かわいいひと 前編
ビゴさんが逝去し、もう5年が過ぎた。
そろそろ書いても、天国で笑って許してもらえると思うので、ビゴさんとの想い出を綴ってみる。
ぼくはビゴさん直系の弟子ではないけれど、いつも気にかけ随分とかわいがっていただいた。
師弟の関係でなかったからこそ、そうだったのかもしれない。
初めてお越しになられたとき、パンを見るより先に厨房へ入ってこられ、最初に交わした言葉が「この名前(店名)を付けたのは誰だ?おまえか?これは、おまえのことか!?」だった。
発酵種などを確認された後、店内へ戻られたビゴさんはイートイン席に腰を下ろされ、お弟子さんたちがパンを選ばれているのを待たれていた。
丁度このころ、長時間発酵のバゲットが完成したものの、それをバゲットと呼んでいいのか悩んでいたぼくは、ここぞとばかりにスライスしたものをビゴさんへお出ししてみた。
一瞥しただけで「これはどんだけ発酵させてる?」と訊ねられたので、「2日間です」と答えるとビゴさんは黙ったままお召し上がりになった。
店内に飾ってある写真はそのときのもので、バゲットを食べ終えたビゴさんは、お弟子さんたちに「暇そうな店だから、たくさん買ってあげなさい。バゲットも全部買いなさい」と指示をされた。
この年の春までアルバイトをしてくれていた専門学校生の女の子がいた。
彼女は卒業をしたらプチメックで働きたいと言ってくれたけれど、そのときぼくは諦めるよう話をしている。
当時はまだ店が潰れそうな状態で、社保といった福利厚生すら整備できていなかったこともある。それに加え、ぼく自身パンを教えることができるほどの知識や経験もなく、作っていたものがそれであっているのかさえ怪しい状態だったため彼女にはこう伝えた。
「うちは、やっていることが正しいのかもわからん飛び道具みたいなもんやから。
最初に働くのは、基本に忠実で王道なお店の方がいい。ビゴさんとかドンクさんなら間違いないし、会社も大きいからそういう面でも安心して勧めることができる」
卒業後、彼女はビゴさんのお店へ就職し、販売スタッフとして働いていた。
ビゴさんがお越しになった日の夜、ぼくは彼女へ電話をしている。
バゲットをすべて買っていただいていたので、「その後」が気になったためだった。
突然ビゴさんがお越しになり驚いたことなど話した後、彼女なら知っているかもしれないと思い訊ねてみた。
「ビゴさんがバゲットを全部買ってくださったんやけど、あれ、まさか捨てられたりしていないよね?」
彼女の話では、ビゴさんの各店舗へ持って行かれ、スタッフさんたちに「これを食べて勉強しなさい」と数本ずつ配られたとのことだった。
ビゴさんからは良いともダメとも言われなかったけれど、この話を聞いて、ぼくは自信を持って「バゲット」と呼んでいいんだと思うようになった。
つづく
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