きながら、ネイルスクールに通うことにした。
 私のネイルの先生は、先ほど書いた難病になったからネイリストになったという人にお願いした。先生はとにかくお金が大好きで男を選ぶ基準も年収と言い張る潔い人だった。
「一日一本でも多く塗った人がうまくなる、手先の器用さなんて関係ない」
 と先生がいつも言っていたので、私はじゃあ誰より練習してやろう、と思った。友達、昔の職場の人、コンビニでナンパした人、飲み会で会った人など、とにかく色々な人に声を掛けては爪を貸してもらって練習をした。「仕事終わりで毎日必ず誰かにネイルをさせてもらう」という目標を掲げて、私はその目標を達成すべく頑張った。
平日日中は仕事をし、夜は誰かの爪にネイルをし、土日はネイルスクールに通って色々教えてもらいながら、数ヶ月に一度ネイルの試験に挑む日々。休みがなくあまりにハードだったので、私は人生でどの頃に一番戻りたくないかと聞かれたら、神社暮らしの次にこの期間と答える気がする。
今思えば会社員がそもそもダルいのに、更にネイルのことを色々やっていて、私はよく倒れなかったなと思う。私はそうして練習に明け暮れる日々を過ごして合格率8%の難しい試験に合格し、無事ネイルスクールを卒業した。
ネイルスクールを卒業した後すぐ会社を辞めた訳ではなく、まずは平日の夜と土日だけやるネイルサロンとして営業した。そこで集客をしてお客さんをつけてから会社を辞めようと考えた。その作戦は割とうまくいき、私はある程度お客さんをつけて会社を辞めた。貧乏な時は学生時代お世話になったホステスバイトに行くこともあったが(ホステスバイトは一瞬で再開が可能なのである)、それもすぐに必要なくなった。
自営業は快適だった。誰に気兼ねすることもなく働きたいように働くことができ、全てが自由だった。ほとんどのお客さんに病気のことも伝えていたので体調が優れない時は予約を変更してもらうこともあった。元来社会不適合気味の私は完全に自営業向きだった。
持病があって自営業、というのはメディア向きだったようで、雑誌やテレビやラジオなど、色々なメディアに出させてもらったりもした。私は持病があっても自由に生きられる、ということが色々な人に伝えられて嬉しかった。
私はそうして誰に何を言われることもなく体調的に無理をすることもなく八年間自営業でネイルをしていた。
していた、と過去形なのは、コロナで経営が傾き、今また私は会社員をしているからだ。一時的なつもりだったが、どうなるかはまだ分からない。病気に理解を示してくれるスーパーホワイト企業に就職したので、『会社員も悪くないな』と今は思っている。
 
 

うつ病になる

 
 ネイルサロンの経営が傾いたのはコロナのせいだけではなかった。私はノンストレスのはずの自営業を続けているうちに、次第に病んでいった。理由は、簡単に言うと自分で自分を苦しめるというセルフSMを続けたからである。どう苦しめたのかと言うと、私はネイルで同じデザインを二回やらないと決めていて、毎日毎日ひとりひとり違うデザインを考えて提供していた。それが最初は楽しかったのだが、どんどんプレッシャーになっていき、最初は無限に近いほど浮かんでいたアイディアが次第に浮かばなくなっていった。やばい、と思った。私は大学でデザインを専攻していたわけではない。ゴリゴリに日本語を学んでいただけで、せいぜい中学生の時に美術部だったくらいである。そんな私が毎日違うデザインを提供するなんてことには無理があったのに、私は自分の中で作ったルールを頑なに変えなかった。それが良くなかった。私は正真正銘のドMであったが、セルフSMばかりは楽しめなかった。
 私はどんどん病んでいった。病むと脳にモヤがかかったようになっていき、余計にアイディアが浮かばない。デザインが浮かばないことによってより自分を嫌いになる。そうすると余計病み脳にモヤがかかる・・・私はどんどんその負のループに入っていき、最終的に精神科で
「うつ病です」
 と無事宣告されることとなった。私はうつ病と宣告された時、少しだけ、いやだいぶホッとしたのを覚えている。私はうつ病だからデザインが浮かばないんだ、と理由が出来て嬉しかったのだ。
うつ病の何が辛いって、本当に何もできないことである。どのくらい何もできないかというと、お風呂に入るだけのことが、とてつもない偉業に思えるくらい。ただ横になっている以外のことがほぼ全て困難。永遠に横になってただ無意味にインターネットの海を泳いでいたいのだ。
そんな状況でもネイルの予約があれば行かなくてはいけない。お店に行っては自分の出来なさにがっかりして余計落ち込んで帰ってくるということが続いた。デザインのクオリティが落ちていることは私が感じているだけではなくお客さんも敏感に感じ取っていて、お客さんの数はどんどん少なくなっていった。それがコロナと重なって、私のお店の経営は完全にダメになった。
私はお店の経営がコロナでダメになったと言えることが、ラッキーだと思った。うつ病になったせいで傾いたとは、絶対に言いたくなかった。私はうつ病になったことがとても恥ずかしかった。周りにうつ病の人がいてもなんとも思わないのに、自分がそうなったということが、とても弱い人間だと証明された気がしてならなかったのだ。
私はそれまで自分を割と強い人間だと思っていた。死にたい、と思ったこともそれまでにもまあまあの頻度であったけれど、私はこれまでの人生の逆境に、完全に打ち勝つとまではいかなくても、なかなかにいい勝負をしてきていた自信があった。でもその勝負のスキルはうつ病の前では何の役にも立たなかった。
私は精神科で『認知が歪んでいる』と言われた。私の育ちのせいで、私はかなり認知が歪んでいるらしかった。私は『ここでも親のせいか』、と思った。親はどこまで私を苦しめてくるのだろうか。私はいい加減親の呪縛から解放されたかった。
ちなみにうつ病とは現在進行形で絶賛お付き合い中である。相変わらず脳にモヤがかかっているので、ネイリストにはしばらく戻れそうにないのはこのせいもある。

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