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ビゴさんと福盛先生と、2001年のこと 1.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

2001年、うちの店は恐らく潰れるだろうという酷いあり様だったけれど、同時に生涯忘れることのできない1年でもあった。

このころは売れもしないのに作る量を減らさないから(無論ぼくなりの理由がある)異常な数値となった原価率に税理士先生からは「いい加減に…」と注意され、それでも減らさないから月の中頃には、月末の支払いが明らかに足りないとわかるお粗末さと恐怖の繰り返しだった。

月末給料日近くになると「あと2人分のアルバイト代が足りない」なんてことは毎月の恒例で、取りあえず数日分の売上から払うとか、それでも足りない場合は、ぼく個人のカードローンで限度額30万まで借りるなんてこともあった。
業者さんに支払いを数日待ってもらったり、直近3日分ほどの売上を口座に入金せず、その現金を持って止められそうな関西電力の窓口へ走るなんてことも一度や二度ではなかった。

経営云々以前の話で「そんな店、畳んでしまえ!アホ」 と、ぼく自身でさえ言いたくなるレベルだった。
いまでこそ笑い話になっているけれど、それにしてもいつも月末は恐怖だった。
仕事が多く間に合いそうになければ、自分が寝ずに働くなり休まなければいい。それで大抵現場のことはどうにかなる。
本当に恐ろしいのは、そこまでやっても支払うべきお金がないことで、これは自分がそれまで生きてきた中で経験したことのない種類の恐怖だった。
そしてこのときに「世の中には、自分の力ではどうすることもできないことがある」という至極当たり前のことをぼくは初めて認識した気がする。

浅はかとはいえ自分の考え得ること、できることをすべてやった上での結果がこれなので本当にもう打つ手がない。
3年目を迎えたぼくは、背水の陣どころか既に口の辺りまで水に浸かっているような状態で溺れるのは時間の問題であり、それは不可避に思えた。
店をはじめるための勉強はしたけれど潰すなんてことを想定していなければ微塵も考えたことのなかったぼくは、それをリアルに感じたときに初めて考えた。

あれ、店を畳むってどうすればいいんだ?何から手をつければいい?急いで店を畳むための勉強と準備をしないと

そんなことを思いながら仕事をしていたある日のこと。
店にかかってきた電話に出ると、日本人でないとわかるイントネーションでいきなりこう言われた。

「ボクが誰だかわかるか?」

「え・・・と・・・◯◯さん(当時のフランス人の常連様)ですか?」

「違うよー!ビゴだよ」

「えっ!?まさかビゴさんって、あのビゴさんですか?」

「そうだよ、芦屋のビゴだよ」

「えっーーー!なんでビゴさんがうちなんかに?」

「いまからお前の店に行くから。3時間後には着くと思うから待っててね」

ぼくは仕事を中断し、ビゴさんの本にサインをもらうため急いで自分の部屋へ取りに戻った。また店に戻る途中には、文房具屋さんへ寄って色紙も買った。

テレビや雑誌、専門誌などでしか見たことのなかったあのビゴさんが本当にうちの店にやって来られた。それもお弟子さん5人を連れられて。
これがビゴさんとの初めての出会いだった。
イートイン席に座られたビゴさんは、お弟子さんたちに向かって「暇そうな店だから、たくさん買ってあげなさい。バゲットも全部買いなさい」と、たくさんのパンと本当に籠にあるだけのバゲットを買ってくださった。

ぼくはビゴさんにサインをもらい、一緒に写真を撮っていただいた。
こんなチャンスはないと思いビゴさんにたくさんの質問をし、いろんな話を聴かせていただいた。
お帰りになる際、「ビゴさん、全然パンが売れなくて本当に店が潰れそうなんです」と言うぼくにフランス人のビゴさんはこう言われた。

「西山、石の上にも3年って言うやろ。だからお前も3年間は頑張らなあかん」

創業して3年目のことだった。

つづく

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