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C'est pas mal, 凡人 1.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

先日、毎日新聞さんの朝刊とweb版に、ぼくの話を少し掲載していただいた。
ありがとうございました。

このご依頼を受けた際、どういった話をすればいいのかを訊ねると「関西発、進化するパン文化について」といった趣旨で書こうとされていること、そこでパンに対する考えやこれまでの店の歴史、そしてこれからのことなどを伺いたいといったお話だった。
本当に自分でもこういった取材やインタビューは向いてないな、と思う。

そんなことをぼくに訊いてどうするの?

これがぼくの率直な気持ちだった。
店の歴史はともかく進化するパン文化だなんて考えたこともないし、うちは退化しないようにするだけで精一杯で、おまけに「これからのこと」なんてぼくに訊いたら間違いなく記事にできなくなる。

いつも取材の際には、パンなどであれば可能な限り求められるものを用意するようにしているけれど、その趣旨がぼくの考え方であるといった場合には、取材する側が求められているであろう答えがわかっていても、ぼくはそれに合わせようとはしない。
仮にそれが読者の期待される言葉や望まれている話であったとしても自分が本当に思ってもいないことまで話せないし、それをしてしまうと嘘になる。
だからこれまでに受けて来た取材やインタビューも、いつもたくさん話をした割には使える部分がほとんどないといったことになっていた。

それでも取材を受けることにしたのは、1年ほど前にも担当の三輪さんに「家庭で簡単にできるサンドイッチのレシピ」という企画で取材をしていただいたご縁があり、美輪さんならぼくの話しそうなことをわかった上で取材していただけるだろうと思ったからだった。

三輪さんに京都へお越しいただき、取材をしていただいた。
といってもパンや店舗の撮影があるわけでもなく、ずっと雑談をしている感じだったので、どちらかといえばインタビューに近かった。
ぼくは訊かれることに対し思っていることをいつも通り話すけれど、話が終わるたびに、

「書けないでしょ?」

「書けないですね・・・」

といったやり取りが何度も繰り返された。
それでも記録のために走り書きされたノートは、3ページくらいにはなっていたと思う。取材を終えると美輪さんはそれを見つめながら「これをどう文章にしましょ」と困惑した表情でひと言漏らされた。

「だからぼくはライターさん泣かせなんですよ。思っていることを正直に話すから書けなくなる」

美輪さんは「頑張って何とか書いてみます!」と言い残し、帰路につかれた。

読まれた方はおわかりになると思うけれど、完成した記事は本当に差し障りのない無難な、ほぼ店紹介といった印象のものになった。
きっとぼくが逆の立場だったとしてもそうとしか書きようがなかっただろうし、まして媒体が大手新聞社の朝刊となればそうなるのも当然だと思う。
それでも当事者としては「うちのパンは、凡人が一生懸命作った結果」というぼくの言葉を拾い活字にしてもらえたことがとても嬉しかった。その後の「と謙遜するが」は、本当に謙遜でないから要らないけれど。

コラムでお世話になっている長濱さんも自分のアイルランド音楽感と共通する部分もあるとして、『「凡人が一生懸命作った結果」「安い単価で非日常が味わえるのがパンの魅力」西山さんの哲学を感じる言葉』と、この記事をFBでご紹介くださった。
長濱さんのような方にそんな風に書いてもらうと恐縮するやら気恥ずかしいやらだし、ぼくのそれは哲学といった高尚なものでないけれど、ただいつのころからかぼくは、”凡人も悪くないな。いや、凡人の方が良いくらいじゃないか” と思うようになった。

つづく


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