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護身用バゲット

パン屋さん時代に考えたこと、やってみたこと、使ったもの 15.

長時間発酵によるバゲットを売りはじめたものの、おもしろいくらいに売れなかった。
イーストが極端に少ない上に冷蔵発酵、改良剤なども添加しないので多くの方がイメージされるバゲットよりもかなり細く、硬い。
おまけに端は尖っているのだからあの時代に京都では難しく、そもそも店が潰れるか否かというほど分母であるお客さまの数が少ないのだから売れないのも当然とさえ思えてくる。

このころ、女性誌の取材でモデルとして来られた某売れっ子女優さんは、撮影の合間にバゲットの真ん中辺りを持ち、槍投げのポーズをしておどけていたくらいだし、ぼくをはじめスタッフさえもそりゃ売れないわな、といった空気の中、1本でも売れるとちょっとした騒ぎですらあった。

お客さまが買われたときには販売スタッフの子がわざわざ厨房へ知らせに来てくれて、こんな会話になったこともある。

「西山さん!バゲット売れましたよ!それもOLっぽい女性でしたよ。でもあのバゲット、どうされるんでしょうね・・・」

「もう夜やし護身用ちゃうかな。尖ってるし、硬いし」

ほとんど売れなかったのにこんなことを言えたのは、それでも外国人のお客さまやレストランの方が毎日買いに来てくださっていたこともあるし、何よりもぼく自身が本当に美味しいと思っていたので、いずれは・・・という思いがあった。
だから昨日書いた一抹の不安が残り続けた心配や不安というのは、売れる売れないといったことではなかった。

その後もしばらく続いたこの不安とは、本当にこれで合っているのかな、これをバゲットと呼んで良いのかな、という他の人にとってはどうでも良いような、ぼく個人の中の小さな問題だった。
それは料理業界から来たぼくが純粋なパン職人でないことや修業させてもらったパン屋さんが1軒しかなかったことなど、ぼく自身が傍流的位置にいると自覚していたことがそう思わせた。

数ヶ月後、そんなぼくの不安を払拭してくださったのが初めて来店されたビゴさんだった。
このときのことは以前にも書いているけれど、この話には続きがあるのと直系の弟子でもないぼくにもビゴさんとの想い出はあるので、いずれまた改めて書きたいと思う。

つづく


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